【明慧日本2012年9月2日】河北省雄(ゆう)県王村に在住の法輪功修煉者・李愛閣さんは2002年、テレビ番組で法輪功の真相を割り込み放送したことに加担したとして、懲役15年の不当判決を宣告され、保定市第1刑務所に拘禁された。
李さんは刑務所で心身共に苦しめられ、高血圧や心臓病の症状が現れた。2011年10月29日夜、李さんは突然脳出血が発症して倒れ、救急病院へ搬送された。その後、刑務所側は李さんの家族を呼び出し、家族に「李の治療を刑務所外で受けさせたいなら、一時出所の手続きをしろ。しかし、李の今後のことについて『刑務所側には責任がない』という書面にサインをしろ」と要求した。刑務所から早く離れて、夫に治療を受けさせようと考えた妻は、署名するしかなかった。
今年5月5日、李さんは持病が再発して、病院へ搬送された。45日間入院した李さんは医療費が8万元もかかった。現在、李さんは自立生活ができなくなっているという。
1996年、李さんは妻・文愛霞さんと共に法輪功を学び始めた。修煉を始めた李さんは、他人と喧嘩する悪習を直し、飲酒や喫煙も止めた。文さんも不妊症が治り、元気な男の子を生んだ。
しかし、1999年7.20、中共(中国共産党)当局が法輪功への弾圧を開始した。李さん夫婦は法輪功を学んでいるという理由で、さまざまな迫害を受けてきた。
2001年旧正月のある日、文さんは他の地方へ商売に行っていたが、大営郷政府と派出所の警官数人が突然、李さんの自宅に不法侵入し、寝ている2歳の子供を残して李さんを連行し、家族にも知らせず李さんを保定市労働教養所に拘禁した。
その後、李さんが労働教養所に拘禁されていることを知った妻は子供を連れて面会に行った。面会のとき、子供が「パパ、抱いて」と大声で泣きながら言った。周りの人がこの場面を見て、同情の涙を流した。
2001年10月8日、李さんは釈放された。しかし、李さんは帰宅後も、郷の政法委員会(610弁公室を直轄する組織)の警官が李さんの家に来て、李さん一家に嫌がらせをした。警官の嫌がらせを避けるため、一家は他の地方に行くしかなかった。
2002年、李さんは他の法輪功修煉者と一緒に河北省涞水(らいすい)県の山頂でテレビ番組を遮断し、法輪功が迫害されている真相を放送した。そのため、李さんを含む法輪功修煉者たちは、警官から暴行を受け、身柄を不当に拘束された。警官による暴行で李さんは頭から血を流し、一時意識不明になった。李さんが目を覚ますと、徐水県北下関刑務所に拘禁されていた。その後、李さんは懲役15年の重刑判決を宣告された。
李さんが拘禁されている間、警官は文さんも連行しようとし、いろいろな所を探しまくった。文さんの実家や親戚の家の家宅捜索も行った。
李さんの父親は、李さんが警官に拷問されていることを心配して耐えられず、倒れてしまった。その後、文さんは家族のために、家に帰るしかなかった。
2003年4月13日、李さんは日用品を買いに出かけた帰りのバスの中で、公安局の警官に不当に連行された。その後、文さんは労働教養2年6カ月を宣告されて労働教養所に拘禁された。
文さんは釈放された後も、警官からの嫌がらせが絶えなかった。李さんの父親は息子が拘禁されたことでショックを受けたうえ、長期にわたって警官に嫌がらせをされたため、健康が悪化し、無念な思いを晴らせないまま死亡した。享年58歳。
しかしその後も、李さんの家族は常に警官から嫌がらせを受けたため、李さんの母親も倒れてしまった。
2007年4月12日午前、公安局の警官は李さんの息子の小学校へ行き、息子に嫌がらせをしようとしたが、学校の先生に追い返された。
2011年10月29日、李さんは刑務所の迫害で病気を患い、危篤状態に陥ったため、刑務所側は李さんの家族に「李を迎えに来い」と電話をしてきたという。