明慧法会|全体に協力する中で同修を救う
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 【明慧日本2012年11月27日】偉大なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私達の地区は協力によって一丸となり、今まで積極的に参与していておらず落後していた同修にも全体に溶け込んでもらい、より多くの衆生が助かるように、法を得た生命が師父について帰ることができるよう精進しています。それは師が法を正す事を手伝う中の一つの使命だと認識しています。ここで私は修煉して得た体験を師父にご報告して共に同修達と分かち合いたいと思います。

 私達は旧勢力の按排を認めません。しかし旧勢力は頑として口実をつけて迫害しようとし、師父の望みに反対しています。私達はそれを利用して人心を取り除いて、邪悪を解体し、更に多くの衆生を救い、より多くの同修に全体に溶け込んでもらいました。

 2009年、地元の数人の同修が不当に連行されました。地方の同修と交流し、この機を利用して公安、裁判、法律委員会関係者を含む幅広い衆生を救うため、また連行された同修のため正義の弁護士に無罪弁護を引き受けてもらうことになりました。一部の同修の家族も修煉者で、重大な圧力を背負いながらも、その任務を引き受けました。私達は市内の地域ごとに全体で交流を行いました。その間地方の同修が大いに協力してくれました。当初、一部の同修は迫害に対して心が麻痺していました。

 師父は『転法輪』の中で「殺人や放火事件を見て見ぬふりするのは、心性の問題です。そういうことをしながらどうして自分が良い人だと主張することができるでしょうか? 殺人や放火事件にさえ手をこまねいているとすれば、どんなことならあなたが手をこまねかないのでしょうか?」と説かれました。もし同修が迫害されているにもかかわらず私達が怖がり麻痺していたら、世の人々はなおさら無関心になってしまいます。その結果、邪悪が憚ることなく迫害して更なる多くの衆生が淘汰されてしまいます。何回もの交流を重ねて、まず行動を起こす目的が衆生を救うということにあると、出発点を正さなければなりません。どのように全体で協力し合えば良い結果に繋がるだろうかと、『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』、『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』を勉強しました。

 学法を通じてたくさんの執着心が見つかりました。弁護士に頼る心、結果に執着する心、更に同修が正しく行えば連行されなかったのにという不満などがありました。しかし最も目立つ執着は警察に対する憎悪でした。警察には救い済度する価値はなく、警察に対して発正念をして倒したい、警察を永遠に輪廻転生させない、警察官が即座に滅びて欲しいなどの心でした。

 全体の意識が高まったことにより、同修はそれぞれの方法で実際に動き出しました。至近距離で発正念をしたり電話番号を集めたり、同修の家族と協力して関係機関に真相を伝えに行ったり、真相を伝える手紙を書いたりして共通の認識に達すことができました。市内の同修は24時間の発正念リレーを始めました。以前精進していなかった一部の同修も参与するようになりましたが、時間が経つにつれて同修の間で発正念を軽視し、他の人がしているから自分1人くらいの発正念は関係ないと思うような怠慢の心が現れ始めました。

 大法弟子は一人ひとりが特定の空間範囲に責任を持っています。もしかすると公安局、裁判所、法律委員会の衆生が自分の受け持っている空間範囲内にいるかもしれません。もし自分の空間範囲内の邪悪をきれいに取り除かなければ、そこの衆生を救うことに影響が及んでしまいます。そこで皆は一つの結論を出しました。今回の全体の協力の中で自分だけが欠けていたら、その結果がどうなるかについて自問して、全ての同修が心を込めて真剣に自らに問い答えを出しました。ある年配の同修の発正念の時間帯は、深夜1時過ぎから30分と設定されていました。ある日発正念の時間帯に寝てしまいました。目が覚めた後「私だけが欠けていた。その分の邪悪を逃してしまった!」と悔し涙を流しました。それから泣きながら1時間の発正念で補いました。

 違法な裁判が開かれた当日、裁判所の中に入ることのできる同修もいましたが、ほとんどの同修はグループに分かれて至近距離で発正念をすることになりました。皆が恨みを取り除き、心から慈悲が生まれ、警察の背後にいて操っている邪悪を取り除き、衆生が助かる機縁を逃さないようにと呼びかけました。

 私達は事前に市民の皆さんに招待状を送りました。法輪功は無実であり、一体どちらが罪を犯しているかについて北京の弁護士の弁護を傍聴する為の招待状です。邪悪が恐れているせいか、法廷に入れるのは一家族2人までと厳しく制限されました。当日、法廷の外は厳重な警備が敷かれており、中は警察と地元の住民でいっぱいでした。後になって聞いた話によると、当時は政治法律委員会及び610弁公室の関係者が法廷のすぐ上の階にいたそうです。開廷の2時間も前に弁護士は裁判所から呼び出され、裁判長は手に招待状を握りしめながら、しょんぼりした顔で「自宅にまで届いたよ。市民の皆に招待状を送るなんて私達へのプレッシャーは半端ではない」と話しながら、携帯電話を取り出して弁護士に見せ「ほら、見てご覧。法輪功の情報が満載だ。上の命令でなければこの案件(法輪功事件)は、とっくに手を引いて問題にならなかったよ」と弁護士に不満を訴えました。

