明慧法会|神聖かつ幸せな修煉の過程
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 【明慧日本2012年10月5日】尊敬なる師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!

 私は1997年9月に大法の修煉を始めました。14年間の修煉で風雨を経験して、感慨無量です。

 一、大法を得て、生まれ変わった

 1997年8月、出張先から帰る途中で心臓病の発作が起きました。同僚は現地の病院に入院して治療するように提案しましたが、30分後に症状が軽くなったため、私は頑張って家に帰りました。9月のある日、妻は『転法輪』、『転法輪(巻二)』、『法輪大法義解』の3冊の本を持って帰りました。『転法輪』を開いて、理由の分からない喜びが心に生じ、長い間ずっと探していたものについに出会ったような気がしました。それから1週間、毎日3冊の本を読んで、法輪大法を修煉しようと心に決めました。その1週間で、体に大きな変化が現れました。むくみがひいて、深刻な心臓病がいつの間にかなくなり、顔色は赤くつやつやして、胃腸機能も正常になりました。体が健康になって気分も良くなりました。

 修煉を始めて3カ月後、勤め先では従業員にお米を配りました。一袋50キロのお米を担いで走り、一気に4袋も運んだ私を見て、同僚は不思議に思いました。以前の私は心臓病を患い、ちょっと動いても発汗して動悸が起きていました。また、トラックに4トンの貨物を私1人で時間をかけて積んだことがあります。同僚はみな「法輪功は本当にすごい」と言っていました。

 修煉後、2回も新しく住宅を割り当てられる機会があったのですが、私は他の人に譲り、今なお80平米足らずの旧宅に住んでいます。今の世の中にあなたのような人はあまりいないと周囲の友人は感慨しますが、私は「真善忍を修める人は誰でもこのようにすると思う。師父は人のために考えて、良い人になるように教えられた」と答えました。

 修煉を始めて1年2カ月の時、勤め先では中間層幹部の中で農村へ出向して貧困扶助の仕事に就きたい人を募集しました。生活の条件が厳しいため、誰も農村へ行きたがらず、上司は困っていました。その時、私が進んでチームを率いて農村へ行きたいと言うと、上司は「とても助かった」と言いました。私は貧困扶助チームを率いて貧しい山岳地帯に入り、現地のいくつかの重大な難題を解決して、村民の好評を博しました。現地政府も「貧困扶助チームが何回かここに来たが、あなただけが収賄せず、夜遊びもしないリーダーだ」、「あなたたち法輪功を煉る人は民衆の福利のために尽力すると聞いたが、あなたの仕事を応援したい。時間があれば法輪功を紹介してほしい」と言ってくれました。

 修煉を始めて2年足らずで、私は肌が白くつやつやして、髪の毛は真っ黒で、20年も若返ったようで、40代の私は見た目では20代のようでした。元嬰はすでに2歳の子供のようになり、それに玄関設位、卯酉周天、体外の大きな脈、他心通、宿命通なども次々と現れて、法輪大法の不思議さを私は身を持って体験しました。私の思想は清浄で、名利に淡白で、真面目に仕事をして同僚とも仲良くして、無私無我の覚者になれるように頑張っています。

 二、迫害

 1999年7月20日の明け方に、市の「610弁公室」と市と区の公安局、国保大隊など6、7人が我が家に押し入って、不法に私を連行しました。拘禁された4年間は学法ができず、私はただ毎日心の中で覚えている経文を繰り返し暗唱するほかありませんでした。『論語』だけでも4年の間、少なくとも4万回暗唱して、大法は私に魔難に打ち勝つ決心を与えてくれました。

 私がいた刑務所には服役者が3千人くらいいて、中に大法弟子は70人ぐらい、多い時は100人もいました。省の「610弁公室」と司法庁、刑務所の管理局は刑務所内に「洗脳班」を作り、残虐な拷問をして大法弟子を「転向」させようとしましたが、私がいた4年間で、いわゆる「転向」された弟子は2人しかおらず、2人とも後日、「転向」したことを撤回する声明を出しました。私は獄中で「洗脳班」の悪行を暴き出したので、刑務所側は恐れて、翌日に「洗脳班」は解散しました。

 私たちは大法弟子の基準で厳しく自分を律しているため、多くの服役者は「法輪功は良い」と感服しています。法輪功が迫害される真相が分かった多くの服役者は大法弟子に同情して、中国共産党を罵り、弟子のために経文をこっそりと回し伝えています。獄中で修煉を始めた服役者もいます。

