明慧法会|師父が按排された道は最も安全な道(一)
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2012年10月6日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1996年2月28日の夜に大法を得ました。その日、師父は多くの疾病に苦しめられていた瀕死の私を救ってくださいました。その日は私の新しい誕生日で、私は永遠に忘れることができません。

 一、家庭資料点を設立

 迫害が始まってからしばらくの間、大陸の各地では大型の資料点を運営していました。正法の推進につれ、大型資料点は様々な小型資料点に変わりました。同修たちは能力に応じて自分のできることを一生懸命やっています。私は他のことができなくて、ずっと真相資料を常人に配ることをやっていました。

 当地の迫害はひどく、まず大型資料点が破壊され、それから小型の資料点も次々と破壊されました。多くの同修は恐れる心から、自力で資料を作ろうと考えずに資料点に頼る一方なので、資料点の同修は大きな圧力を抱えていました。

 ある日、某同修が私に自宅で家庭資料点を創立しないかと相談を持ちかけてきました。そうですね、我が家の環境は家庭資料点を作るのに最適です、夫婦ともに修煉者で、子供たちも大法を信じて我々夫婦の修煉を尊重して応援しています。私は即座に同意しました。

 技術が分かる同修Aさんの助けのもとで、我が家の資料点は運営を始めました。私は何も知らないので、消耗品の購入、使い走りをするなどして、Aさんに協力してできる事をしていました。1年余り比較的順調に進んで、我々夫婦とAさんはよく協力しました。1年余りの中で、修煉を高めたことも、妨害もありました。例えば機械によく故障が起きました。皆で内に向けて探して、私は多くの執着心を見出したのですが、機械の調子はずっと変わりませんでした。機械というものは使えば使うほど悪くなるので、私たちの心性の問題ではないかもしれない、内に向けて探すこともしたのに、どうして解決できないのかと、私は法理をはっきり認識していないため、そう思いました。

 ある日、同修Bさんは私に、「お姉さん、資料点をあなたの家に設立した以上、あなたが主として資料作成の仕事を担うべきではないかと思います。自分の家だから、いつ資料を作るかの段取りもやりやすいから」と提案しました。実はこの事は以前他の同修にも提起されたことがありますが、私はずっと決心できないままでした。その日Bさんも話を持ちかけてきました。何も言わない私を見て、Bさんはまた「お姉さん、私達は真・善・忍に基づいて修煉しているのです。無私無我、他人のことを自分のことより優先して考える覚者になるようにという師父のお教えがあります。Aさんは資料を作るために、あなたの家まで移動するのは大変ではないですか? 修煉者は同修のために考えなくては。Aさんのためを考えても、今後あなたは自力で資料を作るべきではないですか」と話しました。それを聞いた私は、心の中で驚きました。彼が言った法理は私も分かりますが、具体的な事に出会うと、法理を持って自分を指導することを忘れて、いつも学法と修煉を別々に考えてしまうのです。これはやはり法理がはっきり分かっていないということです。

 私は心を静めて真剣に法を学んで、物事を難しく考えすぎて、つい悩んでしまうという執着を除去して、自信を持つようにと自分を励まし、一人で資料を作れるように頑張ろうと決心しました。Bさんは根気良く教えてくれ、私は操作手順をメモして一つずつ試して、間もなく、印刷の基本操作をすべてマスターすることができました。それからは、師父の過去の説法と新経文、毎週の『明慧週刊』、『明慧週報』、真相の小冊子、真相のお守り、シールなど多くの資料を全部、質を保ちながら時間通りに作って、すぐに同修のところに送り届けています。

 我が家の小さな資料点は60、70人の資料の供給を担当しており、師父の新経文が発表される度に、私達は200冊余り印刷して同修に渡します。今まで、私は1人でこの資料点を運営して1年余り経ちますが、機械はもとの機械で、一度も修理をしていないのに、すべての故障がいつの間にかなくなりました。まさしく同修たちが言った「機械を修理する前に、自分をしっかり修するべきです」の通りです。

 今の私は、以前の機械の故障はすべて私の執着が起こしたものだと分かっています。一体どんな執着心が旧勢力に隙に乗じられたのでしょうか? 私が心を静めて探してみたら、依存心、人に言われたくない心、名を求める心、自我を放下しない心などが見つかりました。つまり根本的に言えば私心です。これらの執着心のため、1年余り、旧勢力に妨害されていました。すべての執着心を取り除こうと、私は決心をしました。

 この一年余りの特殊な環境により、普段気づかない多くの執着心が暴露されて、精進するようにと自分の背中を押されているようです。家に小さな資料点を設立できることは、師父の私に対する慈愛です。私は必ず資料点を大切にして、力を尽くしてやるべきことをやり、師父の期待に応えられるように、家のこの小さな花をもっときれいに咲かせようと思います。

 (続く)

 (明慧ネット第八回中国大陸大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/10/249496.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/25/130317.html)
 
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