【明慧日本2012年7月26日】縁縁ちゃんが初めて父と会ったのは6歳の時で、2007年の年末だった。それ以前、縁縁ちゃんは数えきれないほど父の写真を見ていたが、刑務所から出て来た父の姿を見て、縁縁ちゃんは戸惑った。目の前の薄白髪で、顔に皺のある父の姿は、写真と全く似ていなかったからだ。
李錚さんと呉春霞さんは、2人とも法輪功修煉者である。
李錚さん(男性、1970年生まれ)は大学卒業後、黄石市のある製薬会社に就職した。呉春霞さん(女性、1973年生まれ)も、黄石市の大手企業の従業員だ。1999年7.20、中共(中国共産党)が法輪功への迫害を始めてから、2人とも勤務先から解雇された。
13年来、夫妻は法輪大法を学び続け、「真・善・忍」の信仰を放棄しないという理由で、何度も中共当局に迫害された。李さんは現在、依然として浙江省の第4刑務所に拘禁されている。この10数年来、李さんは8年余りを刑務所で過ごした。夫婦は結婚して13年目だが、一緒に生活した期間は13カ月にも満たない。
1999年、李さんと呉さんが結婚しようとした時、ちょうど天津市のマスコミは中共にコントロールされ、法輪功を中傷した。天津市の法輪功修煉者は事実を説明したが、警官から殴られ拘禁された。それによって4月25日(略称は4.25)、1万人の法輪功修煉者が平和的かつ理性的な陳情を行った。10月、2人は結婚式の予定を取りやめ、北京へ陳情に行くことに決めた。麻城で李さんは連行され、黄石市に送還されて1年の労働教養を強いられた。黄石市の10㎡にも満たない湿っぽい留置所に、李さんは1年間監禁された。
2000年末、李さんと呉さんは結婚した。しかし2カ月も経たない12月24日の晩、黄石市の警官は突然2人の自宅に押し入り、いかなる証明書も提示せず、家中を荒らし、李さんを拘束して八卦嘴留置場に連行した。
妻の呉さんは派出所に行き、李さんの釈放を求めたが、その際、八卦嘴留置場に拘禁された。
2001年3月、李さん夫妻はやむなく家を離れた。2002年李さんは、武漢市公安局江岸支局から不当に懲役3年を下され、同市の漢陽琴断口刑務所に拘禁された。刑務所で李さんは身体に大きな損傷を受けた。2002年末、李さんは刑務所で突然大量に血を吐き、呼吸困難となり、刑務所の病院に運ばれて緊急措置を受けた。急性肺結核と診断された。
2004年末、李さんはようやく家に帰ることができた。妻の呉さんは2003年4月20日、湖北省武漢市の女子刑務所に連行され、懲役3年を科された。久しぶりに帰った李さんは、妻に会うことができなかった。
2005年10月、李さんはまた2年間の労働教養を強いられ、湖北省沙洋労働教養所に監禁された。呉さんが出所して帰宅した時、李さんはいなかった。李さんは2007年10月13日に刑期を満了したが、再び洗脳班へ連行された。洗脳班で李さんは48日間、様々な手口で拷問され、家族の強い要求の下で、2007年12月にようやく帰宅することができた。
ようやく家族が団欒したのもつかの間、2008年3月、李さんはやむなく故郷を離れて浙江省でアルバイトをすることにした。約2年後の2010年2月2日晩、李さんは宿舎で警官に連行され、温州市留置場に拘禁された。ちょうど旧正月の前で、李さんの帰宅を待っていた家族は悲しみに暮れた。李さんの家族は遠くから温州市へ面会に訪れたが、竜湾公安支局は面会を拒否した。2010年7月、李さんの80歳近くの父・幼い娘と妻は、再び温州市へ駆けつけたが、そこで李さんが3年6カ月の懲役刑を宣告されたことを知らされた。今回の迫害は4回目である。現在、李さんは浙江省の第4刑務所に監禁されている。