明慧法会|勇猛邁進し 師が法を正すことを手伝う(三)
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文/中国広東省 浄蓮口述、同修整理

 【明慧日本2012712日】

 もっと高くまで修めたい

 大法の修煉過程は実に速いのです。執着を見つけて心を修めれば、修煉の向上は非常に速いのです。私は1996年の中秋節に大法の修煉を始めました。翌年の1997年の中秋節に私は師父に「中秋節は円満を意味するので、私も必ず円満成就します」と誓いました。

 『精進要旨』「時間との対話の経文を学んだ後、精神的な負担が大きく、夜になるとよく泣きました。私は「水滸」中の人物だったことがあり、人殺しをしたことがあり、とても恐ろしです。今生では人工中絶をしたりネズミを殺したりして、数多くの命をいじめて輪廻の中でずっと業を造っていました。まだ返していない業力がたくさん残っていますので、いつになったら清算できるのか? どうすれば上へ修煉していけるのか? 恐らく来世は人間にすら生まれ変われないのではないかと思うと、師父を見るだけで涙が出てきました。

 そんな私を見て師父は手で私を上へ押し上げて全てを見せてくださいました。実に美しい光景でした。天女が花を散ら様子や佛になった自分が見えました。その次元に達したからだと思います。まさに師父のおっしゃった「満載の凱旋に神々が出迎える」(『感慨』)の通りでした。しかし私は回りで何も起きていないかのように「聞か」「気にせず」で、師父だけを見ました。いつも師父が私を見られる時は泣かれているので、その時の師父の表情を確認してみました。他の空間はどこにも美しい音楽と踊りがあって皆が微笑んでいる中で、師父だけは笑われていませんでした。「どうして師父は笑わないのでしょうか」と不思議に思っていると、「見てごらん、あなたは永久に人身を得たのです。もう三界に戻って輪廻する必要はありません」と師父が話されました。私が下を向いて見たら体に一つの卍符が付いていました。

 「師父、私はまだ修煉したいのです」と言うと「もう神になれたので修煉をやめたらどうですか。これからの修煉もっと大きい難がやってきますよ」と、師父は反対の言葉を言われました。しかし私は「他の空間で見れば佛や如来も人間から成就しました。私はもっと高く修めたいのです。苦など全く恐れていません」と師父に言いました。「それなら分かりました」と師父は言われて、私を下ろしてくださいました。それから現在まで弛まず修煉を続けてきました。

 最初から修め直す

 私達の全ての修煉過程は消されることなくそのまま記録に残ります。かつての修煉過程と現在の修煉の様子を私は知っています。大法修煉は真っ直ぐに人心を指しており、すべての執着心を取り除くことが最終の目的です。修煉の中で師父はある程度私の功能を開いてくださいました。他の空間光景を見せてくださったのは、まだ残っている執着心を探させる為だとわかっています。

 私は好奇心が強く、その執着心を取り除くまで、たいへん時間がかかりました。例えば他の空間でたくさん大きな目が見えました。私は師父に「まだ師父の目が見えません。師父も大きな目をたくさん持っていらっしゃるはずです」と話しました。その時そばに座っておられた師父を見ると、たくさんの大きな目が見えました。すぐに気づいて「師父、私は見ません。それは執着心です」と言いました。私の見たい物をなんでも師父が見せてくださったのはその執着心を探して最終的に取り除かせる為です。例を挙げると、「三花聚頂」は実に美しく、緑、オレンジ、淡い黄色を合わせて三輪になり、私はぐるぐる回る様子に見とれてしまいました。それも師父が見せてくださいました。しかしふと気づいて「師父、私はもう見ません。もう執着しません。自分が三花聚頂まで修められるようにします」と言いました。

 他空間で耐えておられる師父を見

 師父の『精進要旨』時間との対話を読んで、とても悲しくて泣きました。修煉しない人が大勢いるので私は法を広めていこうと思いました。生きている内に修煉をしないのはとんでもない事だと、腑に落ちない気持ちでいっぱいでした。本当は他の空間では皆が私の事を恐れることがなくすごいと言っています。旧勢力の法理についてよく分かっていませんでしたが、師父が何者かに妨害されているのを感じていました。「7.20」後に起きた現実を理解できなかった私は天安門を訪れて天に向かって問いかけました。

 ある時、他の空間で師父を探しました。師父とは何かの因縁関係を持っているので、さほど時間は掛かりませんでした。師父は負の生命に縛り付けられ、服がボロボロになるほど鞭で引っぱたかれているのが見えました。泣き出した私は鞭を奪って折ってしまい、その負の生命を激しく罵りました。ところがその時師父は「縛り付けて土下座させよ」と命じられました。私は厳重に縛り付けられた後に土下座しました。師父は私に「よく反省するように」と言われました。慈悲なる師父は私達の代わりに全ての業力に耐えておられました。師父のその姿を見てやりきれない気持ちになりましたが、しかし師父は私達を済度する為に耐えておられました。あの負の生命は何も気にせずに師父に命じられたままにやっているだけだと悟りました。かつて大勢の神は耐え切れませんでしたが、しかし師父は十分にその力を持っておられると熟考した後、私は「師父、私は間違えました。これからもう二度と鞭を奪う事はしません」と泣きながら言いました。その後も、師父が耐えておられる光景を見て、やはり堪えられず涙が止まりませんでした。師父の功身が耐えておられました。師父の法身も耐えておられました。あらゆる場所にいらっしゃる師父が耐えておられました。

 私は見たら泣き、また見たら泣きました。師父は「障眼法」を用いて私に見させないようにされました。しかし思い出す度に私は泣きました。そこで私は自ら苦しみを引き受けることを決意しました。

 天の胆

 1999年「4.25」の後に何となくそれからの情勢の変化を予感していました。座禅している時に大法が攻撃され迫害され、同修が刑務所に入れられているのが見えました。しかし当時はその日がやってくるのを待つことしかできず、迫害を阻止しようとか解体しようとは思いませんでした。頭の中で、それは自分達の業力による災難だと思い、「正法修煉」という概念は全くありませんでした。

 「7.20」の後は4回北京に行きました。北京にいた1年の間に10数回も連行されました。私は天安門広場で煉功するのが大好きで、いつも最後の1人になってしまいました。他の修煉者が連行されていくのを見て「どうして私だけ捕まえないのだろう」と不思議に思っていました。北京にいた間、江沢民と中国を訪問中のアナン国連事務総長を訪ねて中南海まで行ったことがあります。江沢民を告訴しようと思っていましたが、北京で同修が見つからなかったので断念しました。

 実は、私の難はほとんど自分の執着心に起因し、師父の按排によるものはあまりありませんでした。北京で連行される度に私に取り除かなければならない執着心があったのです。幸いな事に按排された難ではなかった為、執着心が見つかれば容易に脱出することができました。当初はひたすらに苦に耐えて業を返そうとしていたので自ら苦を求めていました。師父に対して強い人心と情を抱いていたので「正法修煉」の真の意味を悟る事ができず、自ら人為的な難を増やしてしまいました。

 猛威を振るう邪悪に圧倒される中で、北京に平然としていられたのは、師父から天の胆をいただいていたからです。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/11/248891.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/21/129610.html)
 
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