【明慧日本2012年9月29日】四川省の成都理工大学の准教授・祝清凱さんは1998年、望江ホテル(成都軍管区装備部所属)に招かれ、ホテルの室長に任命された。その後、祝さんは総経理助理(社長室室長)に昇任した。しかし、祝さんは法輪功を学んでいるとして、1999年7.20以後、中共(中国共産党)当局からいろいろな迫害を受け、祝さん本人と家族はさまざまな苦しみを加えられた。それにより、祝さんの健康状態は悪くなり、食べ物すら食べられない状態になった。
祝さん(真ん中は現在、左右は迫害前)
2000年7月、祝さんは広州で開催された全国軍管区所属ホテルの会議に参加した。その間、祝さんの妻が成都軍管区の関係者に連行され、2人の子供(長女15歳、長男12歳)まで尋問され、家の電話回線を切られ、家宅捜索も行われた。祝さんはそのことを一切知らなかった。会議が終わって、祝さんは家族との連絡が取れないまま、飛行機に乗って足早に家へ向かった。成都の空港に到着した途端に、祝さんは自称成都軍管区装備部の3人に連行され、装備部所有の倉庫に拘禁された。関係者らは祝さんを拘禁したことを祝さんの家族に通知しなかった。
倉庫で祝さんは5人の軍人によって監視され、「法輪功修煉者の連絡先、法輪功のチラシの提供者とその者の行方」などの情報提供を強要され、法輪功創始者を貶す文章と法輪功の修煉をやめるという声明を書くことを強要された。精神的に追い詰められた祝さんは精神崩壊の寸前だった。
祝さんは倉庫に40日間以上拘禁された。帰宅した祝さんは全身が汚れ、足首には滑液包炎(関節部分の炎症)ができ、ぼろぼろの状態だった。祝さんが拘禁されたことにより、務め先は2万元の支払いを強いられた。
その後、祝さんは仕事に行ったが、仕事がなく、月に200元の生活費が配られた。妻も解雇されたため、一家4人が200元で生活をしなければならなくなった。
しかし、200元が支給されるのは2000年10月までだった。成都軍管区司令官の命令で祝さんは解雇され、住宅まで没収された。
祝さん一家は家を借りて生活するしかなかったが、当局は大家に部屋を貸さないよう圧力をかけた。しかし、大家は従わなかった。
祝さんは2人の子供に安定した環境で成長をさせるため、友人や親戚からお金を借り、家を買おうと思ったが、地元の派出所、610弁公室に知られた。そして、警官らは所有者に売らないよう所有者本人、所有者の勤め先にも働きかけ、妨害した。しかし、所有者は「私はあんなに残酷に迫害された買主に同情します。買主が学校に通っている2人の子供のためだと言ったので、私は彼に売ります」と言った。
その後、祝さんは家の渡譲証明を取るため、市の住宅管理局に行ったが、管理局の職員は「警官が先日来て、あなたに証明を渡さないよう言いました。省の住宅管理局に行ってみたらどうでしょうか」と提案してくれた。その後、祝さんは省の住宅管理局で不動産証明を取ったという。
祝さんは生活のため、仕事を始めた。しかし、警官は祝さんを尾行し、祝さんの勤め先に行き、祝さんが法輪功修煉者だということを会社の上司に告げ、嫌がらせをした。しかし、祝さんの勤め先の上司は「祝さんは優秀な人材です。信用できます」と言った。
祝さんの妻も法輪功を学んでいるとして、長期にわたって、当局に監視、尾行、嫌がらせ、連行などを受けていたが、妻は迫害を避けるため、余儀なく放浪生活をされた。しかし、地元の中共関係者らは、祝さんの家に行き、祝さんに妻の居場所を探すよう強要した。
また、地元の中共関係者らはいつも、祝さんに「お前たち夫婦は、もし法輪功を堅持すれば、子供たちが国内でも国外でも進学できなくなるぞ」と脅迫していた。娘は外国の大学に進学したが、いまだに祝さん夫婦は娘と電話するとき、当局の監視下にあるため、娘とあまり話すことができない。
長期にわたって精神的に圧力を受けたため、祝さんの体に異変が起きた。2011年の始めごろ、祝さんは摂食困難と感じたが、妻と子供たちに心配させまいとして、祝さんは黙っていた。9月になって、祝さんは完全に食事がとれなくなったため、家族に症状を告げた。その後、祝さんは病院で手術を受けたが、中共当局から精神的に苦しめられたことにより、健康状態が悪化したという。