韓国で法輪功交流会 観念を取り除き衆生を救う(写真)
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 【明慧日本2012年9月12日】韓国の法輪大法学会は今月2日、俗離山のユースタウンで2012年法輪大法修煉体験交流会を開催し、千人近くが参加した。14人の法輪功修煉者が体験談を発表し、さまざまな環境において法輪功の教えに従って、内に向けて探し、観念を変え、修煉の道に精進することについて話し合った。

2012年韓国交流会、俗離山のユースタウンで開催

 俗離山は韓国八景の一つであり、俗離山国立公園の所在地でもある。交流会開催の前日である9月1日、法輪功修煉者はここで学法と交流を行い、修煉期間が長い修煉者も短い修煉者も、各自の修煉体験を話し、交流した。

法輪功修煉者が修煉体験を発表

 

楽しく修煉する三兄弟

 真剣に学法する

 朝鮮族の金艾子さんは以前、骨髄がんと子宮肉腫を患い、がんが全身に広がり、もう治らないと診断された。ある機会で法輪大法を知り、修煉を始めた。わずか1カ月で体が回復した。

 すでに16年間修煉している金さんは、中国語での学法について発表した。中国語があまり分からないため、中国語の『転法輪』を読むのにかなり苦労した。しかし、それでもあきらめず、文字を一個ずつ真剣に読んだ。努力のおかげで、すらすらと読めるようになった。ある日、『転法輪』の中の文字が法輪になって、ある機制を導いているのに気付いた。目をその機制の動きに合わせて学法すれば、字を間違えずに読める。たとえ分からない漢字であっても正しく読める。まるで法に溶け込んだように、本を開いたら言葉で表現できないエネルギー場を感じるという。

 金さんは絶えず学法して、法理の認識が向上してきた。学法するときに、法の文字が頭に入るように、真剣にしければならない。もし読むのが速すぎると、脈絡が乱れ、読み間違えやすくなる。そうすると、脈絡が中断される。速すぎず遅すぎないテンポを保ちながら学法すれば、『転法輪』の中の文字がはっきりと目に映る。この状態で学法すれば、法と一体になるのを感じられるし、法理も悟れるのだという。

 神韻が毎日私の傍に

 1999年に修煉を始めた、韓国の大田市忠南大学校病院で勤務する朴さんは、神韻の修煉体験を発表した。2012年に大田市で神韻の公演が開催されることが分かったときに、みんな興奮した。だが、同時にどうすればよいか分からなかった。恐怖心が朴さんの心を重くした。しかし、中国の同修が中国共産党のひどい迫害の中でも正々堂々と法を実証しているのを思うと、そのあきらめない精神を見習うべきだと思った。そこで、師父のおっしゃったことに従い、社会の主流階層の人にチケットの販売営業を行うことにした。朴さんは毎日昼休みの時間を使って、大学病院に勤めている約1600人の職員や看護師、教授などに神韻を紹介し、多くのチケットを販売した。

 「神韻はまだ終わっていない。今でも進行中だ。私は今でも毎日、人を探して挨拶をし、神韻を宣伝している。衆生を救うことであれば、私は立ち止まることはない」と、朴さんは話を締め括った。

 内に向けてし、衆生を救う機会を逃がさない

 今年73歳の鄭貞順さんはこれまで、仏法を探し回り、36年もわたって韓国各地のお寺を回っていた。信仰心は篤かった。しかし、自分の病気は一向に改善しなかった。周りの人もよく分からない病気を患って亡くなり、鄭さんに恐怖と精神的な負担がのしかかった。2004年3月に、隣の村に住んでいる娘から『転法輪』が送られた。「学法をはじめて間もないうちに、師父が身体を浄化してくださった。病気が全部なくなった。歩くと体が舞い上がるような感じだ。病気がまったくない状態がどれほど幸せかを深く感じた。働いてもまったく疲れたりしない」と鄭さんは話した。

 修煉を通して鄭さんはあることを実感した。それは、もし衆生が救われなかったとすれば、それは大法弟子の責任であることだ。大法弟子はいつでもどこでも、たくさん学法し、内に向けて探し、自分をしっかりと修めなければならない。そして、衆生の立場に立って衆生をどう救うかを考えなければならない。そうすれば衆生に救われるチャンスが訪れる。鄭さんは、韓国で神韻の宣伝をしている間、真・善・忍にしたがって自分に要求したので、家族から褒められたうえ、家族のほとんどの人が神韻の公演を見に行った。ところが、祖母だけが行きたくないと断った。いくら説得してもダメだった。鄭さんはすぐ内に向けて探し、姑に間違ったことをしたかどうか探してみた。

 そうすると、数十年前のある出来事を思い出した。姑の孫が祖母の家から通学すると、自転車で十数キロも通学しなければならなかった。学校が鄭さんの家に近かったので、姑に孫の面倒を見るように頼まれた。しかし、当時は家の経済状況がよくなかったので、姑の頼みを断った。このことを思い出した鄭さんはすぐ姑に謝って、姑も鄭さんを許した。その後、姑と家族5人は自らチケットを買って神韻を見に行った。

 「その日はちょうど私の73歳の誕生日だった。私達の家族15人は神韻を絶賛し、私の誕生日を祝福してくれた。忘れられない幸せな一日だった」と、鄭さんは感慨深げに語った。

 観念を変え、韓国の衆生を救う

 2003年に修煉を始めた李庸和さんは、法理に対する理解が向上し、観念を変えて、神韻を広めて韓国の衆生を救う体験を発表した。

 李さんは修煉の初期、たくさんの学法と同修との交流を通して、衆生を救う緊急性が分かった。だが、中国人に真相を伝えることだけが重要で、ほかの人に真相を伝えることがあまり重要ではないと認識してしまった。この間違った認識が既成観念となった。そのせいで、韓国の衆生を救う重要性を言及する人がいると、その人の認識が低いと考えてしまった。神韻が韓国に来ても、観念が妨害となり、正しい認識と正念で行動できず、常人の心で行動していた。そのせいで、チケット販売を通して真相を伝えても、効果が低く、期待した効果が得られなかった。神韻を見に行ったのは、自分の周りの人と家族、そして会社のお客さん何人かだけだった。

 その後、繰り返して真剣に学法することと同修達と交流することを通して、法に対する理解が高まった。観念を変えることもできた。衆生を救うことにおける神韻の重要性が理解できた。そして、より多くの韓国人に神韻を見てもらうようにすべきだと気づいた。それから、再び韓国人に神韻を宣伝したら、よい効果が得られた。何人かの会社の社長が神韻を見た後に、「私は恵まれている」と李さんに喜んで感謝した。

 「私達に衆生を救いたい心さえあれば、師父が助けてくださる。師父、ありがとうございました!」と李さんは感慨深げに語った。

 交流会では、発表者が素朴な言葉で自分の修煉体験を語った。それぞれの修煉体験は人を感動させる物語であり、参加者全員の暖かい拍手を得た。参加者の中には、感動して涙を流した人もいた。参加者たちは、いろいろと勉強になったと語った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/11/262679.html)
 
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