江蘇省:無錫市で不当拘禁の女性 拷問・薬物注射される
■ 印刷版
 

 【明慧日本2012年6月30日】江蘇省無錫(しゃく)市の定年退職者・梁愛英さんは、1995年10月に法輪功の修煉を始め、心身とも恩恵を受けた。梁さんは、2011年7月にようやく同省南通女子刑務所を釈放されたが、今月19日晩、また自宅から連行された。そして、家財や多くの私物を没収された。現在、梁さんは無錫市第2留置場に拘禁されている。

 1999年7.20以降、修煉を放棄しないため、梁さんは何度も強制連行され、精神病院・洗脳班労働教養所・刑務所で迫害を受け、一家離散し、肉親を失った。 

 梁さんは1999年7月19日、北塘区公安庁の支局に無錫大阿福ホテルまで秘密連行され、法輪功修煉者の蒋金竜さん(迫害され死亡)・陳氷玉さん・胡麗珍さんも同時に連行され、その後、市公安局の漁庄ホテルへ移送され、不当に15日間拘禁された後に釈放された。漁庄ホテルで秦文彬さん(迫害され死亡)も拘禁されていた。 

 1999年12月17日、梁さんは北京へ陳情に行ったが、24日に地元の警官に連行され現地へ戻され、無錫市恵竜派出所で3日間監禁された後、無錫市精神病院(無錫市第七人民病院)に3カ月半拘禁された。当時、胡鳳玉さん・胡鳳珠さんなど他7人も共に拘禁された。梁さん迫害に抵抗したため、ベッドの上に縛られて強制的に灌食された。梁さんは全身ひっきりなしにぶるぶる震えだし、当時の苦しさは我慢できないものだった。梁さんは煉功したことが原因で薬物を注射され、薬の分量は精神病患者の倍も多く、注射を終えた後に直ちに気絶した。かつて若い看護婦と医者の会話が耳に入った。若い看護婦が「彼女たちは病気がないのに、どうして薬を注射したのですか?」と聞くと、医者は「公安局の依頼だ、余計なことを言うな」と答えた。  

酷刑演示:打毒针(注射不明药物)

拷問の実演:薬物を注射される

 梁さんは法輪功の資料を作成して配ったため、北塘公安局に連行され、派出所で2日間監禁された。梁さんは書類への署名を拒否し、警官が代わりに書いたものを破って窓の外に捨てた。警官は梁さんの髪を引っ張って「ひざまずけ」と命令したが、梁さんが拒否したため、警官は左右15回の平手打ちを食らわせ、さらに棒で梁さんの頭を力強く5回殴った。そして、梁さんは不当に労働教養3年を科された。 

 2002年に労働教養所の賞罰大会で、梁さんは率先して「法輪大法は素晴らしい」と叫んだことで、5カ月間の刑期延長となった。梁さんは転向しないため、かつて2度独房に監禁され、1回目は78日間、2回目は2カ月間監禁された。30センチのレンガの上に立たされ、超えたら殴られる。警官はまた梁さんを小便のバケツのそばに立たせて臭いを嗅がせ、トイレや睡眠も許さなかった。梁さんの両足は腫れて、足のすね部分に水膨れができて、黄色の汁が滴った。警官はまた3人の受刑者に指示し、梁さんを押し倒して、非常に高電圧のスタンガンで梁さんの土踏まずや胸部に電気ショックを加えさせた。 

 2002年1月、梁さんの勤め先の書記と紀律検査委員会の書記が梁さんに暴力を加えた。梁さんは笑顔で「私は今回こんなに残虐な迫害を経験して、私ははっきりと分かりました。私は更に法輪功のすばらしさと大切さを感じ、共産党の恥知らずな邪悪さを認識しました。私は法輪功を修煉し続けます。共産党は要りません」と答えた。党の書記は「残念ながら、君の30年間の党歴と職務がなくなる、署名するか?」梁さんは迷いもなく署名した。 

 2004年11月、市610弁公室は30人あまりの警官を動員し、梁さんを妹の家から無錫市洗脳班まで連行した。 

 2007年7月、梁さんは法輪功の資料と神韻公演のDVDを配ったため、無錫市の南長公安支局に連行され、金星派出所で15日間、虎の椅子で拷問された。その後、懲役4年を言い渡された。  

酷刑示意图:老虎凳

拷問の説明図:虎の椅子 

 梁さんは南通女子刑務所に拘禁されていた間、夫が自宅で急死した。家には息子1人が残されている。 

 「真善忍」の信念を堅持したことが理由で、梁さんは何度も精神的、肉体的に苦しめられ、一家離散し、肉親を失った。さらに、釈放されて1年にも経たないうちに再び連行され、現在、未だに無錫市第2留置場で拘禁されている。  

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/26/259407.html)     更新日:2012年7月1日
 
関連文章