明慧法会|勇猛邁進し 師が法を正すことを手伝う(一)
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文/中国広東省 浄蓮口述、同修整理

 【明慧日本201276日】慈悲で偉大なる師父、こんにちは! 世界中の大法弟子、こんにちは!

 私46歳の時、1996中秋節に、40年間探していた師父にやっと出会うことができました。それから修煉を始めて15年の間に無数の魔難を経験してきました。微力ではありますが、私は命のある限り、師父が法を正されることを手伝います。師父、ご安心ください。

 一、大法に出会う

 私は子供の頃から天目が開いて他空間のたくさんの素晴らしい光景が見えました。幼いは下校後に、よく近所の寺院に遊びに行きました。長い白髭の道士は手に持った払子(ほっす)を振って手品を見せてくれたりして、可愛がってくれました。ある日「あなたの家は蓬莱路にあるよ。蓬莱はどういう場所か知っているかい?」と聞かれました。私は道士に弟子入りをお願いしましたが、「もう年だし、この寺院はもうすぐなくなる。あなたの本当の師父は旧暦48日生まれだよ」と告げられました。それから私は、誰に誘われても弟子入りには同意しませんでした。しばらくして引っ越した後地元とは疎遠になりました。大人になってから、もう一度その寺院を訪ねると、文化大革命の時に取り壊され、道士も行方不明になったと聞いて、私は号泣しました。

 90年代、私は金融部門で経理の仕事をしていました。資格は一切持っていませんでしたが、深センのある企業の求人に応募すると、資格を持った大勢の応募者の中から私が選ばれました。その理由は純粋で悪い心がなく、穏やかな性格をしているということでした。確かに私はよく人から「一筋に馬鹿正直だ」と言われました。企業側は人間関係のいざこざを一番恐れます。入社してからの私は毎年「優秀社員」として表彰され、誰も異議を唱えませんでした。一級ずつ昇級して最終的には深セン市の「優秀社員」に選ばれました。ずっと仕事が順調だったのは、私が「徳」を積んできたからではないかと思います。もう一つの理由は神様がずっと守ってくださったからでした。私はすべてにおいて争わず、人当たりが良かったのです。人に叩かれたとしても「昔、申し訳ないことをしたから、今になって罰が当たったのだ」と思うようになりました。

 かつて母は気功の本をたくさん買って私にも教えようとしましたが、どうしても気が進みませんでした。その後、母が19934月に広州で開催された第一期法輪大法勉強会に参加したことを私は知りませんでした。1996年の中秋節に、私が広州に帰省した際、実家の机の上に本が重ねて置いてあるのを見ました。その転法輪眩しく光っていて、とても不思議に思いました。手に取って後ろから読み始めました(私の習慣による)。師父のプロフィールを読み、お生まれが旧暦の48日だと分かった途端、私はすぐ跪いて「師父、やっと見つけました」「やっとお会いできました」と言いながら泣きました。天目で見た師父も泣いておられました。師父の目は充血しているようで赤かったのです。

 「お母さん、この本を私に頂戴」「だめよ、私も必要です」(当時、『転法輪』は入手困難だった)。仕方なく母のところから一番薄い『法輪大法義解』を借りて読みました。その後「私は返本帰真しなければならない」と悟ったとき、その場で師父は私の体を浄化してくださいました。

 深センに戻った後、あちこち煉功点を探し回りました。やっと見つけたところですぐ全功法を教わりました。煉功点での初日から、私は煉功音楽が鳴る限り煉功をやめないと決めました。一日に少なくとも23回煉功し、座禅の時間も長くして時には一晩中座禅することもありました。痛みを恐れず、寝なくても元気でした。師父にお会いできて、この上なく幸せでした。

 心を修める

 いつも思うのですが、私の命は人間になるためでもなければ、生活を楽しむためでもなく、修煉して元の自分に戻るためです。心を修める面では堅実にしっかり行ってきました。師父も私にどんなに細かい事も厳しく修めなければならないと、要求されました。

 例えば、母と妹が電話で世間話をしていた時、聞いてはいけないと分かっていながらも、つい傍らで聞いてしまいました。いけないことだと気づいた時一生懸命内に向けて探してみました。こっそり他人の会話を聞くことや、他人のプライバシーを尊重しないこと、好奇心やお節介の心などたくさん見つけました。師父はそれをご覧になり、最終的に真っ黒良くない物を取り除いてくださいました。見つかった執着心は千百年の観念あるいは業力によって形成されたもので真っ黒でした。師父はそれを一つの白い塊に変えてくださいました。私は心を修めてすべての執着心を取り除くことが最も重要な事だと分かりました。

 それから郵便局に送金に行った時でした。待っている人々が長蛇の列を作っているにもかかわらず、割り込む人がたくさんいました。ちょうどその日は用事があるために急いでいました。ところが今度は私の目の前に人が割り込んできました。「どうして割り込んできたのだろう?」「もしかして、前世で彼に借りがあったのではないか」「急いではいけない」「今こそ業を返す時だ」と、急ぐ執着心を取り除かなければならないと悟りました。

 また、青果市場で買い物する時は値段を聞かないようにしました。しかし商売人が野菜に水をかけてから売り出すのを知ってから、必ず水を切るという良くない習慣が身につきました。ある日いつも通りに野菜の水を切ろうとすると、なぜか手の感覚が不自然になり、それからしばらく続きました。「全ての事において心を修めなければならない」のであって、これも一つの貪欲な心だと悟りました。以降、私は二度と水を切ることはなくなり、その症状も自然に消えました。不思議な事に当時は収入がなく、家のローンもまだ残っていて金銭的な余裕がありませんでしたが、正しい心理状態で買い物をすると、思いにもよらない安さで食べたい野菜を買う事ができました。内心で「どうしてこんなに安く買えるのだろう」と思う事がよくありました。

 またある日、たくさんの買い物客がいました。私は代金を払った後、ずっと5角の釣り銭を待っていました。待っている内に「師父、私が悪かったです」と気づき、忘れようと思いながら家に帰りました。日常生活の中の出来事では、利益や金銭などに動かされないように、すべてを放下するように心を修めていきました。

 師父はすべてを法に照らさなければならないと私に要求されました。本を開くと「事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」(『洪吟』「實修」)の「事々」の文字が大きく拡大されて見えました。「師父、私は『事々対照し』がまだきちんとできていませんでした」と内心で反省しました。時には「常に心性を修め」(『洪吟』「真修」)の「常に」の文字が大きく拡大されて現れました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/9/248887.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/13/129448.html)
 
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