 法廷の雰囲気はとても和やかで、弁護士による信仰の自由についての弁護は会場に鳴り響きました。弁護士は悪人による恐喝、虚偽告訴、冤罪等の手段、不当な連行をはじめ、それらの全てが犯罪だと力強く暴露しました。拘禁中の同修も法廷で自分の無実について完璧な発言をしました。

 参加した家族に弁護についての感想を尋ねたところ、家族は嬉しそうに「大変満足している」と口を揃えました。弁護士も「大変和やかで妨害が全くなかった」と答えてくれました。その場にいた警官からも「弁護は素晴らしかった!」という称賛の声が聞こえました。

 一人の同修は、裁判所の入口でパトカーに乗せられて、外で食事を済ませた後、自宅まで送り届けられました。「公安局の命令なので、ここ数日は外に出ないようにね」と警官は穏やかな口調で言いました。

 ある日、学法チームに来た同修は嬉しそうに「近所の人に『まだ法輪功を続けているの?』と聞かれて、もちろんと答えたら『それは正しいです。嫁は罪を犯しているのは法輪功ではなくて修煉者を捕まえている人達だと言っています』と言い、町内会で働いているこの人の嫁は、先日北京から来た弁護士による修煉者の弁護を聞きに行ってきたそうよ」と話しました

 ほかの同修が他の地域に真相を伝えに行った時の事でした。まだ真相を最後まで伝え終えていなかったのに「法輪功は一つの信仰だと分かるよ。弁護士がわざわざ北京から来てくれた。法輪功は法律に違反していない。人を釈放しない悪い共産党がいけないのだ」と同修の話を中断して言ったそうです。

 2カ月経った頃、弁護士に裁判所まで裁決書を取りに行ってもらうように頼みました。実はその後、弁護士は北京の司法局から脅迫されていたので、ちょっとためらっていました。私達は「絶対に大丈夫です」と勇気づけましたが、「あなた達の言うことは当てにならない」と弁護士は心配そうに言いました。「私達は私達なりの助ける方法がある」と笑いながら弁護士に告げました。裁判長は弁護士を見ると、慌ててオフィスの中まで案内しました。嬉しそうに「法輪功はやはり素晴らしい! さもなければ海外のたくさんの著名な専門家、学者、教授が修煉するわけがない」と延々と40分も弁護士に話したそうです。弁護士は外に出た時に「彼にお守りを渡しましたか? 彼にお守りを渡すべきです。彼はもっと良くなると思いますよ」と嬉しそうに話しました。

 私達に衆生を救う願望さえがあればそれで十分なのです。師父がすべてを按排してくださるのです。「あなたにそういう願望があれば充分です。本当にこのことをやってくれるのは師で、あなたにはとてもそういう力はありません」(『転法輪』)今回の全体の協力には、今まで参与していなかった同修が参加するようになりました。今回の全体の向上の機会を通じて、私たちの今後の道は広がってきました。

 去年、3人の地元の同修が一軒ずつ真相を伝えた時に、悪人に通報されて連行されました。情報が伝わってきてすぐ、同修達は全体的に協力して迅速に救助に動き出しました。インターネットで呼びかけたり、発正念をする連絡をしたり、釈放を求めて家族と連絡を取り合うことで、同修の1人は戻ってくることができました。

 3時間後、海外の同修はひっきりなしに真相電話をかけ、翌朝6時からは同修を拘禁している交番の周囲で市内に住む数多くの同修が至近距離で発正念を行い、たくさんの大法弟子がいました。普段は全体と接触したがらない修煉者の家族も単独で交番まで様子を見に行きました。酷く脅迫されましたが、3日目に全体で協力し合い釈放を求めに行ったら、交番の警察官の態度が一変し、当日の夜に釈放されて帰宅することができました。

 1人の同修の家族は、4日目に留置場に釈放を求めに行った時、正当な理由なく警官から罵倒されたので、正義感から所長と衝突しました。凶悪な警官はいつもの卑劣な手口で家族を脅すことができなかったばかりか、かえって「皮を剥がしてやる(免職させる)」と家族に言われました。所長は怯えて、最終的に根回しして衝突した家族に謝罪した上、4000元の慰謝料まで払いました。拘禁されていた同修はもちろんその場で釈放されました。家族自身も不思議で「その時の勇気はどこから沸いてきただろう」と話していました。

 今回の全体の協力には、今まで参与していなかった同修が参加するようになりました。

 しかし、現在は全体がスタートラインに立ったに過ぎません。師父が要求されている基準までまだまだ遥かに遠いです。

 この過程において私には、恐れる心、依頼心、外に向けて求める心、私心などが露われました。一刻も早く取り除かなければなりません。全て師父による加持の下で今日まで歩んで来ました。毎回慈悲なる師父は機会を与えてくださり、私の手を引きながら故郷へ導いてくださっていることを実感しています。

 偉大なる師父に感謝いたします。 同修の皆さんに感謝いたします。

  (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/23/249153.html)
 
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