河北省:2年間不当に拘禁された夫妻、再び連行される
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 【明慧日本2012年8月15日】中国の河北省三河市に在住の法輪功修煉者・辛宝東さんと高淑英さん夫妻は、この10年来、幾度も不当に連行され迫害を受けている。6月に解放されたばかりの夫妻は、再び連行された。

 2000年の春、辛さんの母親は、娘夫婦の度重なる迫害にショックを受けて病気になり、娘夫妻の入院手続きの最中に、泃陽鎮派出所の警官らに連行された。辛さんの母親は1人病院に残され、看病する人もおらず困っている。

 同年12月28日、辛さんは唐山開平労働教養所に送られた。入所検診のため、高血圧であることが分かり、受け入れを拒否された。警察は諦めずに、翌日、辛さんを廊坊万荘労働教養所に送り、無理やり受け入れさせた。この労働教養所では、法輪功修煉者に対して毎日16~20時間の強制労働を強いられたという。

 一方、高さんは7、8日の断食を経て、体がすごく弱くなったため釈放された。しかし、高さんが釈放された翌日、警官らが高さんの自宅に不法侵入し、再び高さんを連行した。警官ら不当行為を阻止しようとした高さんの娘さんまで連行し、そして役所の前に壁に向かって裸足でずっと立たされていた。

 辛さんは解放されて間もなく2002年3月、警官らが何の書類も見せずに、突然家宅捜索され、何の証拠もなしに強制連行された。留置場で警官の指図を受けた犯人らが辛さんを殴る蹴るの暴行を受け、肋骨8本が骨折した。警察は負傷した辛さんを仕方なく解放した。

 2003年の初め、警官らは辛さん夫妻を再び連行しようとしたが、未遂に終わったため、指名手配した。夫妻は以後、流浪生活を強いられ、住む場所もなくさまよっていた。同年7月22日、辛さんの母親は心労で他界した。

 辛さんの父親(当時85歳)はすでに寝たきり状態だった。辛さん夫妻は父親を世話するため、ひそかに帰宅した。仕事に出られないため、ベビーシッターの仕事をして、わずかばかりの収入で生活していた。

 2005年7月21日、泃陽鎮派出所の警官らは、家にいた辛さんを連行した。辛さんは車から飛び降りて脱出に成功した。その後、高さんは警官ら連行され、留置場に拘禁された。

 同年7月25日、辛さんの息子と寝たきりの父親が公安局に尋ね、高さんの解放を要求したのだが、息子はその場で拉致され、15日間留置された。8月7日、辛さんの父親は無念にも他界した。

 2008年6月27日、河北省三河市国保大隊と泃陽鎮派出所の警官らは辛さん夫婦が借りていたアパートに侵入し、2人を連行した。パソコン、プリンタ、アンテナ、テレビ、現金などの財産が持ち去られた。2人は洗脳班に3か月間拘禁された後、9月26日に石家荘労働教養所と河北省女子労働教養所にそれぞれ送られ、2年間の労働教養を強いられた。

 辛さんの家族は同年11月18日、3人の弁護士に弁護を依頼した。このときの辛さんは残酷な迫害により、子宮筋腫瘍の出血で、貧血状態に陥った。

 11月19日、弁護士が河北省石家荘労働教養所に、辛さんとの面会を要求したが、労働教養所に拒否された。弁護士は11月20日、河北省の労働教養所管理する最高機関に、辛さんの不当な収容に対して上申したが、辛さんの委任状がないという理由で受理されなかった。

 2年後の2010年6月、辛さん夫妻は解放された。しかし、2012年7月25日、三河市公安局の警官ら10数人が辛さん夫妻を連行し、そして廊坊洗脳班に入れられ迫害されている。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/7/29/260909.html)
 
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