明慧法会|ある医者の五年来の修煉体験(一)
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文/仙韻(中国の法輪功修煉者)

 【明慧日本2012年10月18日】

 一、大法を得る

 同修の皆さん、こんにちは! 私は2006年に大法を得た医者です。5年という短い修煉期間の中で、私は多くを受益しました。以下に、この数年の私の修煉過程について述べてみたいと思います。

 私は1996年に大法のことを知り、その時周囲の多くの修煉者を見て、自分の両親に学ぶように勧めてみました。家族に学ぶ人がいれば、いざという時に自分も習いやすいと思いました。当時、出産を終えたばかりの私は学ぶ時間がなく、本も読んでいないので、ただ一般的な健康保持のための気功だと思いました。最終的に両親は学びに行かなかったので、こうして私は法を得る最初のチャンスを逃してしまいました。

 いつの間にか十年の歳月が過ぎ去り、当時の私は人として生きる意義が分からず、人生に対して大きく失望していました。常人から見て、私は中流の家庭に生まれ、安定した収入もありますが、しかし内心の苦悶は自分自身しか知らないのです。私は小さいときから法を得るまでの間、家庭の温かさを味わえず、世間で真の愛を追い求めるのが人生の目標だと思いました。世間の人々は非常に利己的で、宗教の中の大いなる愛こそが私の心の扉を開いてくれると思いました。こうして、私は宗教や哲学の本を読み始め、自発的に仏教の経文を学び始めました。後に師父の『転法輪』を読み、初めて宗教が既に人々を済度できない原因を知りました。自分に修煉したい純粋な一念があったから、師父は私を導いて下さるようになりました。

 当時の私はまだ法を学んでいませんでしたが、色々と奇妙なことを経験しました。例えば、天目が開く際の状態です。馬に乗って走っていたり、車に乗って外に向かって走ったり、目を閉じたら花が咲くような感覚などを経験しました。「赤いところはもともとは平らだったのですが、いきなり真ん中が膨らんできて、次から次へと絶えず咲いてきます。」(『転法輪』)夢の中で、私はある白い髪と髭をたくわえた道士が雲の中の庵に座って、私がオートバイに乗って空に向かって登っていこうとする姿を眺めているのを見ました。私は何回チャレンジしても成功できず、最後に諦めてその場に居座ったままでした。その道士は一言も発せず、目を閉じました。そうですね。天機は明かされてはいけませんね。また、私は赤と青、そして赤と黒の二種類の太極図も見えました。当時、自分の夢を信じず、太極は白と黒ではないかと自分に反問しました。その後『転法輪』を読み、初めて分かりました。その後間もなく、師父は私に大法を得る機会を按排して下さいました。

 2006年8月17日、私は長い間会えなかった友達の甲に会いました。彼は現地の指導員だったのですが、迫害が始まってから連絡が取れなくなり、後で分かったのですが、彼は邪党に不当に懲役を科され、仕事も奪われました。常人なら耐え難い数々の魔難を経験したのち、彼はかえって更に成熟し、冷静で知恵があって、超然としたオーラがあるように見えました。彼が今でも修煉し続けていることを知って、私は敬服しました。しばらくの接触で、私は彼の常人とは違う修煉者としての内面の純粋さと超然さを肌で感じ、自然と大法のことをもっと知りたくなり、自分もそのような修行ができればと思いました。彼の案内の下、私は短期間で師父の全ての経文を読み、自分が本当に飛躍的に前進しているのを実感しました。座禅のとき、目の前に金色の阿弥陀仏や観音菩薩が現れ、私が一心不乱に座禅しているのを見て、しばらくして消えていきました。また、様々な他空間の景色も見えました。夢の中で、私は車に乗ったままエレベータに乗り、27階に行こうとボタンを押したら、そのまま37階に向かいました。また、座禅の際、金色の仏塔が見え、その上に一層一層の小さな仏がいて、もっとじっくり見ていくと、その塔の先端部分は、大きくて厳粛な仏の頭部になっていました。私は言葉で表現できない数々の素晴らしい光景を見てきました。特に座禅のとき、『転法輪』の中で書かれた現象の多くを経験しました。例えば、頭がうなずいたり、横へ揺れ動いたり、体が浮き上がったりしました。私は病気治療のために修煉し始めたのではありませんが、いつの間にか私を長年悩ませた数々の病気、例えば過敏性鼻炎、慢性咽頭炎、十二指腸潰瘍、結腸炎、じんましん、乳腺房増殖の全てが消えました。

