チチハル市の法輪功修煉者が生前受けた迫害 (写真)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2013年1月20日】黒龍江省チチハル市の法輪功修煉者・李季秋さんは2004年に連行され、不当判決を下された。富拉爾基腰フル公安農場と泰来刑務所で非人道的な拷問を受け、体に深刻な病症が現れた。出所した後、李さんは依然として警官に嫌がらせをされたため、住む場所は無く、居場所を転々と変えた。長期にわたり中国共産党に迫害された末、李さんの体はますます悪くなって、2012年12月9日に亡くなった。  

'李季秋遗照'
李季秋さん

 以下は、李さんが生前に自ら述べた迫害の経歴である。 

 法輪功を学んで道徳向上、しかし迫害を受けた 

  私と家内は随分前から修煉法を探していて、かつて仏教に帰依したことがあり、多くの廟を遊歴しましたが、そこで本当のものが得られないと感じて、行かなくなりました。1998年に法輪大法の先生の説法録音を聞いて、先生の説法ビデオを見させて貰い、ついに私達は真の修煉法を見つけたと喜びを感じました。毎朝、私達は法輪功を紹介する横断幕を広げて、緩やかな音楽を伴って煉功し、晩に指導員の家で法を学び、法輪大法の教えに従って思想境地の高い人になるように努力しています。 

  1999年7月のある日、皆が煉功をしていた時、町内の役員と派出所の警官はテープ・レコーダーと横断幕を没収し、煉功は禁止になったと言いました。間もなく、家内は法輪功の真相を伝えるのに北京に行き、不当に2カ月間拘留されて家に戻しましたが、各種の嫌がらせに絶えられなくて、正常な生活ができないため、私と家内は仕方なく放浪しました。 

  2001年元旦、私と家内は転々としながら北京に辿り着きました。私達は天安門城の上で横断横物を広げて法輪大法の無実を証明しようとしましたが、ポケットの中の真相資料が探し出されて、警官に小部屋へ引っ張られました。警官は怒鳴りつけたり蹴ったりして、コートを脱いで私の頭に被せて、むやみに暴力を振るいました。そして、私達は前門派出所に送られ、そこに全国各地からの法輪功修煉者が居ました、午後私と家内は釈放されました。 

 富拉爾基腰フル公安農場の秘密収容所 

  2003年12月8日、家内は連行された後、ずっと監視する人がいるため、私は肌着のままで寒い廊下の中で10時間余り隠れて、夜中にやっと脱走ができ、外で2カ月放浪した後、チチハル市に帰りました。  

 2004年12月2日夜10時過ぎに富拉爾基区の、法輪功専門の調査グループの警官は、私の住所を包囲しました。玄関ドアの鍵を壊し、7、8人が押し入り私を押し倒して、革靴で私の顔を踏みつけました。私を車の中に投げ入れ、富拉爾基腰フル公安農場の秘密収容所に連行しました。 

  12月3日午後尋問室で、私は肌着で鉄の椅子に座らせられ、手足が動けないように嵌められました。刑事警察大隊の副隊長・李瑞新は、私のポケットを触って、1千1百元の現金を自分のポケットにしまい、私の靴下を脱がせて、分厚い木の板で私の土踏まずを250数回叩き、他の警官も棍棒で加えて、私の足は全体腫れていて、紫と黒になりました。警官・姜臣は盥(たらい)に雪を積んで来て、私の両足を雪の中に挿し、雪は足もとで解けて氷になり、李瑞新はまた雪を積んで来て、私の襟とズボンの中に入れました。私は鉄の椅子に嵌められて動けなくて、冷たくて痛くてずっと身震いしていました。 

  12月4日の朝、5、6人の警官は布バッグで私の頭を被せて、靴の底で5人交替して私の頭を叩き、姜臣は足で私の嵌められている両手・両足を踏みにじり、最後に縄で手錠を嵌められた両手を吊し上げ、大手を振って立ち去りました。午後4時、私は富区の留置場に連行され、着いた途端、彼らは冷たい水道水を私の体にかけました。 

  2005年5月、富区の留置場は増築するため、私はチチハル市の第1留置場に移送されました。 

  2006年7月20日、私ともう2人の法輪功修煉者は懲役を言い渡され、チチハル市泰来刑務所に連行されました。 

 泰来刑務所の罪悪 

  泰来刑務所の訓練隊に入って2カ月後、また5監区1分監区に変わられ、そこで2人の受刑者はずっと私の側に離れませんでした。 

  2007年、泰来刑務所は法輪功修煉者に対して、100パーセント「転向」計画を実施し、「三書」を書くことを強制し、指導員・劉軍は3日間連続して私に睡眠させず、強制「転向」を行いました。 

  長期に亘り迫害され、私は高血圧・不整脈・脳血栓の病状が現れ、2008年4月6日に帰宅しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/12/26/266999.html)
 
関連文章