文/広州の大法弟子
【明慧日本2012年6月28日】尊敬なる師父、こんにちは。弟子は偉大で慈悲なる師尊に手を合わせて、頭を下げてお礼を申し上げます。恩師が慈悲に済度してくださったこと、及び洪大な恩恵に感謝いたします。
「第8回中国大陸大法弟子のネット修煉体験交流会」に際して、私はこの機会に尊敬する師父と同修たちに、学法について自らの浅薄な認識や、大法から与えられた知恵と神通で、師父を助けて人々を救い済度する体験を話したいと思います。次元に限りがあり、悟性も低い私ですが、間違ったことや認識不足なところがあれば、同修たちは慈悲にご指摘をお願いします。
一、学法についての、わずかな悟り
私は1996年4月に修煉を始めました。初めて『転法輪』を読み、半分しか読んでいない時に、本の中に書いてあった「家で寝ている時浮き上がり、布団を掛けたら布団まで浮き上がり」という状態が起こりました。『転法輪』を読み終えて、私は全く生まれ変わった気がして、心の奥から「これから私は二度とそれらの常人と争うことをしない」と叫びました。初めて『転法輪』を読んでから、一番衝撃を受けて変わったことは、私は人生の中でずっと探し続けていた夢のような真理が見つかったことです。その時の体験を思い出す度に、私はいつも励まされ精進することができます。
師父はほとんど毎回の説法の中で、切実に弟子たちへ必ず法を多く学んでくださいとおっしゃいました。「先ほど、皆さんに法を大切にし、法を多く勉強するようにと教えました。必ず繰り返し本を読むべきであり、このようにすればあなたは既に向上の中にいます。私は私の能力をこの大法に注ぎ込んでおり、学んでいればあなたは変わっており、向上しており、最後まで学ぶことができれば圓満成就することができます」(『米国東部法会での説法』)師父のこの話を私は心の中で覚えてきました。法を多く勉強すれば向上の中にいて、昇華できると私は法理上からわかっていました。しかし、ある時期に私は『転法輪』を何度も繰り返して読みましたが、向上という感じがなくて、初めて本を読み終わった時の大きな震動感が消えてしまいました。
その後、ほかの大法の書籍を読んでいるときに、答えを得ました。師父は『精進要旨』「猛撃一掌」の中でおっしゃいました。「心が静かでなければ法を学んでも意味はないので、心を静かにしてから学んでください」私は法を学ぶという一番大事なこと、自分の本質を変えることのできる重要なことを、心を静かにして学んでいませんでした。法を心の底から学ばなければ、自分を指導する法はないので、もちろん向上はありませんでした。その時期、私はいつも学生が毎日の宿題を完成させるように法を学んでいました。本を読む時、頭の中はまるで、海がひっくりかえったかのように何でも湧いてくるので、まったく入静できませんでした。しかも本を読むとよく眠くなりました。法を学んでいない時、頭の中をまだ静かにできますが、本を読むとまた何でも湧いてきて、どうしても抑えられませんでした。たくさんの訳のわからない考えは、私の本当の思想ではなく、全ては他空間からの黒い手や悪神が私を妨害して、私に法を学ばせないからでした。しかし、どのように他空間からの黒い手や悪神が私の学法を妨害することを取り除いたらいいのでしょうか。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」(『精進要旨』「妨害を排除せよ」)私は大法を暗記することに決めて、黒い手や悪神からの妨害を除去しようとしました。
法を暗記する経歴は二回に分かれます。一回目の時の始めの頃は、大変難しかったです。他空間からの妨害や睡魔の障害なども大きくて、頭はまるで記憶喪失のように、後ろの文を読むと前の文はもう忘れてしまいました。立って本を暗記しても寝てしまいました。初日の時、私は10時間近くを使っても、第1講の第1段落さえ覚えることがきませんでした。大体1カ月程、私は法を暗記するといつも眠くなり、寝てしまって、起きたらまた続いて暗記して、何度も何度も繰り返していました。その感覚は「毎日私の頭に強く妨害する他空間からの邪悪と、困難な闘いをやっていた」ような感じでした。ついに師父の助けにより、また絶えず努力したことと正念を持続したことを加えて、私は7カ月程の期間で、第1回目の法の暗記に成功しました。その後、2回目の暗記には3カ月程を使いました。