 私は全ての余暇を学法に使い、会社の会食や活動を断り、仕事を終えたら、家に帰って学法することしか考えませんでした。ある日、仕事の合間に私は小版の『精進要旨』を取り出し、集中して読んでいる最中に突然、大きな声で声を掛けられました。「お、あなたは大胆にも法輪功の本を読んでいますね!」ある男性の同僚がいつの間にか私の横に来ていました。私は彼に淡々と笑顔を見せ、周りを見回すと、皆が自分の仕事に集中していて、私たちのことに気づいていないようでした。その男性の同僚も振り向いて他所へ行きました。その後、義理のお母さんは長男の家に数カ月間住むことになり、義理の姉はうちの家族3人を毎日、自分の家の夕飯に招きました。もともと、我が家は朝食を取らず、昼食を取りに家に戻らない習慣がありましたので食事を作る必要がなくなり、こうしてもっと多くの時間を得られた私は『洪吟』と『洪吟二』を小さなノートに書き写し、常に携帯し、どこ行っても見ながら法を暗記していました。その期間は私の人生において最も充実していて幸せを感じ、心身共に法に溶け込んでいた期間でした。

 二、心を修める

 ある日の朝礼で、上司は仕事の説明をする際、長たらしい指導をしました。私はつい内心で思いました。仕事が最もできていないのはあなたではないですか。今の上司は努力して職位を得たわけでもないのに…。突然、師父の法の一節が浮かんできました。「以前説法の中である道理を話したことがあります。中共の党の文化にある言い方があります。つまり、他の人に正しく行うようにという前に、自分がまず正しく行わなければなりません。そして、悪いことをした人が指摘されると、「あなたがまだ正しく行っていないから、私のことに口を出してはいけない。私に口を出す前に自分がまず正しく行ってください。」と言うのです。」(「各地での説法七」『米国西部国際法会での説法』)私はすぐに気づきました。修煉は自分を省みることで、他人を見て判断を下すことではなく、この観念は長い間自分に形成された常人の悪い考えだと認識しました。その日の夜、ある夢を見ました。私は部屋の中に入って、突然部屋の外の高いところから、ある黒い覆いを被った人が両手で、私に黒い煙のような物質を投げ込んできました。直感で、それを受け取れば私は死ぬか負傷することになると思いました。それでも私は両手を挙げ、それを受け取る用意をすると同時に大声で、「師父、助けて下さい」と叫びました。私の両手が彼の両手と合掌した瞬間、「バン」と大きな音がすると同時に、その黒い覆いを被った人が爆発しました。私は部屋の外に出て、空中に浮き上がり、押さえきれないほどの興奮を覚えました。これは多分、昼間の私の心の経験が、他空間で真に反映されたのだと思いました。修煉者は法に沿って自分の一つの考え、一つの念を判断し、真善忍に符合しないものの全てを排除すべきだと思います。

 私は同修のところから2003年から2006年までの『明慧週刊』を持って帰り、その中の修煉体験を読み、大きく奮い立たされました。私に一念が生じ、直接明慧ネットを見られるようにと思いました。そうすれば、同修に頼らず、毎日の最新の文章を読めるし、法を正す修煉の進展に追い付いていけます。「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)しばらくしてから、私は一枚の真相CDから、自由門(フリーゲート)というネット封鎖を突破するソフトを知り、それを利用し始め今日に至りました。ネット封鎖が最も厳しい時期でも、私は無事に明慧ネットを閲覧し、師父の最新の説法を読み、そして徐々に真相冊子の作り方も学びました。

