自らをしっかり修め、衆生を救い済度する
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2012年6月23日】私は広島県の法輪功修煉者です。私が修煉を始めたきっかけは、2010年7月に、地域の広報に無料気功教室のことが記載されており、それに参加したのがきっかけです。最初は気功について何も知識がなく、気功というのはエネルギーを手から放出して、それによって人の病気を治すことができるものだと思っていました。ちょうど母が病気なので私が気功を習って、母の病気を治してあげたいと考えていたところでした。そのために、いろいろな気功に関する本や宗教に関する本も読みあさっていました。自分自身は物心がついてから風邪ひとつひくことがなく、とても健康な体でした。

 当日、公民館で煉功が始まるとその時点で生理だったのですが、自分の体から大量に出血するのが分かりました。気功の時間に席を外したくはなかったので、赤ちゃんのおむつのような大きめのナプキンをしていったのですが、約2時間の動功静功が終わった頃には、それが全面血液で真っ赤になっていました。体重も一晩で1キロ減っていました。「すごい! これが浄化というもので、気功というのは自分で自分の身体を健康にするものだと」と、その時に悟りました。

 その公民館はとても遠く、車で1時間半かかる場所にありました。もっと近いところにないかと聞いてみたところ、ちょうど車で30分のところに中華料理屋さんでやっていることが分かり、それ以来、母もつれて車で30分かけて毎日通いました。1時間半に比べたら30分はとても近く感じました。

 『転法輪』を購入し、毎日読み続けました。読み終わっては最初に戻り、何度も繰り返し読みました。その後インターネットに師父の経文があることを知り、それもむさぼるように読み、新経文まで半年ほどで読み終わりました。

 自分自身が法を正す時期の大法弟子だと分かると、すぐに衆生済度をしなければいけないと分かり、地元で友人を誘って煉功場をつくることにしました。今は無料の公民館を借りることができて、週に2回、法を学んでいます。神韻公演があった時期は、不思議と煉功場に人が多く集まり、多くの人が神韻を見に行ってくれました。

 日本という国は、治安も良い方で、それほど貧乏な国ではなく、欲しいものはすぐに手に入り、やりたいことはなんでもでき、テレビやインターネット、その他娯楽が溢れかえっています。私自身も修煉をする前はそれらを満喫していました。執着が多ければ多いほど、その中から修煉の道に入ることはとても大変だと思いました。知人、友人、かなり多くの人を気功の道に誘いましたが、多くの人が仕事や趣味、家族の事で忙しくなり、やめていきました。

 なぜ、やめてしまうのか・・・自分自身に問題がないかを考えてみました。すると、自分自身の感覚に頼っていたことに気づきました。自分でなんとかしようと思っていました。師父は『転法輪』でこのように書かれています。「自分の感覚を頼りに練功している人もいますが、あなたの感覚はなにほどのものですか? なにものでもありません」それ以来、頭の中で煉功に来た人に何かを教えようとか、余計なことは考えずに、自分自身が修煉者としてしっかり三つのことをするようにしました。

 まだまだ、私自身たくさんの執着、人心があります。怠惰な心や恐怖心、一つ関を越えると安逸心や顕示心がすぐに現れます。また、トラブルがあるとすぐに動揺します。

 先日も、仕事で金魚をビニール袋に入れて梱包し、発送するために宅急便に出しました。発送先は北海道へ二匹、鳥取へ二匹、大阪へ一匹でした。北海道はあいにく台風のために飛行機が飛ばずに持って帰りました。元の池に戻そうと箱を開けて見ると、鳥取に行くはずの金魚がそこにいました。間違えたのです。急いで鳥取の便をキャンセルするために電話をしましたが、すでに便は出発し、2日たたないと戻ってこないということでした。鳥取のお客さんは明日の夜に金魚が到着するのを待っています。すでに夜7時を回っていたので、今からの発送はもう間に合いません。かなり動揺しました。人心丸出しです。しかし、鳥取なので夜9時の当日便があり、その便で持って行ってもらうことができました。しかし、北海道に送らなければならない鳥取に行ってしまった金魚は、2日経たなければ戻って来ません。

 ふと、負のイメージが湧いて来ました。「戻ってきて箱を開けるとそこにはぐったりと横たわった金魚の姿・・・」思わず打ち消しました。「困難を大きく見れば見るほど、問題が難しくなり、相は心から生じるのですから、問題はますます厄介になります。相は心から生じるという言葉にこの意味もあります。なぜなら、あなたはそのことを重く見ており、自分を見下したからです」(『大紀元会議での説法』) 「相は心より生じる」、大法弟子が心に思ったことは必ず現実になることは今までの自分の経験でよく分かっているはずです。神韻の活動をして帰宅が遅くなり、常人の主人が怒っているのではないかと思って帰ってみると、いつもより早く仕事から帰っていてカンカンに怒っていました。主人が帰っていても、ニコニコして遅くなってごめんねと言おうと思って帰ると、何事も起こりませんでした。すべて私の心が生じさせたことです。その時、金魚が光の卵に包まれているイメージが浮かびました。「金魚は大丈夫」、確信が持てました。

 しかし、失敗は失敗です。主人にしかられました。「なぜもっと確認をしなかった。お前は頭が悪いんだから一日に一つ送ればよかったんだ。もしこんな失敗を会社でしたら、即刻クビだ!」たしかにその通りですが、私は反論しました。自分で失敗と分かっていることを何度も言われると、温厚な私でも腹が立ちます。「私は一生懸命あの台風の中、飛ばされそうになりながら梱包したんです。ほめてくれてもいいでしょう!」大法弟子なのに、内に向けて修めずに常人と口論してしまいました。次の日に反省し、主人に謝りました。「すみません。わたしが確認を怠ったのが間違いです。次からは箱を閉めるときにもう一度確認します」と、その時です! 「明日到着予定だった鳥取から返品された荷物が、今広島に到着しました」と配送先から連絡があったのです。すぐに受け取りに行き、箱を開けると水がとても少なくビニール袋も一重しか包んでいませんでした。急いでいたのできちんと梱包していなかったのに、金魚は二匹とも元気に泳いでいました。その後、二匹は北海道に送ることができ、お客さんには迷惑をかけずに無事に届けることができました。師父は、転んでもすぐに起き上がりなさいと言ってくださいました。師父に迷惑ばかりかけている弟子ですが、こんな私をいつも暖かく守ってくださり、本当に感謝しております。

 私は、自分の修煉と衆生を済度する時期の大法弟子です。師父と約束した三つのことをバランスよくしなければいけません。正直、自分自身の業力がとても多く、静功がとてもつらいです。でも、前世までと今世で自分自身が犯して作った業力です。絶対に返さなければいけません。今年は、師父が大法を世に広めてくださってから20周年です。私は遅れて修煉を始めたので、他の同修の20年分を2年でやらなければいけないと、そのくらいの勢いで修煉をする決意でいます。師父が残してくださっている時間もますます短くなっていると思います。これからも衆生を救い済度するために、たくさんの人に大法を伝え、今するべきことをしっかり行なっていきます。

 自分の次元で悟った範囲での経験です。間違っているところがありましたら、ご指摘をよろしくお願いします。

 
    更新日:2012年6月24日
 
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