この2回の法を暗記する経歴は、最初の時の、一日1ページすら暗記できなかったことから、後になって、一日20~30ページまで覚られるまでになりました。この経歴から私が体験したことを述べます。「毎日法を暗記し始めた時、いつも頭が固くて記憶力も悪かったのです。しかし継続してやっていくと、頭を使えば使うほど頭が良くなり、暗記をすればするほど速くなり、夜に法を暗記し終えた時、頭は一番楽で、記憶力も一番良かったのです。時々、このまま暗記していこうと思ったりしました。翌日、書籍を暗記して記憶力を開発する過程を再び繰り返しました。毎日関を取り越えているようでした。
法を暗記して何年も経ちましたが、その体験は今でも、私の学法の中で気付かせる作用を果たすことが出来ます。現在、私は学法について新たな認識がありました。それは「学法する時に心が静かになれないなら、本を心で読んでいないだけではなく、読むスピードも遅くなります。学法する時に心を静かにできれば、読書のスピードも速くなります。しかも、この日の学法の量が少ないなら、直接翌日の状態に影響します。一時期、学法の量がついていかなければ、自分のすべての状態は良くないと感じます」
私は心を静かに法を学んでいる中で、数えきれないほど師父が私に気付かせておられることを感じました。ある法理について突然、全く新しい認識が出てきたこともあり、とても感動して、衝撃も大きかったです。しかも、再びその段落の法を読み直して、その時の感覚をもう一度体験したい時に、また同じ感覚がありました。それらの気分は全て、言葉では表現できず、あっという間に過ぎ去りました。
今では私はよく、一つの状態が現れます。「頭の中で常に自然に大法を暗誦して、前のように頭の中が常人のことばかりではなく、ときどき他空間からの大法の煉功の音楽が聞こえ、はっきりしています」これは大法に同化する状態だと私は思いました。
以上は、私の学法についてのわずかな認識です。
二、大法に与えられた知恵と神通で、師父に手伝って周辺地区の人々を救い済度する
常に学法と実修をする中で、私はすでに体験したことですが、「大法は私たちの大脳を開発することができ、私たちの知恵を増やすことができ、私たちが人々を救い済度するときに必要な各種の技術を備えることができます」この十年来の修煉の道を振りかえってみると、人々を救い済度することに必要な技術を、私はすべて独学しました。この技術を使えば人々を救い済度できると思えば、困難を恐れさえしなければ、本当に実行して学ぶと、いつもやっているうちに、そう長くない間に技術を習得できます。私はパソコンの初級から勉強していき、そしてインターネット、植字、プリンタ、ディスクへの書き込み、パソコンの維持管理、携帯の技術などまで、全ての技術やスキルが、学び始めてから上達しました。教えてくれる人はおらず、分からないことがあれば、「天地行」というウェブサイトに質問を出して、返事をもらってから自分で探し回ってきたのです。それから、その技術を師父が法を正される中で運用し、上達していきました。良く考えてみると、自分が把握できる技術の中の、たくさんのことは並外れたことであり、つまり神通の表現でありました。ただ学びと応用の過程の中で、よく考えておらず、やっている内に自然にできたかのようでした。今振り返ってみると、びっくりして、本当に優れた功能があるようで、不思議でした。
広州は人口密度が非常に高くて、邪党の監視が極めて厳重だった都市です。この辺りの人々を救い済度する際には、数が多くどこにでもある監視カメラを避けることはできませんでした。どうすれば理性的に知恵を持って、師父が法を正されるのを助け、三つのことをしたらいいのでしょうか。ここで同修たちに私のやり方を交流させていただきたいと思います。
私はカメラの専門店へ行き、暗視カメラの機能を尋ねました。撮影距離は10メートルから100メートルぐらいまでですが、暗視カメラの映像は白黒です。夜間撮影機能がないカメラの映像はカラーですが、光が足りない時にはっきり撮ることができません。監視カメラについて、常人社会の状態を守らなければならないと同時に、大法修煉者として、神様のような部分を十分発揮しなければいけないと私は思います。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/8/129909.html) 更新日:2012年7月1日