 大法を得る前の私は利己心が強く、物事を自分の立場からしか判断しませんでした。『転法輪』を読み、この一節を学びました。「佛教では因果応報を唱えていますが、段取りは業力に応じてなされていますから、あなたにいくら力量があっても、徳が無ければ、一生何も得られないかも知れません。ある人は何をやっても駄目でも、徳が多いので、高官になり、金持ちになります。常人にはこの理が分かりませんので、自分にふさわしいことをやらせて貰うべきだといつも思っています。ですからその人の人生は争いの繰り返しであり、心がずたずたに傷つけられ、とても辛い思いをし、疲れていると感じ、心はいつも平静でいられません。すると食事も睡眠もろくに取れず、気落ちしてやる気を失い、年を取ってくると身体もがたがたになり、あらゆる病気に見舞われるのです。」

 私が『転法輪』から教わったのは、いかに良い人になり、真善忍という基準で自分を律する道理であり、また世間の全てに因縁関係があって、人は生きているうちに業力の転換を受けなければならず、全ての苦痛と煩わしいことは自分自身が作ったものであることも分かりました。こうして、私は気に障ることに遭った時、他人を恨んだり不満不平を言ったりせず、内に向けて自分の不足を探し、正し、行動をもって大法を実証するようになりました。今は、大多数の親戚や友達は私が大法を修煉していることを知り、私の変化から大法の素晴らしさを知り、三退し、自分たちの良い未来を選択しました。

 三、魔難

 私が大法を得た時、母親も一緒に学法と煉功を始めました。1999年の時から、母親は既に何度も兄と姉に大法を薦められ、大法の本も手にしましたが、読みませんでした。私の影響で、母親は少し学法や煉功をしましたが、師と法を信じる根本的な修煉をしておらず、病気治療の心もあって、法に沿って実行せず、他人に唆され私たちに内緒で仙人に病気を治してもらいに行って、結局憑き物を招いてしまったのです。その後しばらくの間、彼女は狂ったように意思がはっきりとせず、何日も寝ませんでした。もし、師父のご加護がなければ彼女はとっくに命を落としていたと思います。

 師父の按排で、異なる時期に異なる同修が私を助けるためにやってきました。例えば、私に大法を紹介してくれた甲同修は、法理の面で私と交流し、叔父や叔母(同修)は病室に来て私と一緒に発正念し、その後、もう一人の同修は私を手伝い、24時間つきっきりで母親の看病をしてくれました。こうして、母親は短期間で健康を取り戻しました。担当医もこれが奇跡だと思っていました。もし、師父のご加護がなければ、私と私の家族はきっとこの魔難を乗り越えることが出来なかったでしょう。当時、私は法を得てまだ数カ月しか経っておらず、多くの常人の心を持っており、多くのことをうまく処理できませんでしたが、心に強い一念だけがありました。どんなことでも私の修煉の決心を動揺させることはできず、どんなことがあっても私の師父と法への堅い信念は揺るぎません。

 当時、私は母が入院している精神病院と職場の病院、そして家庭の間で奔走し、ちょうどその頃、老年痴呆症を患う義理の母まで私の家に住みつくようになり、本当に耐えられないストレスを感じました。ある日、母の見舞いを終えて帰宅の途中、一台の大型貨物トラックが私の横をすごいスピードで通り過ぎ、その風の勢いで私のオートバイがふらつきました。ふと私は思いました。師父、このまま終わって楽になればいいです。瞬時に、両肩に感じていた重い物質が消えたように感じました。涙が私の両目をぼんやりとさせ、慈悲な師父は再び私の代わりにこの山ほど、天ほどの業力に耐えて下さいました。今回の魔難で、私は大きく成長し、以前感じていたストレスを振りかえれば、何ともなかったように思いました。

