明慧法会|家庭の悩み事がなくなった(一)
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―—大法から受益し基準に達する大法弟子になる

文/中国西北部の大法弟子・徳香

 【明慧ネット2012814日】師父、こんにちは! 学習者のみなさん、こんにちは!

 これから、私この十数年間の修煉体験を書き留めて、皆さんと切磋琢磨しながら交流をしていきたいと思います。足りない所は指摘をお願いします。

 大法に出会った後の素晴らしい日々

 19965月、病を無くし健康な体を得るため、私は様々な気功をやりました。ある日、私と一緒に気功をやっていた人に、法輪功をやりに公園に連れて行ってもらいました。何日か過ぎ、ある人が外地から『転法輪』と他の大法書籍を買ってきてくれるように頼み、持って帰ってきました。すぐにすべての書籍を頼みました。家に帰ると丸一日で『転法輪』を読み終え、この世生きる本当の目的が返本帰真であるとわかり、私は法輪大法を修煉すると決心しました。その後、私のたくさんの観念が変わり、病も治り、夫と子供も法輪大法は素晴らしいと信じ、彼らも大法から受益しました。

 以前夫は多くの病を持っており、二人の子供が小さいころ、一人は私の母親に預け、もう一人は夫の母親に預けて子供の世話を頼み、私は夫の世話をしていました。彼は胃腸炎や神経衰弱など様々な病にかかり、苦しいとき、彼は様々な方法で私を苦しませ、このようにして日々を送りました。病院は彼の病を治すことができず、私の内心の苦痛は言い表せないほどで、生きるよりも死ぬほうがましというような日々でした。大法を修煉してから、夫は私のことを支持してくれて、大法は素晴らしいと言い、時には大法の本も読み、真相を伝える手伝いもしてくれました。段々と彼の病も治ってきて、アルバイトもできるようになり、たばこもお酒もやめ、善の報いを受けました。二人の子供も大きな利益を得て、長男には仕事があり結婚もして、二男はとてもおとなしく、二人とも煙草を吸わずお酒も飲まず、善人になり安心させてくれます。家の中の悩みはすべてなくなり、これは全部大法が下さったのです。

 19997.20前、私は仕事をせず、毎朝の学習者と共にカセットデッキをもって煉功行って煉功し、新しい学習者たちに教えたり、煉功場に法を広めるためのポスターをかけたりと、毎日このようにしていました。大法は素晴らしいと思い、もっとたくさんの人に教えたいと私は思いました。毎晩集団学法に参加し、一人ひとりがとてもすばやく向上し、あの時の修煉環境を思い出すと、本当に素晴らしかったです。

 当時、地元では数百人規模の法会を開き、正念の場がとても強く感じました。これは師父の慈悲なるご加護であり、我々を励ましてくださったのです。その時はとても感動し、あれほどたくさんの人々が法を得たことを嬉しく感じ、たまらずに涙を流しました。たくさんの学習者も同じく泣いていました。学習者の発言はみな一つ一つが感動させるような物語ばかりでした。あの時期は毎日が大法の中に溶け込み、とても充実していて、一人一人が精進していました。やはり師父が残してくださった集団煉功は素晴らしいのです。

 人心を無くして法を正す

 19997.20、中共(中国共産党)の悪党がすべてのメディアを利用して法輪功と師父、および大法弟子に対して狂ったかのように、天地を覆う隠すほどデマを飛ばし、名誉を傷つけ、でたらめを言い、煉功を禁止しました。私は他の学習者とともに悲しみ、あわてていて、どうすればいいのかわかりませんでした。

 後に法を正すために北京言った学習者がいると聞き、私も北京に行くことを決心しました。しかし、私は遠くに行ったことがなかったため道もわからず、どうすればいいのかわからなくて途方に暮れていたとき、突然、師父が隣にいて道を示してくださったような気がして、私は他の二人の学習者とともに電車に乗って北京向かいました。

 北京にて、私たちはバスで天安門のそばに行きました。すぐに銃を背負い、コートを着た警官が近づいてきて、私たちに何をしているのかと聞いてきました。当時は法理がはっきりしていなかったため、本当のことを話すべきだと思い、陳情に来たと伝え、結局彼は我々を警察車両の前まで連れて行き、我々を門の前の警察署に連れて行きました。そこにはたくさんの学習者が監禁されていました。三日後、警察は私たちを地元の警察署に送りました。警察署で警官は「家を出る前に政府が君たちにどのようなことをするか考えたか?」と聞き、「考えた」と私たちは答えました。私たちの意志がしっかりしすぎていると彼は言いました。地元の悪党たちは私たちを留置所に監禁しました。当時、捕まえられることは良いことであると私たちは思っていましたが、後に師父の経文『理性』が発表されてから、自分たちが間違っていて、旧勢力の道を歩んでしまったと気づきました。

 留置場で不法に監禁されていた大法弟子はたくさんいました。警官たちは私たちに無理やり大法を誹謗するポスターを見せ、悪党の悪理悪念を私たちに注ぎ込み、私たちを転化させようと企みました。私たちは悪党警察の言いなりにはならず、ともに煉功し、断食を行なって抗議しました。悪人たちは「転化書」を無理やり書かせてから私たちを釈放しました。たくさんの人は釈放されましたが、私たち何人かは書きませんでした。不法に監禁されてから半月後、悪人は私に尋ねました、「まだ法輪功を修煉するのか」と。「こんなに素晴らしい功法をなぜやめるでしょうか」と私は答えました。私は不法に監禁されました。その後、自分たちにはたくさんの漏れがあり、全般的に迫害を否定しなかったためであるとわかりました。

 留置場から帰った後に、私は学法を増やし、自分の漏れがあったところを探し出し、できるかぎり早く精進しようとしました。私は資料配りや真相を伝えることに参加し始めました。たくさんの友達が真相を知り、救われました。次に二つの例を挙げたいと思います。

 とても寒いある秋の晩、私はもう一人の学習者とともに地元の優秀な教師が留置所で迫害され亡くなった真相を伝えるシールを張りに出かけました。出かける前、私たちは発正念して師父にご加護を求め、それからのりを持って出かけました。霧雨が降っていて人は少なく、とても静かで、私たちがやろうとしていることを妨げるものはなく、これは師父が手配してくださった道だからです。一晩中歩き、私と学習者がともにシールを全部張り終えた頃、夜も明けてきて、私たちは無事に家に着くことが出来ました。後に聞いた話では、次に日にたくさんの人が真相シールを見て、迫害の真相を知り、悪党警察を驚愕させ、パトカーはしきりに巡回し、虚勢を張っていたそうです。

 あの頃、夫はいつも私とともに真相資料を配りました。私たちは昼間に両面テープを張り、夜には資料を配っていました。邪悪の迫害が最も酷かった時期、私は農村と、都市のあらゆる所をすべて走り回り、真相資料を衆生が受け取れる場所に持っていきました。時には長い道のりを歩かなければならなくなり、夫は疲れたとき、道端にしゃがんで休んでいました。ある時、彼は自転車をこぎ、私を載せながら資料を配っていましたが、帰るときには荷台が壊れ、私と彼は歩いで帰りました。家に着いたとき、夫はもう歩けそうになく、思わず転んでしまいましたが、まったく痛くなかったそうです。これは師父が守ってくださったおかげなのです。夫は私とともにたくさんの法を正すことをしてきました。彼も善き出来事に恵まれ、病など全くなく、これは師父の慈悲によるものなのです。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/24/249168.html)
 
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