 2005年4月、私は帰省の途中で鉄道警察に連行されて、不法に3年間の強制労働教養を言い渡されて、東北地方の2カ所の悪名高い労働教養所に相前後して拘禁されました。そのため大法と師父を信じる心が動揺して、私はつい大法修煉を止めることを認める「保証書」を書き、師父と修煉を裏切って、永遠に自分の人生に拭い取れない汚点を残しました。出所後、私は真剣に学法して内に向けて探し、同修の助けの下で「三つのこと」をやって、やっと正法の進展に追いつきました。

 三、学法して心を修める

 1999年の7.20前まで、出張の日を除いて、私は毎晩煉功点に行って2時間学法し、1日も漏れることなく毎朝戸外で煉功しました。ほぼ1週間に『転法輪』を2回読み、毎日5セットの功法を2回煉って、1日を2日間のように過ごし、とても充実して飛躍的に精進していました。2回の迫害に遭い、自由を失った日数は累計5年7カ月で、その間に『転法輪』を読めず、煉功もできなかった損失はとても大きかったのです。損失を補うため、家に帰ってから私はいっそう時間を切り詰めて学法と煉功をしました。毎日『転法輪』2~3講を学んで、経文も発表順に沿って系統的に学んで、朝晩それぞれ2時間煉功しましたので、心性の向上と本体の変化は明らかに現れました。

 2003年、刑務所から出所した時、4年も静功を煉っていないため、座禅すると両足はとんでもなく痛くて、私は歯を食いしばって1時間我慢しました。まるまる半年、座禅すると足と腰に激しい痛みが走って、冬場でも汗がだらだらと流れました。半年経ったある日、突然、足が痛くなくなって、楽に1時間半ないし2時間も座禅できるようになりました。また、東北地方の労働教養所から出た後、視力が下がって、4号の字を4倍拡大してもはっきり見えませんでしたが、2カ月の学法と煉功をした後、視力は完全に回復しました。私と妻(同修)は家庭資料点を創立して、師父の新経文、『明慧週刊』、小冊子、真相紙幣を印刷して、MP3プレーヤー、MP5プレーヤーに録音し、神韻ディスクを複製して、周囲の同修に供給しています。

 また、私は機会を捉えて常人と対面して真相を伝え三退」を勧めて、とても良い効果を収めました。全世界統一の四つの時間以外、私はできるだけ多く発正念しています。心身ともに修煉に専念しているので妨害も少なくて、その上正念が強く、妨害はさらに弱くなっています。悪はすでに邪魔をすることができなくなりました。師父の言われたとおりに実行して着実に自分を修めれば、自然に正法の進展についていける、と私は体得しています。

 妻は他の同修と集団学法を続けていますが、私は自分の情況によって、ほとんど1人で学法します。朝晩に関わらず、時間があれば学法をして、このようにして毎日2講、3講勉強できます(全体行動、または重要事がある日を除く)。毎日「三つのこと」をやっていれば、妨害は少なくなって、正念も強くなり、修煉は堅固になると思います。

 四、同修を助けて共に向上する

 2003年8月、私は刑務所を出所して家に帰ってから、いろいろな原因で修煉を止めた同修を1人ずつ訪ねて、彼らが修煉に戻るように説得しました。交流を通じて、私が訪ねた同修の大半がもう一度修煉に戻り、今は良い修煉状態を保っています。

 病業に苦しんでいる同修に対して、私は彼と交流して一緒に発正念をし、執着を探して修煉の信念を固めるように助力します。ここで一つの例を挙げます。1998年に修煉を始めた妻の妹は、数カ月前から深刻に妨害されていました。左足の激痛のため連続1カ月、一睡もできなくて、169センチの妹は体重45キロに激減しました。このような情況下で、妹は心性を守れずに複数の病院に行って検査しましたが、病名と発病原因を突き止めることができず、手術をしましたが、かえって尻の筋肉を傷めて、最後には座ることも歩くことも困難になり、寝たきりになりました。2010年12月2日、家族は彼女を担いで列車に乗り、遠い北京に治療を求めに行きました。私たち夫婦も北京に行って妹の家族とホテルで合流しました。北京の病院で検査した結果、以前の手術が作った尻の筋肉損傷以外、依然として「病気」を発見出来ませんでした。そこで私たち夫婦は目が覚めて、これは旧勢力の妨害なので、常人の治療をやってはならず、妹の正念を呼び覚まして一緒に旧勢力の妨害を除去しなければならない、と悟りました。

