河北省:法輪功修煉者 様々な迫害を受け危篤状態
■ 印刷版
 

 【明慧日本2012年8月28日】河北省唐山市の法輪功修煉者・趙燁さん(41)は2011年、中共(中国共産党)の警察に連行され、その後、河北省女子労働教養所に拘禁され迫害を受けた。迫害を受けたことにより、1年も経たないうちに体重が約30キロまで落ち、右腕は自由が利かなくなり、精神的にダメージを受け精神に異常をきたした。趙さんが危篤になるまで、労働教養所は治療を許可しなかった。

趙燁さん

体がガリガリになるまで迫害された趙燁さん

 趙さんは迫害を受け、現在非常に衰弱した状態だという。5カ月もの間、趙さんの家族はすでに何万元もの治療費を費やしたが良くならず、毎日点滴を受けることによって命をつないでいる。この状況において、河北省女子労働教養所は趙さんの家族に、趙さんの状況を毎月報告するよう強制した。

 趙さんは、唐山陶磁器研究所にデザイナーとして勤めていた。趙さんが勤める前にデザインした作品が受賞したこともある。後にインテリア関連会社に移りデザイナーとして勤めていた。

 趙さんに対して行われた迫害の状況

 火炬路派出所

 2011年2月25日火炬路派出所の警官が、法輪功修煉者・趙燁さんを連行した。

 唐山市高新技術開発区公安局国保大隊

 その後、唐山市高新技術開発区公安局国保(国家安全保衛)大隊が趙さんを引き取り、趙さんの供述や何の署名もないまま、趙さんを唐山市の留置場に拘束した。2011年3月11日、高新技術開発区公安局国保大隊の隊長・劉紅および謝磊らは正当な理由もなく、趙さんを連行し、1年9カ月の労働教養処分を強制的に下した。全過程において公的な書類は提示されず、公的な手続きも行われなかった。

 唐山市労働教養委員会、唐山市政府法制署

 2011年4月20日、開平労働教養所から趙さんの行政再議依頼書が提出された。25日、趙さんの父親は唐山市労働教養委員会に行政再議申請書を提出した。5月5日、趙さんの家族は同市政府法制署に行政再議申請書を提出した。5月12日、趙さんは高新技術開発区公安局の国保大隊によって捏造された罪とその過程を書類にまとめ、異議申立てをした。6月14日、趙さんは1年9カ月の労働教養処分を下された。

 河北省女子労働教養所

 2011年5月8日、趙さんは開平労働教養所から河北省女子労働教養所に移送された。不当な労働を拒否したため、刑務所の役人に労働が終わるまで作業場で直立不動の姿勢のまま立ち続けるよう強制された。この状況が1週間続いた後に、役人が趙さんに労働教養の期間を伸ばすよう脅迫し、法輪功をやめるよう精神的な迫害を加えたが、趙さんは法輪功の修煉を堅持した。その後、趙さんは作業場の清掃を強制された。また、ある時期は浴室に入ることを禁止された。

 2011年8月、同じ労働教養所で拘禁されたいた何名かの法輪功修煉者が、不当な労働を拒否し、労働教養期間の延長と労働教養に抗議した。役人はこのことを趙さんの影響によるものと決めつけ、趙さんを重点的に迫害した。特に、2011年8月15日から17日までの3日間、役人らの主導により法輪功修煉者に対する残虐な迫害が行われた。労働教養所の男性の役人が法輪功修煉者を暗い独房に移し、2日間に渡って電気ショックを与えたり、暴力を振るうなどの暴行をし続けた。趙さんはその間に鉄板で殴られ、右腕の筋肉が著しく萎縮し、回復不能な状況となった。その後の昼に作業場で小さな椅子に長い間座らされた。夜に中共をたたえる歌を歌うイベントが開催されたが、趙さんは歌うことを拒否したため、役人らにロビーの床の上で寝るよう強制された。

 趙さんの右腕の神経は損傷した上、右手の筋肉が萎縮し、左手と比べて明らかに小さくなった。このため、日常生活に支障をきたした。食事やうがいをするときに左手しか使えず、洗濯物を手洗いするときに力が入らなかった。右手に力を入れるとひどく震え、右腕がまるで体に繋がっていない状態であった。そのため、外部の病院で検査を受けれるように申請をしたが、労働教養所の医者・馬(40代男性)が骨折していないという理由で申請を却下した。趙さんの家族がこのことを知り、外部の治療を受けさせるように労働教養所に要求したが、労働教養所の役人はすでに治療を受けさせて右腕が治ったと趙さんの家族に嘘の情報を伝えた。

 趙さんの健康状況は急激に悪化し、最初は咳が出て、肺に痰がたまった。その後、声を出すたびに咳が出た。2011年の冬から聴力が下がり、はじめは片方の耳のみ聴力が低下したが、しばらくすると両耳の聴力が低下した。現在、大声で話さなければ趙さんは聞き取れない状況である。2012年のはじめ、趙さんの身体の状況はさらに悪化し、食事はほとんど取れない状態だった。そのうえ下痢をし、灰色と黒色がかった痰が咳とともに吐き出された。体の動きは鈍くなり、意識がはっきりせず、幻覚症状も起きた。しかし役人は、すべて趙さんの演技とし、体調不良を認めなかった。

 ある時、趙さんは食堂で下痢をし、トイレに行かせるように役人に要求したが、却下された。その結果、趙さんは大便を漏らしてしまったた。ある人は趙さんにゆで卵をあげたが、趙さんはわずか一口食べただけで嘔吐した。

 ひどい栄養失調と下痢のため、趙さんは脱水症を起こし、何回も倒れた。またトイレで倒れたこともある。その後、歩くこともできなくなり、背負ってもらわなければ作業場に行くことさえできない状態となった。2012年3月1日から、労働教養所が趙さんに点滴を受けさせた。その間に役人が趙さんを監視し、ほかの人と接触・会話させなかった。しばらくしてから、趙さんを外部の病院に移送した。

 2012年3月14日、趙さんの家族は通知を受けて河北省女子労働教養所に来た。だが、その時に趙さんはすでに心神喪失となり、自分で生活することができない体となった。また、40度を超えた熱が出てやせ細り、体重はわずか30キロしかなかった。そして労働教養所は危篤に陥った趙さんを趙さんの家族に押し付けた。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/23/261900.html)
 
関連文章