明慧法会|風雨を伴い進む(七)
■ 印刷版
 

12年の修煉過程の一部

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013111日】

 11発正念の威力

 師父は、「正念を発すれば、爛鬼炸く」(『洪吟二・何を恐れる』)と説かれました。私はこの法理に対して深い心得がありました。

 2008年、邪党はオリンピックの名義で新たな狂気じみた迫害を発動しました。2008719日、私が広々とした野原の道を歩いているとき、突然300メートル前方に止まっている1両の快速列車を見ました。不思議なのは、その列車の両側にはドアがありませんでした。しばらくして、列車の運転手が運転室のアーチ形の鉄門を開くと、全車両は口を大きく開けている大きなウワバミのようになりました。乗客はみなウワバミの口から降りてきて、一列に並び、まっすぐ私に向かって走って来ました。先頭の男性は体が大きく、官僚のようで、つやつやの髪、ぱりっとしたスーツ、ブランドの腕時計、ブランドのベルト、ホワイトシャツに赤いネクタイ、左手でビジネス鞄を持ち、私に3メートルまで近づき、後ろの人々に両側から私を包囲するように指示し、彼自身も人を連れ、右から私を包囲し、Y字の形になりました。前の人たちが半円形になったとき、この大男は突然大きな魔になり、牙をむき出し、爪を振るい、顔をゆがめ、私を襲おうとしました。この大魔が現れた瞬間、すべての人はみな凶悪な妖怪やばけものになりました。

 私は完全に無為の状態で、何も考えず、立掌して悪を取り除きました。1分後、まずその大魔が爆破され、にすべての鬼が一つながりの爆竹のように、パンパンパンと連続して自爆しました。私はずっと野原の中で静かに立って悪を取り除きました。いつのまにか、私のそばに1人の子供がくっついて、両手で私の左腕を掴み、大泣きしながら「怖い、怖い」と言いました。私が本能的にこの子を見ると、邪悪はすぐ隙に付け入り、列車から1人の細い男が出て、150メートルまで飛んできました。彼の力はあの大魔より強く、私の立掌の手が押されていると感じました。約30分対峙し、相手の力が減少し、その細い男も自爆し、彼の後ろにいる人たちもまた一つながり爆竹のように自動的にからへ爆発し、列車の中まで爆発し尽くしました。2008年、私はも妨害されず、オリンピックの時期でも、平穏に三つのことをやりました。私は「正念を発すれば、爛鬼炸く」の無辺の法力を深く感じました。

 また200881日、私は保安員に真相の話と三退の勧めをするとき、公安局長と派出所長が私の住むマンションに入りました。窓ガラスから私、局長の身体にコウモリの口、鹿の角、親指の太さのひげをもつ翠緑の蛇が身体に巻きついているのを見ました。私は早速彼を追い、強大な正念で「滅」すると、彼はきびすを返して出ました。私はまた追いつき、彼に「せっかく来たのだから、私のオフィスに来なくもいいのですか? 先日電話で私を見に来ると言ったでしょう」というと、彼は部屋に入り、私は継続して強大な正念を発し、邪霊を解体したあと真相を伝え、彼も救い済度されました。彼が帰った後、法輪功を迫害する職をやめるように強く求め、私も安全になりました。毎回、邪悪のいわゆる敏感日には、他の空間の邪悪はみなこそこそ出て来て妨害しました。私が立掌すると、彼らは色々な毒虫のように人間の空間に落ちました。このような虫は踏まれて死ぬべきです。邪悪を取り除くことは法を正すためです。この数年、平穏に三つのことをやれたことは発正念を重視したからです。発正念を重視することは安全の重要な保証です。

 12学法の間に平安を見つけ、正念で妨害を突き破る

 師父は次のように説かれました。「わたしが弟子たちに正念を発するようにと指示したのは、それらのいわゆる邪悪が実は何者でもないからです。しかし、大法弟子の 慈悲が旧勢力に利用され、そうしたものの保護下にある邪悪な生命が故意に迫害しているため、大法弟子はすでに自分自身の業力だけではなく、邪悪な生命による迫害の下、耐えるべきではないものまで耐えているのです。しかも、それらの邪悪な生命はまた極めて次元が低く、卑劣なもので、法を正す中でいささかの作 用も果たす資格はありません。大法、さらには大法弟子に対する迫害を軽減するため、わたしは弟子たちに正念を発するように教えました。それらのものが法を 正すことに故意に及ぼした破壊の作用を一掃することによって、迫害の中で大法弟子にとって耐えるべきではないものを減らすと同時に、衆生を救い済度し、大 法弟子の世界を圓満なるものにしているのです。(『精進要旨二』「正念の作用」)

  201195日、中共の「101日」(注:国慶節)がそろそろ近づいてきたので、私はずっと正念を発しました。邪悪は狂気じみた出動をし、私は巨大な圧力が襲ってきていると感じました。人から「二つ省の公安庁特別班を立ち上げそれは私に対するものだ」と聞きました。大法と修煉は厳粛なので、巨大な圧力に対して、私は自分に必ず漏れと執着があると分かりました。私は内に向けて探し、嫉妬心、顕示心、闘争心、利益心、自分の修煉が上手だなどの人心を見つけ、それらの人心に対して、自身の空間で根を掘り、滅しました。そして私はまた瑞祥な雰囲気に包まれました。

 (続く)

 (第8回明慧ネット大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/20/249230.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/14/130085.html)
 
関連文章