明慧法会|明慧ネットに情報提供をする中での修煉体験
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文/中国の大法弟子 一粟

 【明慧日本201278日】慈悲なる師父、こんにちは! 全世界の学習者の皆さん、こんにちは!

 私は1996年に修煉を始めた大法弟子で、今年で72歳になります。大法の中で15年間修煉し、師父の慈悲と大法の威徳が私を社会の厳しさやたくさんの失敗、人心とのぶつかり合いの中から支えてくださり、今日まで歩んできました。修煉の体験はたくさんありますが、ここでは主に師父に私が「三つのこと」をしっかりやっていることと同時に、2004年から今までの7年間で明慧の情報提供の仕事をしてきた体験を報告したいと思っています。認識に限りがありますので、妥当でない所があれば、指摘をお願いします。

 自ら明慧ネットに投稿する

 2004年のある日、県内に住む外地の年寄りの大法弟子が彼女の息子が地元の警察に連行されて留置所で迫害された状況を私に話しました。私は彼女の息子の職場の場所と、彼女の息子と二人の娘が大法弟子であることしか知りませんでした。すぐに明慧ネットこの情報を提供しようにも、条件が整っていないので、外地の学習者に頼んでこの情報を明慧ネットに乗せてもらおうとしました。私がこう考えているとき、頭の中には突然師父の法が浮かび上がりました「大法弟子は一体となっており」(『師父の学習者の文章に対するコメント』)これは慈悲な師父が私の悟りを開かせてくださったと知り、すぐに大法の修煉には場所や民族の区別は関係ないとわかり、私は初めて明慧ネットに邪悪の迫害に関する資料を送りました。

 その後、地元の学習者が彼らの村にいる法輪功に対して前後違った態度をとった女性について話しているのを聞きました。その女性は最初、法輪功を批判し罪を着せ、その報いとして頭にでき物が出来ましたが、その後真相を聞き、自分が犯した罪いを受けたと知り、自分の間違いを認め、過ちを改めようと、心を込めて「法輪大法は素晴らしい」、「真、善、忍は素晴らしい」と言い、頭の中のでき消えました。このような物語を使って真相を伝えると、地元の人々にとって最も受け入れやすいです。このようにった私は再び自ら明慧ネットに投稿し、二つの文章とも掲載されました。私は投稿など考えたこともありませんでした、学習者の記述を聞いて、能動的に投稿したので、これは自分の明白で修めた一面が効果を発揮したのだと後から思いました。そして、これは慈悲な師父が私に下さった修煉の道でもあると悟りました。

 うまい具合に2005年には地元で中心協調チーム成立され、私は明慧ネットへの情報提供の担当を任命されました。このすべては師父が下さったものなのです。明慧ネットに情報提供することは大法のためです。私はこの仕事をきちんとやり遂げることを自分の修煉を精進するための過程と決めました。

 原稿を書く過程で利己心をなくす

 2005年、我が県の大法弟子は我が県の悪党警察や悪人たちの悪行を徹底的に暴き出そうと決めました。ほとんどの大法弟子たちの教育水準はそれほど高くなく、学校に通ったことすらない者もいため、私はたくさんの学習者のために邪悪を暴く文章を書きださなければなりませんでした。万が一学習者が捕まって、私のことを口走ってしまうことを恐れ私は学習者A情報収集を頼み、私はそれを文章にまとめ、そしてそれを学習者に明慧ネットに載せてもらうように頼みました。学習者Aはすぐに最初の資料をくれて、私それをまとめた後、確認のため別の学習者に頼みました。確認の過程でこの仕事は自分でやらなければならないということに気づきました。この過程で、迫害された学習者一人一人がみな実名で、住所や迫害された経過(時間、場所、迫害の手段、悪党警察の名前までも)、何の迷いもなくはっきりと伝えてくれました。このことに私は深く感動、何事にもまずは自分の安全を確認するという自分の恐れる心理を見つけ出しました。それ以来、私は資料収集を始め、最初の原稿にまとめ、学習者に確認を頼み、最後に原稿を定めることまで、すべてこの身で体験しました。このように、原稿を完成するたびに私の「恐れる心理」が知らず知らずに無くなっていきました。

