【応募作品】現代神話:奇形児の息子が健康になった
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 【明慧日本2012628日】法輪大法が世に広く伝えられて20周年なり、世の中に数限りな奇跡が起こりました。以下に述べるのは、私が身をって体験した物語です。

 2009年の下半期、娘は高校3年生になり、大学受験の準備を始めました。私と夫は学校の近くに部屋を借りて、娘の勉強を助けました。9月になって、思いがけないことに、私は自分が妊娠した事に気が付きました。その時、私はすでに42歳になっており、早くから避妊していて、2番目の子供はいらなかったのです。娘は大学受験に臨んでおり、私はこんなに高齢で、いろいろな条件がすべて折り合いませんでした。しかし、この小さな命と私は必ず大きな縁があるはずです。さもなければ命を宿すはずはないでしょう。夫は善良で温厚な人です。私は夫と相談し、頑張ってこの子を生むことにしました。

 またたく間に妊娠5カ月になり、地元の産婦人科医が県立病院に通知をして、妊娠証明の手続きをしました。この日、夫は私を県立病院に連れて行き、出産前のいろいろな検査をしました。超音波検査が終わった時、医者は「この子は問題があります。あなたたちは急いで地元で最も権威ある保健所に行き、もう一度検査してください」と、厳かに告げました。私たちは急いで保健所へ行き、2回、検査を受けました。最後に医者は画像の入った超音波検査の立体彩色検査表を私たちに手渡して「この子は水腎症で、鎖肛です。あなたたちは瀋陽医大に行って最後の診断を受けてください」と言いました。

 そのとき、私たちはちょっと訳がわからなくなり、心が締め付けられました。こんなバカな話はないと思い、私たちはあきらめませんでした。そこで、二つの私立病院と、最後は医大へ行きましたが、結果が同じになる事を恐れていました。最後に、「もし私が子供を出産したらどうなるでしょうか?」と、私は医大の専門医に聞きました。「生まれたら、すぐに肝臓移植をして、人工肛門に換えなければなりません。また、知恵遅れになるかもしれず、早死にしやすいでしょう。やはりあきらめましょう」と、専門医は言いました。私と夫は落雷を受けたかのように、心が沈みました。家に帰ってから、夫は3日間、仕事にもいかず、1日中うなだれて一言もしゃべりませんでした。夜、娘は机の上に突っ伏して泣いてばかりいました。「もうだめよ。弟はこんなに大きくなっちゃったんだから。私は手も足も出ないわ。でも、手放すのは本当に忍びない」

 まったく、自然の成り行きに従って行動すれば、道はおのずと開けるものです! 3日目の午後、私は付近の小さな公園へ散歩に行き、法輪大法を修煉する老婦人に会いました。70歳くらいで、一目見て、気立てのよい人だとわかりました。その老婦人は私に、「三退」して命が助かることを話してくれました。そのとき、私は私たち一家3人を皆脱退させました。その老婦人はさらに私に「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」という九つの字を、いつも念じるように教え、「これは佛法で、災いを転じて福となし、苦難を幸運に変えることが出来ます」と言いました。

 「叔母さん、大法が素晴らしいことはわかりましたが、私に起こったことはあまりに重すぎます。それでも効き目がありますか?」と、子供の事をその老婦人に打ち明けました。「大法は不思議ですよ。あなたより恐ろしいことは多くありましたが、みな良い結果に終わっています。しかし、あなたは『誠意があれば、叶えられる』ことを信じなければなりません。あなたにそれができないのなら、こんな冒険をしないでください」と叔母さんは言いました。

 「息子のために誠心誠意心を込めて念じればよいのですか? それなら私は念じます」と言って、その日を限りに、私は心の重石が取れたような気分でした。私は夫に、「心配しないで、車で仕事に行くなら行って、勉強に行くなら勉強に行って」と、家に帰って夫と娘に話しました。何事も楽しくなり、何事もないかのようでした。

 その時から、「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」と、私は毎日念じました。1日何回念じたかわかりません。心の中では、ほかのことを考えたくなかったので、念じ続けました。あっという間に出産予定日になりました。近くに超音波検査ができる、2カ所の小規模診療所がありました。先に一つの診療所で羊水の状況を見てもらいました。ここの医者は優しい顔で、にこにこして、検査をしながら尋ねました。「別の医者に検査してもらいましたか?」「検査してもらいました」「それではちょっとおかしいですね。この子には病気があるのに、まだ気づいていないのですか?」「気付いています」「ではなぜ、そのままにしているのですか? 子供を出産したあと、どうするつもりですか? 私の方が落ち着かないですよ」「心配しないでください。私にはよい方法があるので、大丈夫です。9文字の縁起のよい言葉を、叔母さんが教えてくれたのです。それは佛法ですから、きっと大丈夫です」と、私は言いました。すると「命にかかわる重大事ですが、何を言ってももう遅い。ここまできたら生むしかありませんね。出産したら必ず一言教えてください」と医者は言いました。

 10日が過ぎても状況変化がなかったので、また、もう1カ所の診療所検査に行きました。この医者は冷たい顔で「こんな歳なのに2人目ですって? 病気があるのに、一体なぜこの子供が欲しいの? あなたの家が100万元持っていても子供の病気は治りませんよ。早く、子供を産む前に、医大に行っておろしてきなさい!」と、怒ったように言いました。「その医者の言う事を聞いてはいけない。家に帰って続けて念じよう」と夫は言いました。

 出産予定日を20日以上過ぎて、ついに子供は生まれました。男の子で、4050グラムでした。子供はまったく正常でした! 夫は飛び跳ねるほど喜びましたが、私はしかし、当然だと思いました。

 子供が満1カ月になってから、夫はたくさんのプレゼントを買って、私を連れてお礼を言いに、あの叔母さんのところへ行きました。「仙人のようなお人にお会いできました。助けていただいて、ありがとうございました」と私は話しました。しかし、「私にお礼を言わなくてもいいのです。私の師父に『ありがとうございます』と言ってください。法輪大法は人を救います、誠意があれば叶えられます。仏の慈悲には限りがありません!」と、叔母さんはにっこりと笑いました。

 「大法はこんなに不思議なのに、政府はどうして修煉させないのですか?」と夫が尋ねると、叔母さんは、共産党が法輪功を迫害した多くの真相や、大法が全世界に広く伝えられている状況を、私たちに話してくれました。「それじゃあ、私も学びます。私も人を救います」と私は言いました。「いいですね今、人々はまだ迷いの中にいます。あなたの親類や友人、周囲の縁ある人に、身を持って体験した子さんの事を話して、真相をわからせ、三退して自分を救い、災難をかわしてください」と叔母さんは言いました。私は「必ずやり遂げます」と答えました。

 その後、私は親戚、友達、同級生に息子のことを話し、大法の不思議と真相をわかってもらい、三退してもらいました。あの温和な医者も三退しました。

 修煉をしてから、私は肉づきもよくなり、以前のいろいろな病気はみな良くなりました。頑張って心性を修煉し、「真、善、忍」に基づいて良い人間になります。真相を話す時、やはりいつも息子の物語を話します。話すと必ず三退してくれます。「これは現代の奇跡だ!」 と人々は言います。

 (明慧ネット「法輪大法が伝え出されて20周年記念」応募作品)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/8/257119.html)     更新日:2012年6月29日
 
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