【明慧日本2013年1月28日】黒竜江省の鶴岡市興安区の主婦・張艶さん(65)は法輪功を学んでから、心身ともに健康になり、充実した生活を送っていた。中共(中国共産党)の江沢民らによる法輪功への弾圧が始まってから7年の獄中生活を強いられ、刑務所で洗脳され、精神状態が異常となった。
張艶さんは幼い頃から体が弱く、多くの病気を抱えていた。19歳の時に肺に気腫が見つかり、咳が止まらなくなった。それ以外に膀胱炎・頭痛など多くの病気を持っていた。1日中薬を手放すことができず、収入はほとんど医療費に費やしてしまい、生活は困窮した。
1997年8月のある日、張艶さんは1人の法輪功修煉者と出会った。法輪功は習うのも無料で、始めると健康になり病気も治ると聞いて、翌日一緒に煉功場所で2時間の煉功を体験した。張艶さんは体の痛みをすっかりを忘れ、家に戻って家事をした。夜の9時なって、やっと自分が1日中なんの薬も飲んでいないことに気付いた。しかし、体はとても軽くて痛みはない。張さんは「その日は私の今までの人生で最も幸せな1日でした。病気がない体はどんな気分なのかを初めて味わいました。心の中は法輪功の師父への感謝の気持ちでいっぱいでした。それ以来、私は50年間苦しめられた疾病から逃れ、心は希望であふれ、家庭も幸せでいっぱいでした」と語った。
下記の記述は、張艶さんが法輪功の修煉を続けたために中共に迫害された事実である。
1999年7.20、中共(中国共産党)の法輪功に対する全面的な弾圧が始まりました。すべては嘘に基づく宣伝とデマだと私はすぐに気づきました。私は毎日修煉しているので、誰よりも法輪功はどういうものか分かります。毎日会っている修煉者たちも1人ひとり元気にあふれた良い人ばかりです。それで、政府にこうした真実を伝えようと政府の陳情窓口に向かいました。鶴岡市政府は当日、私たちから600冊の書籍を奪い取りました。私たちは政府の建物の前に一晩座った後、二人の代表が中に入って話し合い、政府に対して次のように主張しました。「私たちは真・善・忍に従い、健康で良い人になろうと毎日心身を修煉しているだけです。家庭にも幸せがあふれ、人々はお互いに譲り合い、心と道徳のある社会を築きました。政府にとって良いことばかりです。なぜ弾圧するのですか? 良い人が多いほど良いのではないですか?」
2002年3月15日、私は「法輪功が不当に弾圧され、法輪功が着せられた罪は全部無実である」と書いた資料を1軒1軒に配っていた時に、中共の私服警官に尾行され連行されました。興安区の警察・劉百利らに連行され、第二留置場に移送され迫害を受けました。家から多くの法輪功の書籍が見つかったので、私は重要人物とされ、毎日様々な拷問を受け、法を勉強することや煉功も禁止されました。しかし、私は真実を訴え続けました。「私たちは真・善・忍に従って良い人になろうとしているだけです。私は真面目な法輪功修煉者であり、法律に違反した囚人ではありません。何の罪もありません」先に連行された10数名の同修たちは、様々な非人道的な拷問を受けていた。
最も残虐なのは、警察が金属の棒で支柱を作り、手足を「大」の字のような形で一週間から二週間固定したまま動かさずに、その状態で体に水をかけました。流れ落ちた水に体が沈み、夏の高温でお尻が腐り悪臭を放ちました。支柱から外された時には、足がすでに変形していました。自力で歩けず、スタンガンで攻撃された肉体から皮膚がそげ落ちました。こうして、同じ仲間の賈秋梅さんと彼の兄が拷問を受け、死亡しました。
なぜこんなに素晴らしい効果のある法輪功が迫害されなければならないのでしょうか? どうしても理解できません。良い人を迫害しているのは間違いなく悪人です。中共はなぜここまで卑劣なのでしょうか? 留置場では毎日、法輪功と李洪志先生を中傷する内容のビデオを見せられます。すべて嘘とデマなので、皆で反対して放映をやめさせました。ここは生き地獄です。悪らつな中共の警察は何をしても許されますが、監禁されている法輪功修煉者には声を出す権利もありません。少しでも話すと刑罰を受けます。精神的、肉体的に毎日のように残虐な拷問を受けます。29人を10㎡の空間に置かれた狭い椅子に座らせ、夜寝る時は体の大きい順に隙間なしにつめて並べられ、トイレに行って戻ると寝るスペースはなくなっています。トイレも洗面所も全て、この狭い空間内に配置され、衛生条件は極めて悪いのです。食べ物はトウモロコシの粉で作った饅頭で、スープは肉も野菜もありません。釈放を求めて断食をすると、喉から胃に至るまでトウモロコシの粉を注入され、皆が血を吐いていました。しかし、私は何があっても「李洪志先生は素晴らしい! 法輪功は素晴らしい!」という一念でした。こうして、留置場での地獄の9カ月間の生活を乗り越えました。
