文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年11月4日】
三、田植えをする
協調すること、これは修煉者にとって一つの責務であり、いつも法を師としなければなりません。考慮すべきは師父が要求されたことであり、全体のことであり、同修のこと、衆生のことです。
昨年の春の田植えの頃、私は同修からの電話を受け取りました。その同修は仕事が忙しく、手が回らないので人を雇おうとしましたが、急には人が見つからず、いらいらして泣き出しました。私はすぐに、ある同修夫婦が不当に拘束されていることを思い出しました。同修夫婦の稲田は誰も耕作と田植えをする人はなく、作付けの時期を逃してしまいそうでした。
夜、学法グループへ行って学法を終え、同修とこのことを交流し、皆すぐに合意に達しました。「手伝おう!」 私はさらに、他の2人の協調人と相談し、2人は何人かの人を探してきて、さらに私たち学法グループの6人、合計11人が翌朝、車2台を運転し、買ってきたマントウ、漬物、キュウリや水を持って、不当に拘束された同修夫婦の田植えを手伝いに行きました。私たちはみな、田植えをしたことがなく、さらには見たこともありませんでしたが、一生懸命学び、苦心してやりました。
長靴が足りないので、ある同修は裸足で田んぼに入り、足をヒルに噛まれて血が出て止まりませんでした。私たちはスピードが遅く、両足をぬかるみにとられて足が抜けなくなり、両手で長靴を力いっぱい引っ張り上げました。長靴は時に泥水に水没し、泥水が長靴の中に入って泥だらけになり、疲れて汗びっしょりになりました。くたくたに疲れましたが、とても心地よく、それは同修夫婦のためであり、みんな昇華しました。カエルの声を聞いているうちに、ある種の安らぎを実感しました。
村人たちが私たちを見に来ました。私たちが自分で弁当を持って来たことを、同修の子供が村民に知らせると、村人たちから「法輪功を修煉する人はとても素晴らしい」という声が上がり、私たちのことはすぐに村中に広まりました。「法輪功は本当に素晴らしい」と村人たちが心の底から言っているのを見て、私たちはみなとても嬉しくなり、ほっとしました。このことからも分かるように、大法弟子自身が良く行なうこと、このことが真相を伝えることであり、これこそが大法の素晴らしさを現し、法を実証することであり、人を救う効果を直接見ることができるのです。
四、大型スクリーン
協調とはまさに、非難、愚痴、誤解、人心を刺激する言葉に直面した時に、寛容で広大な度量のある心をもって接することで、協調によりすべてを慈悲深い善念へと変化させます。トラブルが起きた時、心をえぐられ、骨身に浸みる時、無条件に内に向けて探すことができれば、それは真に修煉し、着実に修煉しているのであり、意気消沈することはありません。
それはある曇りの日の午後、ある同集が私たち協調人に、ある同修の家へ行くようにと連絡してきました。3、4人の同修が私たちのために大型スクリーン(プロジェクター)を準備しました。放映されたのは、私たちが犯した誤り・10カ条でした。「党の官吏に秘書がいる」「地区をまたがる協調により、この地区に潜在的な危険をもたらす」「携帯電話の不用意な使用による危険性」など10カ条で、その下に相応した師父の説法がありました。広い画面で、しかも「明慧ネットに掲載する」と言いました。放映していた同修の表情は深刻で、顔がこわばっており、さらにとても怒っていました。協調人の1人が途中で一度出て行った時、放映していた同修はすぐに罵りました。
私たちは皆、強く自制し、私は絶え間なく内に向けて探し、一条ごとに自分に照らし合わせ、自分のどこが間違ったのかを考えました。その時、放映している同修が「今日のこの件は、誰かを傷つけるかもしれません。はっきり言って、この件に対して、私は清さんと晶さん(全部仮名)に来てもらったのです」と言いました。同修が言った晶さんとは私のことです。10数人の同修の前で、この突然の話に直面して、私の心は感情的になろうとしたので、私は自分を戒めました。「誰に言われても受け入れられるようにならなければなりません。心当たりがあれば改め、なければ気をつければよいのです。指摘と批判を前に、心が動じないようにすることができれば、あなたはすなわち、向上しています」(『ロサンゼルス市法会での説法』)。私は師父のこの説法を何度も繰り返し、感情的になる心を抑え、「私は同修の良いところを見る。怒ったり、かんしゃくを起こしたりしているのは同修自身ではない」と考えました。