 地元の悪党警察を暴く文章は明慧ネットで大量に発表され、地元の悪党警察を沈静化し、衆生の救い済度に大きな役割を果たしました。二つの例を挙げます、一つ目はある日、学習者が街で真相を伝え、真相資料を配っていた時、密告されて警察署に連行されてしまいました。警官は学習者のカバンから真相資料をあさり、二人の警官地元に関する真相冊子を持って急いでめくりながら、「私の名前あるか見てくれ」と言っていました。二時間もしないうちにその学習者は家に帰りました。

 二つ目は、ある警官が我々のある学習者に、「私はあなたを迫害していない。そうだよね。あなたが修めて、あなた方の師父に会ったら、私のことをうまくいってくれ」と言いました。

 2005年以降、地元の環境は前と比べて緩やかになりました。「相は心より生じる含意をさらに理解することができました。環境は我々が切り開かれ、そして環境は我々の心境によって変化するのです。

 純粋な心で原稿を書くと、効率が高くな

 学習者の文章を整理しているとき、だらだらと長く乱れている文章や、内容は良いが交流する必要があ40字にも満たないような文章に遭遇します。このような文章に対して私はまず「冷静、冷静、決して急がてはいけません」と思います。本当に冷静になったとき、自分たくさんの心を無くすべきであると気づきます。たとえば、面倒を恐れる心理、我慢できないところ、学習者に不平をこぼすところ、学習者を見下ところ、自分が正しいと思うところなど、これらを文章整理をするなかで無くしていき、心性も高まっていきます。

 学習者が提供してくれた資料を文章に整理していくときに心が清らかであれば、効率は非常に高まます。ある時、学習者が地元の洗脳の犯罪資料を持ってきて、内容が複雑で、はっきり整理できないと言ました。その学習者には仕事があり、やることもたくさんあって、確かに忙しそうだったので、このことは自分がやるべきだと思い、早く文章を整理し、この全国も邪悪な施設の罪を一刻も早く暴き出すこと以外何も考えていませんでした。

 その資料を手に取ってみると枚数が多かったのですが、私は急いでペンを持とうとせず、まずはを静めてあわてずに資料を真剣に読みました。読んでいるうちにふと周りがとても静かで、まるで何もないかのように感じ、自分の思考だけが資料に集中し、二度読んで、文章をまだ構成していないのに、「肉体への迫害」「乱暴に食べ物を口に押し込む」「薬物による迫害」「精神への迫害」などの小さなテーマが、まるで映画のようにの前に現れました。これは師父が私を助けてくださっていると知り、私はテーマごとに関連する資料を選択し、組み合わせました。そして、すぐに文章をまとめることができ、明慧ネットに送り、明慧はこのことを報道しました。

 本当のことを言うと、自分の作文レベルを考えれば、このような短時間の間に、これほど多い資料を分類しかつ文章に整理するには不可能で。慈悲な師父が私のこの純粋な心を見て、私に知恵を授けてくださ、師父の励ましのもとで順調に文章に整理することが出来たのです。私は早く資料を整理するという願いだけで、すべては師父がしてくださったことなのです。「修は己にありて、功は師にあり(『転法輪』)」を本当に体験しました。

 自分の十五年間の修煉を振り返ってみると、いくつかの執着心は今後の学法の中で、「三つの事」をきちんと行う中でなくしていくべきです。いくつかの不足の部分自分がこれから歩むべき道なのです。「師が法を正すことを手伝う」ことを着実に行うためなのです。

 最後に師父の『師が法を正すことを手伝うとは何か』の一段落を書き写し、学習者たちとともに頑張っていきたいと思います。「『師が法を正すことを手伝う』とは大言壮語でも空論でもありません。実は私はいくつかの 問題を話しただけで、法を信じていない事例はまだたくさんあります。大法弟子として、千万年待ち望んでいることとは…。学習者としてあなたがこの世に来た唯一の真の願いとは…。師父として、法を正す中であなたと衆生を救い済度することができるかどうかに関して、成敗は今回の劫難にかかっています」

 師父に感謝いたします! 学習者に感謝いたします!

 (明慧ネット第八回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/23/249114.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/9/129997.html)
 
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