明慧法会|風雨を伴い進む(三)
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――12年の修煉過程の一部

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年12月10日】

 八、北京で大法を擁護する

 1999年7.20、恐怖の大魔王が天から降り、中国全土に血生臭い嵐が吹き荒れました。極度に心が 狭く、嫉妬心をむき出しにした江沢民が中共と手を結び、大法と大法修煉者に歴史上にない最も邪悪な迫害を発動しました。大法弟子として、暴力と威喝、逮捕と受刑、天地を覆い隠すようなデマや誹謗中傷に対し、大法を擁護して、法を実証するために、7月21日、私は息子と2人の同修と一緒に北京に行きました。当時、全国各地の大法弟子が北京に来ており、北京の六舗坑から砲兵司令部、また石景山体育館まで、大勢の大法弟子が巨大な正義の潮流のように集まり、理性的に邪悪に抗議しました。

 7月22日、私たちは公安部の大講堂に連行されました。私は師父の巨大な法身が私の右前方におられるのを見ました。邪悪の迫害の前で、すべての弟子はみな落ち着き、怖れず、慈悲でした。邪悪が法輪功を侮辱するテレビ番組を放送しようとするとき、正義の力が邪悪に抗議しました。この空間で現れたのは警察がテレビをしばらく調整して、やっと一つのデマの画面が現れました。私は聞きたくなく外に出ました。

 テレビの音が出ないので警察は私たちを集めて移そうとしました。私は列の最後にいました。突然「後ろを向いて」の声で、私は列の先頭になりました。そのとき、あるテレビ局の記者が私たちを撮影していたので、私は彼に友好的に声をかけ、「こんにちは、どこのテレビ局ですか」と聞きました。彼も友好的に「東方時空」と答えました。私は友達のように話しかけ、「考えてみてください、さきほどテレビ番組で言っていた事は嘘です。あの人は死ぬ前に腹を割って法輪を探すようにと誰に言ったのでしょうか? 中央テレビ局にですか? 公安部にですか? なぜ彼の自殺を制止しなかったのでしょうか? だれが敢えてナイフを持って自分の身体に穴を開けるでしょうか? これは心の計り知れない人が法輪功を罪に陥れたのです」と言うと、彼らはこの話を聞いて確かに嘘っぽいと思い、番組の放送を中止しました。

 その後、私たちは石景山体育場に集まりました。大法弟子は人の山、人の海のようになり、みな「生きて求める所無く、死して留まるを惜しまず、妄念を蕩尽すれば、佛を修するは難しからず」(『洪吟』「無存」)を一斉に朗読し、つぎに『論語』、『真修』、『見真性』、『助法』などを朗読しました。私は言葉で表すことのできない壮大さと、宇宙の中でいかなる力でも倒せない正気を深く強く感じました。その場にいる一人一人はみなすべての邪悪を圧倒する威風堂々たる気勢を感じていました。これらのすべては理性、慈悲、威厳でした。

 1999年7月24日の朝、太陽の金色の光と満天の法輪が現れました。師父が自ら大法弟子を励ましておられるようでした。大法弟子たちは「ほら、見て、法輪だ、法輪だ!」と一斉に歓呼しました。警察も入ってきて、「みんなが 覚めた」と独り言を言いました。私は「そうですね。あなたたちも目覚めてください」と言いました。

 九、正念で大法を実証する

 多くの同修は「命を用いて大法を実証する」と言いました。私たちは複雑な環境の中で、言行はみな法に符合し、他人を先に、自分を後にして、平和、理性、善、忍をもって考える習慣を持ち、言葉は穏かかつ優雅で、男性は剛で、女性は柔軟で、服装は清潔で美しく、いかなる時間や、いかなる場所でもこのように 大法弟子の風格を表せば、これも命を用いて法を実証することです。常人の考えるように命を犠牲にするのではありません。

 警察「『護法』の2文字を大きく書いた」

 2000年1月19日、私は再び北京に法を実証しに行きました。天安門広場で、私はある北京人に金を詐取され、警察に通報しようとしたとき、私服警察の4人に会いました。ある山東省籍の警察官は私に「お姉さんは法輪功修煉者ですか」とひそかに聞き、その後、小さい声で「早く離れて、私たちは修煉者を逮捕する人間です」と言いました。そのとき、他の私服警察官が来て、「彼女は何をしているの?」と聞き、その山東省籍の警察官は「私の同郷で、商売に来たのです」と答えました。

 その後、私は政府に「法輪功はすばらしい」と伝えたいと言うと、彼らはすぐ車で私を国家公安部と安全部に送りました。中には多くの大法弟子がおり、ある警察は登記表を挙げ、「上京の目的」を指しながら、「あなたたちの上京の目的はみな大法を擁護することだから、私はあなたたちに『護法』の2文字を大きく書いたよ」と言いました。

 今回の私の北京入りは、3歳の子供のように純粋な心で危険とプレッシャーがなく、自分の住所も言いました。全国各地からの同修を見て親しいと感じ、微笑みながら涙が浮かんできました。しばらくして、私は呼ばれ、白い車に乗せられ、その日の夜に師父の加護の下で、家に帰ってきました。今回の活動から、大法弟子として正しい念で正しく行うべきだと分かりました。 

 3月5日の法会

 1999年7.20から2000年3月1日まで、私たちのところで法を擁護し、法を実証するため外に出た人は23人しかいませんでした。2000年3月1日、電話があり、「入院しているあなたの親戚からの『手紙』があるので、これから送ります」と言いました。

 3月3日に車が来て、「手紙」を渡してくれました。私はお礼を言った後、相手の名前を聞くと、「崔」と答えました。「崔」は「催」と同じ発音で、私は緊迫感、使命感を感じ、早速「手紙」を開き、中にあったテープを取り出しました。このテープは海外法会の録音で、国外の大法弟子が大陸の大法弟子に敬意と声援を表し、法理に対する悟りと理解を語った内容でした。私はこれを聞いて心が震え、感動の涙が流れました。私はさっそく数人の精進している同修に来てもらい、一緒に海外法会のテープを聞きました。皆は私の家で法会を開くことを決めました。3月5日、法会は順調に開かれ、30人の同修が交流した後、生死を放下して大法を堅く擁護することを決意しました。11年経った今、私は電話を掛けてくれた人はだれか、車でテープを送ってくれた人はだれか分かりませんが、本日明慧ネットの法会を通し、この2人の同修にお礼を言います。

 (続く)

 (第8回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/18/249228.html)
 
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