明慧法会|法を学び、内に向けて修めて初めて法を実証できる(一)
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文/重慶市の大法弟子 蘭花

 【明慧日本2012年9月8日】「明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会」の原稿募集のお知らせを読んでとても嬉しいです。これは師父が特別な時期に大法弟子に機会を与えられたので、私たちはこの機会を逃してはいけません。

 この2年、私たちの地区は師父の加護の下で、同修たちは積極的に協調して円融し、邪悪を大きく震え上がらせました。この前、洗脳班の警官は激しく騒ぎ立てましたが、結局、しっかり修めている大法弟子は誰も妨害されませんでした。

 本日、私たちの修煉過程を師父に報告申し上げ、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。

 一、法をしっかり勉強することはすべての保障

 私と主人は1998年に修煉を始めた古い弟子です。主人は修煉前、「道を修めていないが、すでに道の中にいる」というような人で、十数年の法を正す修煉の中で比較的穏やかでした。私は、修煉前は人を許せない人で、修煉後はよく転び、師父の加護の下で今日まで歩んで来ました。

 私は6年近く迫害されました。2008年に家に帰ってきた後、私はなぜ数回も迫害されたのかと慎重に考え、内に向けて探しました。1つは真に法をしっかり勉強せず、2つは自分を真に修めておらず、大法を常人の仕事とし、自分を常人の英雄としました。原因を見つけた後、私は法を得た当初のように心を込めて法を勉強し、法を暗記しました。最初、妨害がとても大きく、落ち着けず、集中できませんでした。私は正時に正念を発し、師父の加持をお願い、妨害を取り除き、良くない考えが現れるとすぐ取り除き、徐々に静かに法を勉強できるようになりました。

 5カ月で、『転法輪』の全篇を一回暗記し、師父のすべての説法を拝読しました。半年間、私は同修に会うことはあまりなかったのですが、明慧ネットを毎日見ました。人に大きな感動を与える一篇一篇の交流文章は、私との差を感じさせました。私は、法を正す進展はこれほど速く、追いかけなければならないと思いました。親戚と友人に真相を伝える以外、私は家で法をしっかり勉強し、法を暗記し、今は2時間で『転法輪』の一篇を暗記でき、法理もますますはっきりと認識できました。法を暗記することの奇妙さは言葉で言い表せず、師父の教化の下で、いつも急に分かり、感動で涙が出ました。同時に現れたいろいろな良くない考えを取り除き、落ち着いて学法煉功をし、5分間でも時間があれば、静かに法の一段を暗記出来ました。

 学法は極端に走ってはいけません。この前、ずっと忙しく、毎日グループ学法から帰ってきた後、法を暗記する時間がなく、心の中はがらんとし、法を勉強したことがないように感じました。私はこれではいけないと思いました。法を暗記するために法を暗記することは、法に対して不敬です。この心を取り除いた後、私は法を拝読するか暗記するかに関わらず、同じ効果を得ました。私は家で、学法組で、いつも双盤の姿勢で本を捧げ持ち、時間がいくら長くでも姿勢を変えず、足も痛くありませんでした。天上の神はみな土下座して法を拝聴しています。彼らの足は痛くなるでしょうか? ならないでしょう。内心から法に同化すれば、すべてはその中にあります。

 二、大法のプロジェクトを参加し、協調の中で真に修める

 私達の地区が受けた迫害は酷く、協調人が迫害され、多くの大法弟子がまだ監禁されていて、学法組も健全ではなく、資料も足りません。私は師父に選ばれた大法弟子として、師父のご恩に感謝する一方、責任を負い、誓約を実現しなければなりません。私は同修2人と一緒に学法組を組み、外を出て来ない同修をグループ学法に参加できるようにさせました。

 学法を通し、同修たちは法理に対する認識が向上し、外を出てきた同修もますます多くなり、学法組も拡大しました。資料点の人手不足で、私と同修は毎日時間をかけて作成しても資料は足りませんでした。その後、この同修は仕事に行き、私は1人で資料を作成し、一時的に忙しくて息切れしました。大法は超常で、何でも出来ます。心を法に置けば、資料作成の間でも一篇の法も暗唱出来ました。