 入門当初、私は甲同修の高尚な人格に惹かれ、彼の慈悲、無私に感心し、遂に彼を崇拝し、とても重い情と依頼心を持つようになり、事あるごとに彼に尋ね、褒められると嬉しくてたまりませんでした。その後、彼は邪悪に転向させられ、別の同修の転向も手伝い、再び修煉し始めましたが修煉状態に問題があることを聞きました。私は常人から修煉をスタートしたばかりで、法に関して深い理解がなく、修煉の厳粛性も認識できず、ただ感性で彼の超常さを崇め、盲目的に彼の全てが正しいと思っていました。

 何回か、私は彼との付き合いを断ち切ろうと思いましたが、彼と交流した後、やはり私は彼の意見に流されてしまいました。彼に言わせると、大法の修煉は形式を重んじず、心を修めるのが肝心で、彼に追随して修煉してこそ高い次元を目指すことができ、真相を伝えている人々は低い次元にしか到達できません。以前、私は自分がわりと容易に情を放下出来ると思っていましたが、実質、それは人との付き合いの中であまりにも多くの心の傷を負ってきたせいで冷酷になっただけでした。内心では、私はずっと温かい情を求めていて、“人生において、真の精神的な仲間が一人いれば十分だ”という話に賛同し、その背後には、私の汚い色心も隠されていました。これらの放下出来ない人心や執着によって、私は危うく邪悟の境地に入るところでした。私は同修甲に対して恩を感じ、崇拝することから、悲しみと恨み、絶望を経て、今日淡々としていられるようになりました。師父と法を堅く信じていなければ、『転法輪』を繰り返し暗記しなければ、そして明慧ネットの交流文章を大量に読まなければ、私はこの泥沼の境地から脱出できなかったでしょう。

 師父は『転法輪』の中でおっしゃいました。「すでにお話ししたように、人類は今日のような段階まで来てしまって、すべてのものが退廃しており、社会全体、宇宙全体のすべての事が引きも切らずに退廃しています。常人の中のすべてはみな自分自身がもたらしたことです。正法を求め、正しい道を歩もうとしても、さまざまな方面から妨害されます」

 その間、私はこの強烈な執着を無くすべく、絶え間なく学法しましたが、なかなかこの心をきれいに取り除くことができず、いつも師父に対して合わせる顔がないと思い、遂に自分を疑い始めました。『転法輪』を開き、この段落が目に入りました。「悪いと知りながらやめることができない人がいます。それは正しい考えに導かれていないために、簡単にはやめられません。一人の修煉者として、あなたは今日から、それを執着心として捨ててみてください。やめられるかどうかを試してみてください。皆さんに忠告しますが、真に修煉したい人は今からタバコをやめてください。必ずやめられることを保証します。この講習会の会場にタバコを吸いたいと思う人は誰もいないでしょう。そのようにあなたはやめたければ必ずやめられます。再びタバコを口にすれば、変な味がするにきまっています。」

 私は涙を流さずにはいられませんでした。これは正に師父が私を励まして下さったのではないでしょうか。同時に、私は長い間自分にのし掛かっていた、ある重いものが消え、心身共に軽くなったように感じました。再び、師父は私の悪いものを取り除いて下さったと実感しました。断ち切るべきものを断ち切らず、執着の中で執着を取り除こうとすれば当然難しいでしょう。現在、私は甲との付き合いをやめ、一年ほどの学法、心の修煉、欲や執着を取り除くことによって徐々に自分を正し、再び大法修煉に戻りました。

 法は万能で、私達は絶え間なく心を静めて学法し、時々刻々、法に照らし合わせ自分の内に向けて探せば、乗り越えられない関や難はないと思います。このような回り道をしてきた私は、もう少しで旧勢力の罠にはまることになり、衆生を救う大切な時間を無駄にしてきて、本当に慈悲なる師父に合わせる顔などないと、深く思います。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/4/248925.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/14/130092.html)
 
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