明慧法会|「あなたたちの師父はとてもすごい」(一)
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――行動で法を実証し、衆生を救う

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012713日】修煉を初めて14年、これまで交流文章を書いたこともありませんでしたが、今年、明慧ネット第8回大法弟子修煉心得交流会の原稿募集があり、同修参加してもらおうとしましたが、私は上手く文章を作ることができず、はただ口述できるだけですので、同修に代筆してもらいました。

 私は農村の貧しい家庭に生まれ、また子供の頃に母親精神病だったので、私は10何歳で飯炊きを始めました。勉強したのは3年に満たなかったので、知っている字は多くありません。しかし修煉後、私は転法輪を流ちょうに通読することができます。私小さい時、ぜんそくにかかり、ひどい時は何もできなくなり、呼吸ですら、とても困難でした。法を得た後、師父は私のために身体を浄化してくださり、11日前後で病気はすっかり治り、歩けるようになって、仕事も気持ちよくできるようになりました。

 煉功創立されたばかりの時、場所は姉の家でした。姉は指導員でした。あの頃、私は何もわからず、ただ姉について学法、煉功していただけでした。しかしある時、姉は夜間に心臓病の発作を起こし、突然亡くなりました。その突然の出来事は、私と他の修煉者を驚かせました。その時、中には理解できない人もいて、「法輪功の修煉は師父の保護があるのではないですか?」と言い出しました。そして、すぐに本を返してきました。「姉の事故で修煉を止めてはいけない。私は修煉しなければならない。私が修煉しなければ、その影響は大きすぎるだろう。誰が何を言っても、内心では大法が良いという事を確信している」と、その時、私は思いました。

 その後、煉功場は他の同修の家に設立され、私は毎日、夜に煉功場に行って学法、煉功し、同修たちと切磋琢磨しました。そして、だんだん師父が説かれた法がわかってきて、病気はみな、以前悪い事をして造られた業であり、以後はくれぐれも悪事を働いてはならず、師父の要求通りにやらなければならないということがわかるようになってきました。

 「そのかわり、心性の向上に関する突出した例はきわめて多くあります。例えば、山東省某市のメリヤス工場で働くある煉功者は、法輪大法を学んでから、同僚たちにもそれを教えました。それによって、この工場の人々の心掛けが大きく変わりました。以前、従業員たちが工場からタオルの端切れを家に持ち帰ることがしばしばあり、みんなやっていました。しかし功を学んでから、彼はタオルの端切れを家に持ち帰ることをやめただけでなく、それまで家に持ち帰った分も工場に返しました。それを見ると、誰もやらなくなり、なかには家に持ち帰ったタオルの端切れをまた工場に返した人もいて、工場全体にこのような様相が現れました。」(『転法輪』)私は師父の説法のこの話を学ぶたび、自分が以前、どこで何をして、誰の何を取って来たのか、という思い出がよみがえります。かつて、人民公社が経営する工場の食堂で飯炊きをしていた時、食堂のポリバケツを家へ持ち帰って物入れに使ったことを思い出しました。何年も前の事ですが、しかし、私は学法しています。高い基準で自分に要求しなければなりません。そこで、自ら工場長を見つけ、ポリバケツを戻し、「私は以前私利私欲をむさぼり、物事がわかっておらず、間違ったことをしました。今、私は法輪功を修煉しています。ですから、以前と同じようにすることはできません」と、誠意を込めて言いました。工場長は微笑みながら、不思議そうな様子でした。その後、工場長は、私たちが工場の庭で煉功することを許してくれました。また何年も前、私が生産隊で草取りをしていた時、隣のとうもろこし20数本を折って自分の家へ持って帰りました。私は謝罪するために隣人へ会いに行きましたが、恥ずかしくて口を開けませんでした。しかし、師父の法を考えると、こんなやり方では駄目だとわかりました。送り返さないといけないのです。私はかごにとうもろこしをいっぱい入れて、隣人にこの事を説明しに行きました。隣人は話を聞いた後、私を見ながら笑ってばかりいました。そして、何を言ってもとうもろこしを受け取りませんでした。

 「あなたが受け取っていただけないというのは駄目です。私が今、法輪功を修煉しているのを知っていますよね。師父は私に良い人間になるように言っています。これからは、何をするにしても他の人を第一に考えるのです」と、私は言いました。隣の人は私の話を聞くと、とうもろこしを受け取ってくれました。

 19997.20後、私は省都へ陳情に行きました。次の日、帰ってくると、地元の交番から数名の警官私の家へ来て、私に大法の書籍を引き渡すように言いました「あなたたちに渡したら、私は何を修煉すればいいのですか?」と、私は反問しました。警官は仕方なく去って行きました。ある日隣人警官パトカーで私の家に向かっているのを見、慌てて塀を乗り越えて私に知らせに来ましたが、私が留守と気づきました。鍵がかかっていたからです。隣人は私の家の中に掛けてある大き師父の写真を一目見ると、窓から乗り越えて入ってきて、師父の写真を持ち去りました。夜、私が戻った時、隣の家の人は師父の写真をまた私に返してくれました。その時、私はとても感動し、それ以後、私はさらに厳しく自分に要求しました。冬にどれだけ雪が降っても、家の玄関の前とみんなが歩く道を、私はみなきれいに掃除しました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/18/249043.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/5/129863.html)
 
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