 資料の送付にも大変苦労し、一部同修はここで受け取り、一部同修はそこで受け取り、他の同修には家まで送り、時には同修の家に着いても不在のために待たされたり、あるいは出直したりしました。数か月間、毎日3~4時間しか寝られず、他の時間はすべて法を実証するプロジェクトに用いました。当時、なんとも言えない気持ちでした。「あなたは修煉が蜜を食べるようなものだと思うでしょうか」という師父のこの一言が頭の中に浮かび、私は笑いました。この苦労はたいしたものではなく、自分の誓約を実現しているのです。師が有り、法が有るから、悩みや苦痛などはすぐなくなり、全身が軽く、とても幸せだと感じました。

 いかによく協調するのでしょうか、まず自分を同修の中に入れて、同修の輝いている点を見て、同修を鏡として自分を見て、心の容量を拡大します。

 協調の中でいくつかのことは私を感動させました。

 ある日、1つ資料点に危険な状況が現れ、同修は即座に引っ越さなければなりませんでした。しかし、お正月に近く、当日の雨も止まらず、こんな多い荷物を一気に運ぶことはできず、引っ越し先の部屋もすぐ見つからず、どうすれば良いかと私は焦ってしまいました。私は同修を責める心が現れ、なんで早めに言ってくれないでしょうかと思い、師父の助けを求めました。師父は私のその心がまだ取り除かれていないのを見て、1人の同修を按配して荷物を全部運び出しました。

 この件は私の心を大きく打ちました。私は内に向けて探し、自分のやり方が横暴で、自分をリーダーとみなし、師父の法を用いて他人に要求し、同修と交流せず、同修に恐怖心をもたらしました。また自我を実証する心が重く、同修の意見を聞き入れず、わがままで、外を向いて探し、外を見て他人を修め、自分を真に修めませんでした。私はこれらの不正な心を規正し、正念で取り除きました。私は積極的に同修にお詫びしました。その同修は何もなかったように恐怖心が完全になくなり、同修と一緒に田舎に行って資料を配ることも提案しました。私はとても感動し、積極的に協力し、資料を送り、そして一緒に田舎に行きました。

 去年の7~8月は晴れの日が続き、40度の猛暑が続く中、同修たちは大きなバックを背負って乗車したり、歩いたりし、資料を衆生に配りました。同修の一部は顔、手足が日焼けで水泡が出て、皮膚も剥かれました。冬は寒く、顔、手足が霜焼け、かゆくて痛く、ときには割れて出血しました。皆、「苦」を訴えず、いつも気にせず、楽しくやりました。師父は毎日衆生のためにあれほど多い苦難を受けていらっしゃるから、このくらいの苦はたいしたものではありません。この組の5人の同修は、今年のお正月の1週間で200数名に三退してもらいました。彼らは他の組に行き、さらに多くの同修に出て来てもらいました。

 またもう一つことですが、資料点を至る所で花が咲くように作ることは師父の欲することですが、この地区ではずっと展開出来ませんでした。ある2人の同修は、いつも三つのことをしっかりやり、お互いの協調も良く、資料の作成にもやる気がありましたが、ある時期にはなかなか順調に出来ず、パソコンのトラブルがあったり、作成した資料の質がよくなかったりし、積極的に問題を解決しませんでした。私は彼らが用心せず、依頼心が重いと不満を持ち、文句を言いました。結局、その状態はさらにひどくなり、新しい機器までだめになりました。そのとき、やっと内に向けて探すことを思い出し、探すと驚きました。問題のすべては私にありました。同修に慈悲がなく、忍ができず、態度もよくなく、自分のやり方を他人に押しつけ、自分は聡明で、他人は愚かだという考えがありました。私はすぐにこれらを取り除き、自分を規正し、同修と交流し、同修の協力に感謝し、よく理解し合い、よく助け合いました。

 このようにすると奇跡が現れ、電気機器はよくなり、同修もすぐに1人でできるようになりました。今、この地区ではいくつか資料点が設けられ、遠い山間部にも徐々に資料点ができました。時に私が「なにか手伝うことがありますか」と聞くと、相手は「心配しないでください」と答えました。毎回、これを聞くと、私は泣きたくなりました。「同じ法を修めており、同じ縁を持っているのに、放下できないものがあるのでしょうか? 真摯に相手と意見交換し、指摘された不足を受け入れることができれば、問題が解決されるのではありませんか?」(『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』)

 (続く)

 (第8回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/15/248942.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/6/129878.html)
 
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