【明慧日本2013年1月9日】于春花さん(45)は郷里の山東省から、法輪功の真相を伝えるため2001年2月9日、徒歩で北京へ陳情に行ったまま、12年近くも経過したが、いまだに帰って来ない。家族はずっと于さんの行方を探し続けている。
于さんは山東省莱西市に住んでいた。1998年に法輪大法を学び始め、「真・善・忍」に基づいて自分を厳しく律し、良い人を目指して心を修め、修煉するにつれ、法輪大法は心身ともに健康になり、道徳心の向上にも繋がる法理が分かってきた。修煉する前、于さんは深刻な婦人病を患い、夏場でも風邪を引きやすく、虚弱な体質だった。煉功してからはこれらの症状が奇跡のように消失した。
1999年7.20、当時の中国共産党党首・江沢民は法輪功への弾圧を開始した。于さんは政府に法輪功の真相を伝えようと、北京へ陳情に行くことにした。途中で道がよく分からず、間違って煙台市へ行き、同市の警官に収容所に連行され、拘禁された。その後、夫に連れられて帰った。
2000年9月、于さんは9日間歩いて北京までたどり着いたが、北京で警官に連行され、半月間拘禁された後、解放された。10月、また地元の派出所に連行され、修煉を放棄するように強要されたが拒否。于さんはその場で座禅を組んで煉功し始めた。警官は突然于さんを殴ったり蹴ったり、また、まっ赤に焼けた石炭ストーブのかぎを足に当てたが、于さんは全く動じなかった。
于さんは何度も連行されたが、法輪功の真相を伝えることはやめなかった。2001年2月9日、于さんは歩いて再び北京に行ったが、今なお帰って来ず、行方不明である。于さんの家族は情報を求めて至る所を尋ねまわった。イ坊市寒亭区に女子刑務所があると聞き、同刑務所へ行ったが、于春花という人はいないと言われた。
2003年、于さんの地元の商売人が大連で平度市の同業者と一緒に食事をした際に、同業者が「あなたの莱西市西曲格村にはすごい人がいる。あの法輪功修煉者は本当に意志が堅い!」と西曲格村の法輪功修煉者の様子を話した。その商売人は村に帰った後、村の人に話した。あの「意志が固い」法輪功修煉者はまさに于春花さんと断言できるほど似ていた。于さんの友達は平度市の公安局・留置場などの関連部門を尋ねたが、どこにもいないと告げられた。
于さんの家族が平度市の公安局に行った時、2人の警官が対応した。家族が警官に尋ねると、1人の警官はいないと言い、もう1人は「地下室にいるのでは?」と言った途端、傍の警官が直ちに「いない、いない」と答えた。家族は他の留置場なども探したが、どこにもいなかった。
于さんの家はとても貧しく、娘が2人いて、19歳の次女はまだ高校生で授業料さえ負担になっている。于さんが行方不明になり、家族は落ち着かず、長期にわたり于さんの行方を探している。
于春花さんの身分証 |