【明慧日本2012年7月13日】懲役15年の重刑判決を不当に下され、黒竜江省の牡丹江刑務所に収容されている法輪功修煉者・於宗海さんは、6監区に減刑を申請した。裁判所側が於さんに「転向」したという事実を確認した時、於さんは否定し、2009年に刑務所で残虐な拷問を受け、強制「転向」させられた事実を述べた。それにより、6監区の警官は厳しく注意を受けたため、警官は於さんに報復し、長時間にわたって立たせた。
2009年、同刑務所の610弁公室のリーダーは、湖南省長沙市で「全国610弁公室会議」に参加した後、法輪功修煉者の「転向」率を高めるため、さまざまな手段を使って、法輪功修煉者を迫害し始めた。リーダーは警官に「法輪功たちの命を落とさなければ、どんな手段を使ってもよい。1人も残さずに転向させろ」と指示した。
指示を受け、各監区の警官は3~4人の受刑者を1人の法輪功修煉者に対して暴行させた。受刑者らは法輪功修煉者を殴打し、長時間にわたって寝させない、塩水を灌食した後、水を飲ませない、テープで体を縛る、服を脱がさえて冷水を浴びせ、零下10数度の屋外に放置するなど、非人道な手段を使って、法輪功修煉者たちを苦しめ、「転向」させようとした。刑務所側は、法輪功修煉者と家族の面会も許さなかった。
於さんは牡丹江図書館の元職員で、図書館の美術設計の仕事をし、労働模範の賞を与えられたこと
がある。しかし、その後、於さんは大腿骨頭壊死症を患い、力仕事が全くできなくなった。治療のため、於さんはいろいろな病院を訪ねたが、効果がなく、医者に足の切断を勧められた。しかし、於さんは1994年に法輪功の創始者・李洪志先生の大連での学習班に参加した。学習班から家に帰った於さんは米100kgを背負って、階段を使って一気に5階まで運んだ。本当に於さんの身に奇跡が起きた。その後、於さんは心身ともに元気を取り戻した。
しかし、1999年7.20から、中共(中国共産党)政府は法輪功への弾圧を開始した。
於さんは法輪功を学んでいるという理由で、2001年に当局に連行され、懲役15年の重刑判決を宣告され、牡丹江刑務所に収容された。
2004年10月末、於さんの家族は於さんに送金したが、警官に奪われてしまった。警官に返金を求めた於さんは殴られ、鼻や口から血が流れた。
2006年8月末、6監区で重労働を強要された於さんは、労働現場で左目を負傷し、涙腺が断裂した。しかし、すぐに病院には連れて行ってもらえず、障害を負ってしまった。於さんが目の障害を負ったにもかかわらず、警官に「虎」の絵を書くことを強いられた。「虎」の絵は市場で高値で売れられるためだった。
於さんも他の法輪功修煉者と同じように、服を抜がされ、冷水で浴びせられ、零下10数度の屋外に放置されたことがあった。
2010年年末、於さんは警官に暴力を振るわれ、足を骨折し、胸骨も突き出て、めまいを起こし、目ははっきり見えず、歩くことも困難になった。このような状態に至っても、於さんは相変わらず重労働を科されたという。