明慧法会|風雨を伴い進む(二)
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――12年の修煉過程の一部

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年11月5日】

 四、独学でも、師父は守ってくださる

 タイに来た団体のほとんどの人はみな観光、遊び、観劇、買い物をしました。私は列車から飛行機、ホテルにつくまで読書を続けて、『転法輪』がどれほど貴重であるかよく分かりました。この本は私の生命より貴重で、「本当に高い次元へ人を導く」(『転法輪』)ことは何より貴重だと思いました。私は国内からこの宝の本を持って来て、国外で一意専心に学ぶことにしました。

 私は大法修煉に何も求めず、法がすばらしいと分かって修めることにしたのです。タイに入ったとき、師父は私の身体を浄化してくださいました。ナッツ工場を見学するとき、私は『転法輪』に書かれているように、途中トイレを出るとまた入り、出るとまた入り、9回もトイレばかり探していました。翌日、それを見た2人の北京の友達は「あなたは万能薬でも持っているの?」と聞き、私が「持っていない」と答えると、「では、昨夜タイの医者から点滴をしてもらったの?」とまた聞くので、私は「いいえ」と答えました。「では、きっと大きな神様があなたを保護しているのですね」と言い、私は「その通りです。法輪大法の師父は私を保護してくださっているのです」と答えました。

 私は一緒にタイに来た97人に大法のすばらしさと自分の経験を話し、先生が教えられた「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」、「無私無我で他人が先、自分は後」の理を紹介しました。彼らはみな身分がある人たちで、みな夢中になり、私の言葉を受け入れました。また、政法大学の教授も「この功は確かにすばらしい、この功を迫害した人は本当に精神病です」と言いました。

 五、大法修煉のはじめから師父に保護していただいた

 20日間の旅の最後はマカオに来ました。食事後、皆が自分の荷物をチェックした時、指輪がなくなった人、宝石がなくなった人、ドルがなくなった人、ビデオカメラがなくなった人がいて、みな警察に届けました。私のスーツケースには1束の人民元があり、私は無意識に『転法輪』と一緒に置いていました。ケースのダイヤル錠はすでに破壊されていましたが、ケースを開けると、その1束の現金が落ちてきて、数えると一枚もなくなっておらず、泥棒はこのお金を盗むことが出来ませんでした。修煉し始めたばかりの私を、師父は護ってくださったのです。

 帰国後、ある人が私を誘って、ある大手企業が先物取引に50億元を資金注入するので、投資しようと言いました。私はその会社の立派な建物に引きつけられ、申込み表に記入し、資金を入れようとした矢先、突然ある若い男性が大声で「この会社は詐欺行為があるよ」と叫びました。私はすぐ入金をやめました。修煉者である私は、出遭ったすべてのことにみな深い内涵があり、師父の保護もあり、先ほどの事は決して偶然ではないと考えました。結局、半年後、数十万、数百万を投資した人のお金はみなゼロになってしまいました。

 この二つの件は『転法輪』で言われた「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」を証明しました。私は師父の時々刻々の保護を経験しました。

 六、法をしっかり学び、本当の幸せを経験した

 外国から帰ってきた後、名利を放棄する試練の中で、私の名利心は薄くなりました。1998年末から1999年7月まで、私は静かに学法することができ、この時期に法に対する悟りは深まり、師が法を正されることを助けることの基礎を作りました。法を学ぶにつれて、内心は悠然、淡泊、静かになり、私は今までになかったリラックスと心地よさを感じました。私の心は仙界に入ったようで、心の中に恐怖と焦燥が完全になくなり、全身が法の中に溶け込み、比類ない幸福を享受しました。過去に人からいただいた華やかな花、拍手、賛美などはただ一時的な喜びと興奮をもたらしましたが、幸福というほどではありません。本当の幸福は大法の中の永久な自在にあります。1999年4月、私は27日間で『転法輪』を全部写しました。当時、法の中に溶け込み、季節の変化も知らず、社会になにがあったかも知らず、「4.25」のような大きな事件もまったく知りませんでした。

 七、師父は私の子供の命を救われた

 1999年5月のある日の正午、私は何となく落ち着かず、気持ちが悪かったのです。12時半になって、12歳の子供がまだ家に帰らず、「大丈夫かな」と思っていたところ、友達から「レストランの左側の十字路で男の子が交通事故に遭った。そちらの息子さんのようなので、早く来てください」という電話がありました。私はすばやく現場へ飛んで行きました。途中私は、あるお婆さんが服を車に引っ掛けられ、10メートル先まで引きずられて倒れましたが、身体に付いた土をはたいて、「大丈夫です。行ってください」と言ってご主人と一緒にそこを去ったという『転法輪』の一節を思い出しました。お婆さんは無事でしたので、私の息子も必ず大丈夫だと思いました。事故現場に着くと、誰もいませんでした。私は病院に走り、途中『転法輪』の「トラブルに遇う」、「慈悲」、「穏やか」などの言葉を思い出し、いずれにせよ私は師を信じ、法を信じ、息子はあのお婆さんのように無事だと堅く信じました。

 緊急外来に入ると、私は救急ベッドにいた息子をのぞきこみ、耳のそばで「私たちには法輪大法の師父の保護があるから大丈夫よ。家に帰りましょう」と言いました。

 私は怯えている運転手さんを責めず、医療費を1銭も受け取らず、息子を助け起こして傷口を洗い、包帯を巻きました。その後、タクシーで帰り、6人で息子を5階の家に運び、ベッドに休ませました。私が師父の『済南講法』の録音を息子に聞かせているとき、長さ1尺、1寸幅の金色の光の束が息子の全身の黒紫色の傷口に移動しているのが見えました。6時間後、突然息子の両目に涙が溢れました。私は嬉しくて「目が覚めた? 痛いでしょう」と叫びました。息子は「お母さんが大法修煉をしていなければ、私は今日いなくなっていたでしょう」と泣きながら言いました。私の息子に奇跡が現れ、私は師父の救いに感謝する喜びと感謝の涙が溢れ、法を得たことを祝いました。息子を救ったことは我が家族を全部救ったことと同じなのです。皆さんもご存知のように一人っ子政策の中国では、子供は家庭の命の根なのです。

 (続く)

 (第8回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/17/249227.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/11/130029.html)
 
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