私は放映している同修に対して発正念しました。同修の顔も少しずつ穏やかになり、私の心も次第に平静になりました。私は今日のこの件で、この同修に「ありがとうございました」と言いました。放映している同修は全体のことを考えることができ、多くの時間とエネルギーを使い、苦心してこれらのことを行いました。目的は、私たちがもっとよく行なうように心から願っているからで、この10カ条に関して誤りがあれば、私はすぐに改め、なければ注意します……と私は心の底から思いました。もう一度同修の顔を見ると、その顔は笑っていました。
その後、私と清さんはこの同修の家へ行って交流しました。同修は率直で誠意がありましたが、清さんとの間に隔たりがあることを認めました。同修は私と清さんが仲間だと思っていたので、私とも隔てがあったのです。私は同修に「あなたは私に対して隔たりがあります。私はあなたに対してそんなことはありません。もし、私たちの間に隔たりがあれば、邪悪は喜び、師父は悲しくなります」と言いました。私たちはまたいろいろと話し合って、最後に、「私たちの間の隔たりはなくなりました。これからは、必要な時は協力して何でも話しましょう」と同修が言いました。その後、私たちのチームワークが良くなりました。
五、救出し、救出される
協調は無私無我の境地で、いつも他人のことを自分のこととし、それは同修の向上のためであり、同修を魔難から救い出すことを可能にします。
今年の夏、何人かの同修がある田舎町へ行き、派出所に捕えられました。同修からの電話を受けて、私と同修数人が直ちに引き渡しを求めに行きました。派出所に着いてみると、その同修たちは階上に監禁されていました。警官の態度はとても横暴で、修煉者をただ一人だけしか入らせませんでした。同修は中で真相を伝えました。警官は腕まくりをして罵りました。私たちには入らせず、さらに電話して街の公安局の警官を呼びました。私たちは外で協力して派出所の写真を撮り、派出所の状況を暴露する用意ができたので、発正念しました。
30分ぐらいして、3台のパトカーが派出所に到着し、十数人の警官が車から降りて来て、私たちを取り囲み、さらに、殴り始めました。同修を取り返せないうちに、私たちもまた捕えられ、中に入れられました。その夜すぐ、市公安局に送られ、警官は罵り殴り、私たちに名前を聞きましたが、警察には協力しませんでした。翌日の午前中、国保大隊がまた私たちを「取り調べ」ましたが、私は協力しなかったので、2人の警官が私の前にさっと現れ、殴りたそうでしたが、私は少しも恐ろしくなく、「あなた方、これは法に触れています」と警告しました。警官は何もできず、まず一番に私の写真を撮ろうとしましたが、私が協力しなかったので、警官はすぐに私を押さえつけながら、写真を撮りました。昼ごろ「解放する」と言って騙し、こそこそと留置場へ送りました。
留置場に着いて、心を静めて自分を探し、私は涙が止めどなく流れ落ちました。私は自分の責務を果たしておらず、師父が按排してくださった段取りを乱してしまいました。同修は私たちを救い出すために忙しくしなり、そのため、衆生を救うことに損失をもたらしてしまいました。師父、申し訳ありません。私たちは迫害を否定し、発正念し、煉功し、法を暗唱しました。
外の同修と家族は積極的に救援し、公安局に行って私たちの引き渡しを要求しました。市街の同修も田舎町の同修もみな行動を起こし、私たちを責める人はなく、局長を探して引き渡しを要求し、真相を伝える人もいれば、国保大隊の幹部に会って引き渡しを要求する人もいました。数日間、公安局は同修たちに取り囲まれました。農村の多くの同修は朝早く公安局に駆けつけ、昼になっても帰宅せず、マントウと水を少し買い……、警官はみな恐れました。
師父のご加護の下、同修のチームワークの下、3日目には私たちのほとんどが拘束を解かれ、戻って来ました。そしてまた、救援活動に参加しました。5日目、全員が解放されました。この救出過程ではチームワークが重要であり、内に向けて絶えず探し続け、全体の力を体現しました。
以上がここ数年、協調の修煉過程におけるわずかな体験で、修煉が時に良くでき、時に良くできませんでした。ただ修煉過程において、以後、しっかり修煉し、師父の教えを肝に銘じ、法をよく学び、自分をよく修め、三つのことをしっかり行って、師父に安心していただき、頑張る弟子になり、円満成就して師父に従って家に戻ります。
師父に感謝いたします。同修の皆さん、ありがとうございました。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/6/129884.html)