明慧法会|心の中で師父が欲することを思う(二)
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文/北京の大法弟子

 【明慧日本201295日】

 三、心の中で師父が欲することを思い、師が法を正すことを手伝う

 師が法を正すことが進展するにつれ、邪悪の中心である北京の環境もしだいに変化したと私たちは感じました。

 今世、北京に輪廻した常人はみな普通の人ではありません。社会の上流階層、ハイクラスの知識人階層にとどまらず、町で会う出稼ぎの人たちもみな世を渡る勇気と見解を持ってこの都会に来たのです。北京の多くの同修たちも、どのように邪悪の抑圧と封鎖を突破し、人々が利益や権力の誘惑の中で真相を知り、救い済度を選ぶことを助けられるよう日々努力していますが、数年前には高級住宅地に入って資料を配ることも容易ではありませんでした。しかし、多くの住民はみな法輪功修煉者からの真相電話を受けたことがあり、さらにこの12年は携帯の真相メールも大量に入ってきたと言いました。

 北京にいる私たちは同修と協力する過程で、師が法を正すことを認識して理解し、どのように自我を放下し、師父を手伝い、師父の要求に円融しているかを検証しているのです。

 私と祥さんも協力している同修も、三つのことをやる方法は同じではありません。ある同修は郊外に資料点を広げると同時に、資料の作成がまだ出来ない地区に資料を提供しています。祥さんはこの同修と協力し、パソコンからMP3プレーヤーまでの購入を手伝いました。

 この同修は出会う同修が多いのですが、安全に注意していませんでした。ある時期、彼と知り会った同修が次から次へ連行され、この同修自身も「病業」に妨害されました。祥さんはこの同修に注意をしましたが、この同修は気にしませんでした。安全を保証できないため、どのように協力すればよいか祥さんはプレッシャーを感じました。

 祥さんは私と数回交流しました。自分の安全にも、同修の安全にも注意せず、指摘されても気にしないなら無理に協力しなくてもよいのですが、この同修は衆生を救い済度する心がとても純粋でした。ただ長期にわたってこのようにすることが習慣になり、気付かなかっただけでした。私たちが自我を放下して、この同修と多く交流し、ともに向上すれば、衆生の救い済度、師が法を正すことを手伝うことはさらによく出来るのです。

 数回の交流を経て、この同修は病業の原因も見つけ、安全に注意すべきだと分かりました。その後、祥さんが私に言うには、同修の「病業」はある執着を長い間取り除けなかったためですが、「自分にも問題があったから、師父は私に自分の不足を見させました。師父に感謝をします」と言いました。

 法を実証する中で、時に予想もできない魔難がありますが、心の中で師父の要求を思い、師が法を正すことを手伝うことを第一位に置けば、魔難は師父から与えられた向上のための試練になるのです。師父は「特に迫害に遭ってからのこの数年間、皆さんが行なった法を実証することの中で、どのよう な具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)

 ある日、難しいプロジェクトをやるとき、地方から北京に来たある同修が臨時に私たちと協力しました。しかし、その同修の態度はあまり良くなく、結局妨害され、交流しても聞き入れませんでした。しかたなくプロジェクトのため、私たちはプレッシャーの中でやり続けました。邪悪の妨害もよく現れ、いろいろ魔難もありましたが、私たちは心の中で師父の要求に従い、衆生を救い済度する自分の使命を思い、師が法を正すことを手伝うことが無駄にならないように、肝心なときには師がおり、法があり、必ず乗り越えられると考えました。

 プロジェクトが終了しても、その同修はまだ文句を言い、それが私の耳に入りました。昼間は気にしませんでしたが、夜になるとなかなか眠れず、同修の言葉が次から次へ思いだされ、「あの言葉はなんと聞きづらいことか、どうして協力せず、妨害したのか」と一晩考えました。

 私は朝起きても、心がまだ落ち着かず、祥さんに会うと、その同修に対する不満を言いました。祥さんは冷静に私を見つめ、「神はあなたのように考えるでしょうか?」と言って出かけました。

 私は重い心で『転法輪』を開くと、見えたのは「心性さえ向上すれば、トラブルの中で自分を高めることさえできれば、功が速やかに伸びるからです」でした、この言葉は私の心に重く入り、瞬時に心が寛大になりました。師父の法はあまりに偉大で、私の心の汚れと愚見をきれいにしてくださいました。なんと偉大な師父、偉大な法でしょうか。

 しばらくして、祥さんは不満そうな顔をして帰ってきて「さきほど言った同修のことは、実は私も怒っています」と言いました。ついほど「神はあなたのように考えるでしょうか」と言った人が今度は心が刺激されたと私は笑いました。私は祥さんに先ほど開いた『転法輪』の教えを話して数回読み上げた後、祥さんも笑いました。

 数日後、私は一つのはっきりした夢を見ました。それは私と祥さんが大きな家に引っ越し、大きな窓ガラスにきれいな梅の花がとても美しく咲いている夢でした。

 私たちに法と衆生を救い済度する使命を与えてくださった師父に感謝いたします。師父、ありがとうございます。

 私は祥さんと協調することが割合多いのですが、修煉の中には不足が多くあります。今日、この神聖な法会で、師父と同修に私たちの決心を申し上げます。これから良くないものを取り除き、自分をさらにきれいに修めるようにします。

 師父は『大法弟子とは何か』の中で「私が思うには、大法弟子の前にあるのは着実に修煉するという道のみであり、ほかの道はありません」と説かれました。弟子は師父の教えをしっかりと心に刻んで、必ず法を正す時期に真に修める大法弟子になります。

 師父に合掌します! 同修の皆さんに合掌します!

 (完)

 (第8回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/14/248940.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/2/129813.html)
 
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