9カ月後、私は懲役7年の不当判決を下されました。その日の夜、すぐに私と劉霞さん・王樹森さん・徐顕平さん・劉亜芹さん、他にも名前の知らない同修がハルビン女子刑務所に護送されました。女子刑務所に入ると直ちに壁に面して並ばされました。疲れて少ししゃがむと女性の警察官がやってきて私の顔を殴りました。また、「610弁公室」の男性の警官がやってきて、靴を履いたまま私の顔を蹴ったので、首が腫れ上がってしまいました。劉亜芹さんは空中に吊るし上げられ、髪の毛も切られました。
布団を作る作業は慣れていなかったため、警官に蹴られ地面に倒れこみました。警官は私を罵りながら暴行を加えました。蹴られてズボンが抜け落ちました。警官は私が「法輪功は素晴らしい!」と叫ぶと、もっと暴行を加えました。そして、家から送ってきた衣類には「犯」という文字を強制的に印刷されました。
7年の獄中生活から、私は中共の本質が分かりました。中共に迫害されている人々は皆良い人です。
長期にわたる拷問、法を勉強できず煉功ができない状態が長い間続いたため、体は弱り、治っていた疾病も発症し始めました。2004年、私は病気のために第10監獄区に移されました。過酷な労働からは少し解放されました。
2007年7月、中共は強制転向の強化運動を始めました。私はある囚人に「お前の名前が載っているぞ」と脅されました。4階から3階へ「転向施設」に移動させられ、私は恐怖で一晩眠れませんでした。翌日、私の名前が呼ばれるとベットの上の段から地面に落ちて歩けないほど怪我をしたので、囚人は私を下に降ろしました。その時、娘と妹が目の前に現れました。娘は「お母さんが『転向』しなかったら私は頭を壁にぶつけ死ぬわ」と私を脅しました。私は中共当局が私の親戚を利用して転向させようとする陰謀を見破りました。私は家族にこう言いました。「お前たちは私が修煉する前はどのような体だったか分かるでしょう。病気だらけの私が法輪功を修煉して元気になっただけでなく、李先生は私にもっと良い人になるようにと教えてくれました。私は今どんな仕事もできるようになり、薬を飲まなくても元気でいられます。お前たちはなぜ彼らの嘘を信じるの? 彼らは全く人間性のかけらもない人たちです」私は「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は正法です」と叫びました。黒竜江女子刑務所の警官・張小影が「必ずおまえを転向させてやる」と暴言を吐きました。私は悪人になりたくありません。私は真・善・忍を貫きます。
ある男性警官がやってきて私の手を蹴りました。手がすぐ紫色になって腫れて動かせず、激痛が走りました。第4監獄区の警官・劉紅に竹の棒で口と顔を刺され、すぐに喉が腫れました。肖琳に顔を蹴られ私は完全に動けなくなってしまいました。私は意識がもうろうとしている状態でわけも分からず言葉を口にしました。警官らは目的を達成しました。2007年7月から、私は「転向した」という帽子をかぶされ、精神的に不安定になりました。中共はこうして良い人を悪い人へ転向させているのです。
私は2009年3月17日、家族に迎えられて帰宅しました。家族と同修たちの励ましの下で、歪んだ心を徐々に取り戻すことができました。正常に煉功と学法ができるようになりました。この7年間、家族は涙を流しながら辛い日々を過ごしていたことを知りました。7年経って、夫は痩せ果てて70歳の老人になっていました。家はボロボロになり水道管が破裂して、泥棒も入ったそうです。
2010年11月夜9時、私は法輪功資料を貼りつけるため外へ出ました。通行人に密告され、興安出張所に連行され一晩監禁されました。2012年7月、尾行されて町内会に密告され、新建公安出張所に6時間監禁されました。
今も家族は私の安全に心を寄せ、一家は不安な生活を送っています。これらの迫害が終わる日がきっとやってくると信じています。