アメリカのある煉功場での物語・二話
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 文/阿真

 明慧日本2012年6月28日】 その煉功は、とても景色のよい湖のそばの公園の中にあります。2000年から毎週末、ここで法輪功の修煉者が煉功しています。このような煉功場はアメリカにはたくさんあります。煉功場に通う、二人のお話です。

 一、中国語の勉強を頑張るスーザンさん

 中年のスーザンさんは、ミャンマーからアメリカへ移住してきました。家庭は円満で、6年後、マイホームを購入しました。

 しかし、晴天の霹靂でした。突然、なんの前兆もなく、ずっと健康だったご主人が亡くなったのです。出勤する途中、ご主人は車の中で意識不明になり、病院へ搬送されました。応急処置を受けましたが、助かりませんでした。スーザンさんはご主人を失い、その衝撃は推し量ることができません。一人で4人の幼い子供を養育し、住宅ローンを負担しなければならなくなり、窮地に立たされました。

 スーザンさんは苦しいながらも、親戚に助けられ、困難を乗り越えてきました。しかし、心の中にはずっと疑問がありました。「幸せを掴んだ矢先に、なぜあんな事が?」「なぜ、私にこんな不幸が?」という疑問でした。ある日、スーザンさんは親戚から法輪大法を紹介されました。その後、人生の真の意義を考えるようになり、その意味を理解してから、一切の疑問が解消し、性格も明るくなりました。「大法に出会ってから、私は大法を固く信じるようになりました。修煉の過程で、絶えず前進し、返本帰真しようと思います」と話しました。

 スーザンさんは最初、親戚の車に乗って海岸の煉功場に行き、終わると、別の親戚の車で帰っていました。ある日、スーザンさんは湖のそばの公園の煉功場で劉さんと出会いました。劉さんの煉功場の方が自宅から近いので、この煉功場に移りました。劉さんはスーザンさんの頑張っている様子に感動しました。湖からの風は冷たく、身にしみるので、劉さんは家で煉功しようと思いましたが、スーザンさんが真剣に煉功しているのを見て、「私も頑張って煉功場に行って煉功します。縁のある方と出会うこともできます」と言いました。

 最初の学法では、スーザンさんはミャンマー語の『転法輪』を読んでいました。さらに法理をよく理解するために、また地元の勉強会に参加するためにも、中国語の『転法輪』を勉強しようと思いました。中国語の全く分からない人にとって、これは容易なことではありません。しかし、彼女は決心しました。

 スーザンさんは家から遠いのですが、漢字を勉強するために、多くの人が参加している中国語の『転法輪』を読む勉強会に参加しました。家の机の上に、ミャンマー語と中国語の『転法輪』を開いて、一生懸命に勉強しました。しばらくして、中国語の『転法輪』のすべての文字が読めるようになり、地元の小グループの勉強会にも参加できるようになりました。

 二、大法を修煉して瀕死の状態から蘇った芹さん

 芹さんはさまざまな病気で苦しんでいました。ある日2階で、鍼と灸の治療を自分でしていました。近所の人が煙を見て、火事だと思い、消防局に通知し、消防隊員が駆けつけて見て驚きました。芹さんは足にたくさんの針を打っていて、体を動かすことができなかったのです。芹さんは、自分が誤解を招いて騒動を起こしたのだと気付きました。あの時、芹さんは死ぬほど苦しかったのです。

 芹さんが自殺しようと思ったとき、大法のことを聞きました。一縷の希望を抱いて、煉功場の大法弟子に電話しました。

 芹さんは法を学び、煉功をして、知らないうちに病気がすべて消えてしまって、健康になりました。まるで別人に生き返ったかのようでした。大法の活動にも元気で全力で参加するようになりました。

 芹さんが結婚した当初、年の差があるご主人を見捨てる恐れがあると言って、ご主人の親戚や親友は芹さんを信用しませんでした。芹さんは大法に従って、ご主人と障害者の息子の面倒をよく見て、親友の心配を取り除きました。ご主人は、芹さんが大法活動に参加するのを支持するだけでなく、本人も大法のことをたくさんしています。ご主人の同僚が英文の『大紀元時報』を読んでいるのを見て、ご主人は誇らしそうに「これは、私の奥さんが配ったのだ」と同僚に教えました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/3/4/253814.html)     更新日:2012年6月29日
 
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