文/長春の大法弟子 水滴石
【明慧日本2012年9月15日】師父、こんにちは! 修煉者のみなさんこんにちは!
明慧ネット第8回大陸大法弟子の修煉体験交流会の幕が開け、私は期待に胸を膨らませつつ、心は落ち着いたまま原稿を準備しました。毎回の法会は、私たちをさらに精進させ、理性的で明確にさせ、そして成熟させてくれます。第5回の法会に投稿してから、私は毎回の法会に参加し、毎回の投稿により自分も成長しました。投稿した文書が発表されるかどうか、自分の感情を放下して、集団の中に溶け込んでいます。一滴の水の力は大海の奔流に溶け込むことで力を発揮することができるのです。小さな水蒸気が空に上り、雲を成したからこそ、あの青空と白い雲の壮観さが表れるのです。第8回法会が円満に主催され、再び輝きを創り出すことをお祝い申し上げます。続きまして、私たちの偉大なる師父に、この一年間の修煉体験を報告し、同修とともに交流したいと思います。正しく悟れていない所がありましたら、ご指摘をお願いします。
一、修煉の道は厳しく、学法を通して謎を破り、青空を見る
私は16年間修煉し、今年で63歳になりました。これまでの難関や紆余曲折は深く述べません。邪悪の迫害は生活に多くの苦難をもたらし、絡みつく病はさらに多くの難関となり、心性の試練、思想業力、とても大変でした。実際のところ、それらは大変かと言えば、そうではなく、気にかけているからこそ難しいのです。それを放下すればそれほど難しくはないのですから。大法を修煉して、出会わなければならない難関があります。時には難関をうまく通り抜けられ、楽で、心の中で喜んでいました。難関が大きくなると、それと向き合いたくなくなり、泣いたり、後悔したりもしました。しかし、何であろうと、毎日学法しなければならず、そして毎日煉功もしています。ある段階では、あの孤独や寂しさから抜け出せない感覚がありましたが、今ではすっかりなくなりました。実際、感覚とは何でもなく、これらは修煉の中で成長する過程の一部でしかないのです。師父はこのようにおっしゃいました。「実は、皆さんは常人の中にある名、利、情が傷ついて苦悩を感じているとき、すでに常人の執着心を放下できずにいるのです。皆さん、必ず覚えておいてください! 修煉そのものが苦しいわけではありません。肝心なのは常人の執着を放下できないからです。あなたたちの名、利、情を放下しようとするときこそ、苦しいと感じるのです。」(『精進要旨』「真修」)
今日やっと悟りました。心の中で放下できないことが多いので、たくさんのものを失ったと感じるのです。すべてを放下すれば、かえって何も失っていないと感じるのです。難を難しく見るからこそ、大変なのです。それを気にしなければ、楽に乗り越えられるのです。
二、小さな花から水蓮が生まれる
2008年、家に小さな花が咲きました(資料拠点が成立しました)。私の家というよりも何軒もの家に成立したのですが、十何人もの修煉者が資料を取りに家に来るのです。花が咲く前、私たちは大きな資料拠点で、真相資料や、『明慧週報』などを受け取り、それを各地に分配しました。何十人にも及ぶ修煉者が来るので、拠点の圧力も大きいものでした。資料拠点の悩みを解消しようと、私たちはパソコンや、プリンターなどの機械を購入し、独自に資料制作を始めました。今年、私たちのこの小さな花はまた四つに分かれ、さらに鮮やかになりました。分かれると言っても、分かれてはいません。なぜなら私たちはところどころ繋がっているのです。時に、私たちの所が停電し、資料が作れないときは資料を取りに別の拠点に行ったり、彼らの所の設備に問題が起きたときは、私たちの所が変わりに資料を制作したり、他の所が忙しくて時間がないときは、私たちが手伝ったり、他の所の材料が足りないときは、私たちが届けに行ったりしました。皆がお互いに協力し合うので、全体的に一つの花なのです。
今年は全体から見て、順調に歩んできました。順調すぎて少し平坦でした。「脱退」の名簿はどんどん増えていき、パソコンやプリンターなどの設備はしっかりと言うことを聞いてくれて、一度も故障しませんでした。同修の子供たちは今や成長し、おとなしいです。各修煉者の子供たちはお金を少し出して、真相資料を作るため資料拠点にくれます。私たちのこの花の中には老人もいれば、若者もいます。みんなそれぞれ大小の違う責任を尽くしています。連絡役、伝達役、資材を購入する役、印刷を担当する役、外で「脱退」を進める役、ネットに接続する役、仕事は分かれていますが、家は分かれません。私は「脱退」を進めることがあまり得意ではないので、修煉者が「脱退」を進めた結果を大紀元の脱退ネットに載せます。今年で提出した「脱退」の名簿は五千人以上、同じく修煉者である妻は常に「脱退」を勧めに出かけ、毎回何人か、または十何人かを脱退させることが出来ます。時に修煉者たちが一緒に出かけることもあり、どれも効果抜群です。何人かの女性修煉者は買い物するときに真相紙幣を使います。これらと比べて私はとてもかないません。私はバスに乗る時だけ真相紙幣を入れます。お金を使うことも上手ではないので、ネットに接続して印刷の仕事を引き受けました。去年の神韻芸術団のDVDをダウンロードした後、各資料拠点がディスクを買い求めたため、一度、ディスクが品切れ状態になりました。今年、私たちは事前に準備をし、事前に十分な量のDVDを用意しました。今年の神韻芸術団のDVDが発表されたとき、私たちはただちに真剣に制作作業に入りました。表紙を印刷し、裁断や、貼り付けなど、忙しいですが乱れませんでした。DVDを制作した分だけ、修煉者はそれらをすべて配ることが出来ます。結局、事前に購入したDVDでは足りませんでした。今年、私たちは三千枚以上の神韻芸術団のDVDを制作しました。
私たちの拠点には、あまり教養の程度が高くなく、書き出した原稿にも誤字脱字も多く、語句もつながらず、単語の意味もはっきりと理解できないけれど、文章の内容は感動させるような原稿を書く修煉者もいます。私はそれを真剣に見直し、急がすに整理し、最後にネットにアップロードし、大法のウェブサイトに掲載しました。修煉者が書いた文章の中には、『明慧週報』に載ったものがあれば、毎日の明慧文章の中に掲載されたものもあります、しかし、発表されなかったものもありました。修煉者たちはこれを気にせず、いつも、「参加することが大事で、一日に千人以上の文章が全部載るはずがないのです。よく悟った人が載り、私たちは同じく利益を受けられるのです」と言っていました。修煉者が書く原稿の形式はたくさんあります。ある者は体験交流を書き、ある者は詩や歌を書きます、ある者は大法の素晴らしさを書き、そしてある者はその他の情報を書きます。最後に近づけば近づくほど、皆さんはともに精進し、努力しています。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/25/129695.html)