 12月3日、みんなで北京のホテルに泊まりました。私たち夫婦は妹と交流して、明日以降、検査を受けないで、私たちと一緒に我が家に行って、ひたすら大法修煉の道を歩んで、師父と大法を信じ、すべて師父にお任せしましょうと話しました。

 12月3日、みんながホテルに泊まった日の夜は本当に正邪の大戦でした。足の激痛に妹はいても立ってもいられなくて、「鎮痛剤をください」と私たちに懇願しました。私たちは心を動かさず、妻は彼女を慰めて、牛乳を温めて飲ませ、私は妹のそばで、徹夜で発正念をしました。私たち夫婦はすでに20数時間も寝ていませんが、気を緩めずにずっと発正念を継続しました。明け方に妹の下腹部が重苦しくなり激しく痛み、たまらないほど痛くなった途端に、数日前に終わったばかりの生理が突然来て、黒い血のかたまりが多く出た後、下腹部の痛みは収まって、邪悪な生命と汚い物が取り除かれ、妹はやっと眠れるようになりました。翌朝、我々は妹と一緒に動功を煉って、朝食後に車に乗って、妹を数百キロ離れた我が家に連れて来ました。

 数カ月にわたって病魔に苦しめられた妹は心性が落ちて、まだ常人の方法に頼って漢方薬を飲もうとしています。我が家に来た翌日に漢方薬を飲み始めましたが、飲んだ後とても辛くて、飲まない時よりも状態が悪くなったのです。妹は「私は間違った、もう薬を飲みません」と言いました。翌日、妹は薬を飲まずに、学法と煉功をして、ベッドから降りて室内を歩くことが出来るようになりました。私と妻は喜んで、その夜、気を緩めて寝坊をしました。結局翌日、妹はまた漢方薬を飲んで、また体がとても辛くなりました。薬を飲んだ2回とも体が苦しくなったにも関わらず、妹はまだ悟ることができず、薬を娘さんにこっそり捨てられたと知った時、また娘さんに愚痴を言いました。

 妹は我が家に来た3日目に、私は明慧ネットに「摂魂大法」と「化功」の神通力を駆使して邪悪を滅するという交流文章を見ました。我々も「摂魂大法」と「化功」を使って、妹の空間場の邪悪を除去すべきだと私は悟りました。発正念をした後、妹の空間場に宿った邪悪な生命をまず焼いて、最後に水に溶かして解体しました。妹は足が暖かくなったと感じ始めました。数カ月来、布団を2枚掛けても両足はずっと冷たかったのですが、その日から足が暖かくなって、ほぼ正常な状態になりました。

 しかし我々は妹の空間場を完全に浄化できたわけではなく、7日目に、体中にとげが生えている怪物が蘇って、引き続き妹を妨害しました。我々は集中的に発正念をしてやっと妹の空間場をきれいに浄化したので、ずっと今日まで正常です。1日目、3日目、7日目の3回の集中発正念に、妹はすべて真面目に協力して、我々3人は一緒に徹底的に邪悪を滅しました。このことは、大法の不思議さを実証して、大法弟子は師父が与えてくださった仏法神通力を備えていることを実証しました。

 修煉のやり方が分かった妹はそれから学法、煉功、心性を修める、内に向けて探すなどの面で進歩が速く、毎日しっかり続けて、体はとても速く回復しました。1カ月足らずのうちに体重は数キロ増えて、買い物や自転車に乗ることもできるようになりました。家族は自分の目で大法の不思議さを見て、修煉していない妹婿は何度も感動の涙を流しました。

 我が家に来て40日後、妹の家族は実家に帰りました。もちろん、実家に帰ってからも毎日学法、煉功、発正念を怠らずに続けています。今の妹は健康で顔色は赤くてつやつやして、骨格、顔つきも良い方向に変わり、以前よりもっと綺麗になって、周りの同修に大いに感動を与えました。

 起死回生の体験から、妹は自分の安逸心を見つけました。例えば毎日きちんと2時間を煉功しない、ほとんど発正念をしない、朝ご飯を造ったらまたベッドに入って午後1時か2時頃まで寝るなどです。また、内に向けて探すことがまだできていないことにも気づき始めました。長期の安逸のため邪悪に隙に乗じられて、命まで落としかけました。本当に痛ましい教訓です!

 妹の体験から、私は魔難と戦っている同修に、必ず法に則って、妨害を除去するという意識をはっきりさせて、師父と大法を堅く信じて自分を着実に修めてこそ、はじめて一歩一歩確実に前へ進むことができる、と伝えたいのです。

 師父、ありがとうございます!

 同修のみなさん、ありがとうございます!

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/27/249147.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/30/130403.html)
 
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