明慧法会|協調の中で境地を高める(一)
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年11月3日】師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 インターネットでの修煉体験交流会に中国大陸の大法弟子が参加するチャンスを師父が再びくださったことに、心からの感謝をお伝えいたします! 今、法会は宇宙の中の聖会で、私にとって非常に大切なので、この機会を失いたくないのですが、しかし何も書くべきことがないとも思っています。私の考えでは、毎日街へ行って真相を伝え人を救っている同修は大したもので、このような同修には書くことがあると思っています。この数年間、私はずっとこの地区の協調に参加してきたので、真相を伝え人を救うことは、様々な環境、様々な場で会った人に真相を伝えるとか、真相資料を作り、DVDを作成したり、あるいは真相電話を掛けるだけでした。原稿募集の時間が20日余り過ぎてはじめて、私は慌てだしました。協調の仕事に関わったからには、協調と修煉上の体験を書きたいと思いました。

 実は協調とは、自己を実証することではなく、絶え間なく修煉して自我を取り除き、法の内に溶け込んでいく過程であり、協調の中で現れるのは大法の法理であり、体現されるのは全体の力であり、これは必ず到達しなければならない境地であって、自ら進んで他の人と協調する一方で、平常心を持って他人の協調を受け入れることもできます。次にあげるのは、私の協調の修煉過程での体験です。師父にご報告し、同修と分かち合います。

 一、1年遅く開いた法会

 協調は仕事ではなく、協調は修煉です。人を管理して人を修煉させることではありません。人に何かをさせるということではなく、着実に自分を修煉し、本当に自分が行うべきことを行うのです。それは04年の年末のことでした。私は家で、半身不随で寝たきりの父と車いすの母の世話をしていました。我が家は学法点で、当時私はまだ協調の仕事をしていませんでした。農村の同修が私の家まで来ました。そして、同修の田舎の同修はゆるんでいて無関心であること、近々法会をやりたいので、参加する同修を集めることを私に手伝ってほしいと言いました。私は学法点の1人の老年の同修と相談し、承諾できると思ったので、同修に私の家の電話番号を残しました。

 結局、翌年の春までずっと待って、この農村の同修から「法会を開催する準備をしましょう」という電話を受けました。私とその老年同修は、それぞれ3人の協調人を見つけましたが、誰も法会に行こうとしませんでした。さらに、ある協調人と別の協調人は「私は行きません、あなたも行けません」と言いました。また、この農村の同修の夫は村の役人であり、7.20の前は修煉していましたが、圧力を受けた後、修煉しなくなり、さらに迫害に加担していました。このような状況ですが、農村の同修はそれでも待っています。どうしていいかわかりませんでした。同修が必要としているのであれば、私が行きます。老年の同修が、私の家のことをどうするつもりなのかと心配したので、私は学法点の同修を探して面倒を見てもらうことにしました。私と老年の同修、さらに、行きたがっていた別の同修は、次の日の朝、バスに乗って行くことに決めました。しかし当日の夜9時過ぎ、老年の同修が私の家へやってきて、(悪い予感がするので)行くのをやめたと言いました。しかもそれだけでなく、○○同修が当局に拉致される前、老年の同修はその予感がしていたと言い、たくさんの例を挙げました。しかし、私は自分の決定を確固として貫くつもりで、私はもう一人の同修と一緒に行くことにしました。老年の同修は10時過ぎまでずっと話し続け、最後に私も行かないようにと提案してきて、行ったら捕まってしまうような感覚を私に与えました。しかし私は「行きます」と、確固として言いました。次の日の早朝、老年の同修が突然やってきました。老年の同修は一晩中眠ることができず、「旧勢力を必ず否定しなければならない」ということを理解しました。こうして、私たち3人はバスに乗って農村へ行きました。

