文/中国広東省 浄蓮口述、同修整理
【明慧日本2012年7月24日】
初の発正念
強制労働教養所で私は、師父の新説法「導航」(『米国西部法会説法』)を拝読することができました。最初のお言葉「お久しぶりです」を読んだ瞬間、声をあげて泣きました。2001年7月の出所後は発正念を重要視するようになりました。発正念は師父が要求されている「三つのこと」の一つですから。
深センに着いたらすぐ、地元の煉功点指導員の家に行きました。彼女が買収されたスパイだという事を、当時の私達は知りませんでした。たくさんの同修は、彼女が良い人だと疑いなく信じていました。その時、彼女は法輪功を誹謗する劇の宣伝横断幕が掲げてある場所を教えてくれて、しかもこれからも上演の予定があると、わざとらしく私に言いました。発正念で排除しようという私の意見を受け入れたように見せかけて、「先に行っていて。私は少し遅れて行くから」と言いました。そうして私は急いで劇場へ向かいました。横断幕に書かれた大きな文字と、その下にはたくさんの良くないものが見えました。私はそこを囲むかのように、大声で正法の口決を念じ始めました。すると知らない人がやって来て、「遠くからでも叫び声が聞こえてくるよ。発正念はそんなに大声を上げてするものではないよ」と言われました。私は「もうたくさんの邪悪を退治したよ。最初は梯子を探して横断幕を外そうと思っていたけど、同修が見つからなかったので一人で発正念することにしました」と言いながら、そこに座って黙々と発正念を始めました。その時、他空間で横断幕が破棄されたのと大法を誹謗する劇の上演もできなくなったのが見えました。
師父はまた、私に公安局で発正念するようにとご教示されました。私は相変わらず大声を上げて発正念をしていました(当時は要領をよく分かっていませんでした)。発正念の口決はエネルギーが強大で、声が出た瞬間にもう邪悪を殺せると思っていました。発正念の短い口決は本当に素晴らしくて、大法の威力も強大だと思っていました。
二度目の違法な労働教養
広西の当時の現状は相当劣悪で、大法の資料が全く手に入りませんでした。地元に大量の大法書籍、新経文、真相資料を制作している大型資料点があって、箱単位の資料を広西までに運んでいました。ある時、二人の同修と一緒に大量の資料を広西に持って行って配りました。残りの僅かな資料は現地の指導員に差し上げて、その時、師父は二人の同修と離れるよう私にご教示くださいました。しかし忍びない気持ちで彼女達と離れることができませんでした。結局三人とも広西強制労働教養所の教育隊に拉致されて、三人の内の一人の同修の子供はまだ幼く、洗脳班に連行されている途中でなんとか逃走に成功しました。彼女が深センに帰ってそれぞれの家族に二人が違法な労働教養所に拘禁されている事実を電話で説明して初めて、家族は私の行方が分かるようになりました。2002年1月から2005年1月までの三年間の違法な強制労働教養でした。
労働教養所に監禁されている法輪功修煉者は、「転向した」人と「信仰を放棄しない」人の二つに分かれていました。「信仰を放棄しない」人は「転向した」人の場所に拘禁されることもあって、最初の一カ月を一緒に拘禁して、「転向」したらそのまま「転向」の場所に居残りますが、「転向」しなければ元の場所(「信仰を放棄しない」)に戻されます。私はずっと「転向」の場所に拘禁されていたので、一部の同修に裏切り者扱いされていました。
邪悪は私に、彼らの欲しいものを書かせようとしていました。初め「法輪大法は素晴らしい」と書いた後にまた書けと言われたので、恐らく固い決意が伝わらなかったのかなと思い、更に真剣に書きました。しかし三度目も再び書けと言われたので、今度は恐らく真相が伝わり切らなかったかなと思い、もっとはっきりと書きました。このように9回も繰り返された結果、とうとう警官は私の書いたことが分かるようになりました。
恐らく警官らは私を帰したくても理由がなく、自らこっそりと帰って欲しいかのようにいつもドアを開けっぱなしにしていました。しかし私は帰りたくありませんでした。なぜかというと広西は師父が法会を開かなかった程、邪悪因素が多い地域だからです。私の知っている同修の中で、一番早く法を得た人は1998年でした。大変混乱している地域で、当時の私はここで邪悪を取り除こうと思い、何処にも行かないことに決めました。教育隊に拘禁されている長期間、私は師父に他空間まで法を正しに行かされました。通常は夜寝ている時でした。元神は肉体から離れてたくさんの邪悪を取り除き、たくさんの事をこなし、出所が近くなった頃、私は無形の境界まで修め得ました。師父は私を一輪の蓮の花に演化されました。
同修を助ける
労働教養所で邪悪はいつも、テレビ・スピーカーを利用して大法を誹謗中傷し、迫害していたので、私は発正念をして取り除きました。テレビが黒くなって見られなくなり、スピーカーも音声が出なくなり壊れてしまいました。どんなに修理しても直せませんでした。
ある同修は長い間ずっと、手錠を掛けられているのが天目で見えました。私は発正念して他空間の彼女に掛けられた手錠の鍵を三回も開けましたが、その同修は人心が強くて常に他人の不満を口にしていました。私は彼女の所に話しに行きたくて、見張り番の警官に要求しました。最初は断られましたが「ほんのちょっとだけの時間でも構わないから」と粘ってみたら、ついに同意してくれました。「今晩、あなたの手錠が開くので心の中で『真・善・忍』を念じて下さい。他の事を一切考えずに『真・善・忍』を念じる事に専念して下さい」と彼女の所に行って言いました。それから彼女は心性の難関を突破でき、もう二度とは手錠を掛けられる事はありませんでした。自ら執着心に気づくまで乗り越えなければならない難関を与え続けるのは、邪悪の一貫した手口です。執着心を取り除いたところで初めて邪悪に認められます。
ある日、夢を見ました。私は歩いている時に水が見えたので飛び込みました。後に続いて飛び込んだ人がいました。良くない物が目に入っても気にせずに、ひたすら前へ前へと進み、岸まで泳ぎました。ところが翌日、もう一人の同修も同じ夢を見たと分かりました。彼女が「昨夜、あなたの後に続いて飛び込んだが、しばらくしたらあなたの姿が見当たらなくなったよ。本当に逃げ足が速いのね」と私に言った後、私は「昨夜は二人とも大変大きな難関を乗り越えられたよ」と彼女に話しました。その同修は私と大変相性が良く、彼女が酷い迫害を受けて嘔吐しながら足が動かなくなった時、病院に搬送される寸前になって彼女は「誰も私に触らないで! ××大法弟子に会いたい!」と大声で叫びました。他の同修からその事情を聞いた私は、彼女に会いに行くと決め、誰も止めることはできませんでした。全く気にせずに早足で駆けていったら、警官も捕まえられずお手上げでした。彼女に所に着いて、私は動かないように指示して彼女の為に発正念しました。そうすると彼女は直ちに治りました。また、別の同修も彼女を真似て大変な時に私のお見舞いを要求し、本当に私が行ったら同じようにすぐに治りました。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)