 そこに着いてみると、3、40人の同修が私たちを待っていたので、私は本当に「正解だった」と思いました。今回の法会はとても成功しました。紙面に限りがありますので、ここには細かく書きません。私たちが12時の発正念を終えて帰宅する時、同修たちは別れを惜しみました。幾人かの同修は私たちと1、2里の道を歩き、ずっと交流しながら、バスターミナルに着きました。

 帰りのバスで偶然、私は7.20前に知りあった同修に会いました。7.20後すぐ、その同修は修煉を放棄してしまいました。「まだ修煉している人はいますか」と、その同修はずっと私に尋ねたので、「たくさんいます。真の修煉者は一人も脱落しませんでした」と、私は返答しました。そして、私はその同修に真相を伝え始め、その同修に三退してもらい、さらに法の中でその同修と交流し、その同修が帰ってくることができればと思いました。そして、最後に、その同修はとても楽しそうに応えてくれました。私が話している時、2人の同修は発正念をしていました。私のしゃべる声がとても大きかったので、バスの乗客にみんな聞こえ、運転者は振り返って険悪な目つきで私を見ました。私と偶然に会ったこの同修は最前列に座っていたので、私はすぐに運転手に対して発正念しました。まもなく運転手の近くで、何故かわかりませんが、煙が上がりました。運転手が車を修理している時間を利用して、私はずっと落伍した同修に現在の正法の形勢を伝えました。車が直ってから、運転手の目つきも変わったので、私はずっと話し続けました。バスが駅に着き、私は偶然会った同修を私の家に連れて行き、国外の同修が法を伝えているDVDを彼に見せ、学法点の同修が何冊かの真相冊子を彼のために用意しました。帰る時、彼はとても喜び、これからきっと修煉すると示しました。私も嬉しくなり、自分がやるべきことをしたと思いました。これはみな、師父が按排されたもので、みな、師父がなさっていることだということを、私は知っています。今回の法会は1年早くやるべきでした。その農村の同修も夫を恐れていたため、法会が翌年に遅れたので、私は「1年遅く開いた法会」と言いました。

 二、丸く収めた資料拠点

 意気地がない、または不完全なところを見た時は、師父がおっしゃったように「不完全だと思っている部分を黙々と補うべきです。これこそ大法弟子が行うべきことです」(『更なる精進を』)とすべきです。

 05年当時、私はまだ協調の仕事をしていませんでした。私たちの学法点の資料拠点は、ずっと一方通行の連絡方法で、うまく運営され、どんな資料でも備えていました。ある時、資料拠点に連絡してきた同修がメモを1枚、私に運んできました。それは資料拠点の同修が書いてよこしたもので、大意は「ある協調人と資料拠点の同修にトラブルが発生したので、協調人は機械を取り戻すつもりで、さらに同修は玄関で大きい声を出して、同修の名前を呼んでいます」というものでした。もし機械が持って行かれるなら、資料拠点の同修は資料を作るために1200元で新しい機械を購入しなければならないばかりでなく、引っ越しもしなければならないと、資料拠点の同修は示しました。なぜなら、当時の環境はかなり緊張していて、資料拠点の場所は秘密だったからです。

 このメモを見た後、多くの人たちに知られないように、協調人に助けてもらいたいと私は思いました。私が関わった以上、偶然ではありません。私はメモを書いて、「協調人が機械を欲しいなら、好きなように持っていかせなさい。私が協調人を見つけて交流します。私たちの資料拠点は正常に運行しなければなりません。資料を作るためのお金を使って機械を購入することはできません」と同修に返事しました。私は1000元を出して資料拠点に機械を追加しました。この1000元は、私の夫が亡くなって5カ月分の補助金(1年間支払われ、毎月198元)であると資料拠点の同修が聞いた時、同修は感動し、お金を届け、さらに、機械を追加するお金は資料拠点の同修が自分で出すと言いました。私は再びこのお金を同修に届け、このお金で資料を作るようにと言いました。そうです。私たちはチームワークがよく、資料拠点はますます発展して変わりなく運行され、我が家にも一輪の小さな花が咲きました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/19/249091.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/6/129884.html)
 
関連文章