明慧法会|自分をしっかり修め、小弟子の面倒をよく見る(一)
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――真に法をよく学べば、できない事はない

文/北京の大法弟子

 【明慧日本2013年2月4日】師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 第8回大陸大法弟子の体験交流会が始まりました。これも、師父が私たちに与えてくださった、広範囲に共同で向上するための1つの良い機会です。自分の修煉はよくできておらず、大法弟子に対する師父の要求とは大きな差がついていると私は思っていますが、しかしやはり私は自分の修煉過程を書き上げようと思います。これは法を実証するためにです。

 一、自分の不足を内に向けて探し、同修とのわだかまりを取り除く

 私は1996年の初めに修煉を始めました。1999年、共産党が大法を迫害して以後、自分が正しい修煉の道を歩んでいなかったことにより、かつて続けて2度、邪悪の徒に迫害されました。去年、私は2回目の不当労働教養が終わった後、家に帰りました。同修は私のためにこの2年の師父の説法を探し出してくれました。当初、私は同修に対する情がとても強く、同修とトラブルが起きた時に内に向けて探さなかったので、激しく恨む心理を生じさせ、これによって旧勢力にしっぽをつかまれ迫害されたということに、私は学法を通して気が付きました。この点がわかってから、心理的に明るくなったと私は感じました。私はまた、師父の各地での説法をむさぼるように勉強しました。私の一つ一つの問題は、師父がみんな解いてくださいました。1つの問題を考えてどうすればいいのかわからない時、私はよく法をもう一度読むのですが、その時、師父のこの件についての説法が見えてきて、私はすぐにわかりました。師父が述べられた法と照らし合わせて、私自身の考え方を見てみると、私の考え方は確実に法の上にはなく、あれらの執着している物は本当に、私が修煉して取り去らなければならない物でした。

 修煉者としては人の指摘を受け入れることができなければならず、問題が起きた時には内に向けて探し自らを修煉します。これが師父が教えてくださった道です。私は自分を変え、自ら同修とのわだかまりを取り除き始め、現在、私は同修と再び学法グループを形成しました。環境による規制のために、最初は1カ月に1度学法し、その後、皆の心性が向上したことにより、2週間に1回の学法に改め、休みの際は1週間に1回の学法とし、さらに祝日の時は、集団学法を2日間連続で行い、合計5講を学び、集団学法の時は皆、強いエネルギー場を感じました。師父の説法『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』を読んでから、私たちは毎日頑張って集団学法と煉功を始め、皆「以前と違う」と感じ、大きく向上しました。

 二、仕事場で自分をよく修め、人を救う環境を切り開く

 迫害された後、私は元の職場に戻りました。当初、私には臨時の仕事が与えられました。正式な仕事ではないので、給料が完全には払われず、なんとか生活を維持できる程度でした。邪悪は経済的に私を迫害したいのだということを私は承知していました。私は邪悪を無視していました。ちょうど仕事もとても気楽で、環境も良く、私一人だけなので、一刻も無駄にせず私は暗記した法を念じ、毎日、4、5時間念じることができ、暗記した法を念じると、気分が落ち着いてきます。私が寂しく手持無沙汰だと同僚はみんな思っていましたが、私が毎日どれほど忙しくしているか、同僚たちは知りません。思想の中で暗記した法を念じていたのではなく、私のどこに不足があるのかを考え、いつも自己を変えていると感じました。

 初めて元の職場に着いた時、同僚全員が誰かから何かを言われるのを恐れ、あえて私と多くを話しませんでした。私も他の人との接触がとても難しく、ただ私の職場の書記が仕事のために、上司からの要求でよく私のところに来て、私と話をしました。私は書記と話すことが多く、ある時などは、私はわざわざ書記の事務所まで書記に会いに行って話しました。書記にはこの「仕事」があります。ですから書記は私の話を聞かなければならないので、書記は私を避けず、私も気兼ねせず、何でも話しました。このことが始まった時、書記は「信じない」という意思と、「聞き終えたらそれでお終い」という態度でしたが、その後、少しずつ変わってきて、私たちが話していることの多くが正しいということを書記は否定せず、ただ書記は変える能力がありませんでした。しかし、書記の手の届く範囲で、書記は助けてくれました。

 私は学法を通じて、自己を着実に修煉し、1年後、私はさらに幅広く真相を伝えたほうが良いということに気が付きました。邪な連中による私への経済的迫害を打破するために、私は勤め先のリーダーに手紙を書き始めました。その中には上級の上級機関の指導者を含み、手紙を書いて真相を伝え、仕事復帰を要求しました。同時に、私はまたあの職場の書記を探しました。私が仕事復帰を要求していることを聞いた途端、「この要求は正常だ」と書記は言い、私の要求を妨害しなかったばかりでなく、さらに、人事部に言うようにとアドバイスし、どのように言えばいいかを教えてくれました。私が暇を惜しんで手紙を書いていたある日、職場の別の指導者が私を見つけ、私を呼びました。そこには職場の数人のリーダーがすべており、私の仕事が変わると私に話しました。そして、それは正常な職で、待遇も正常でした。私は感謝のあいさつをしました。しかし、これらのすべては師父がなさっており、すなわち師父の慈悲であり、目的は新しい職場でさらに多くの人たちを救う事であることを私はわかっていました。

 新しい職場では接する人が多く、仕事もとても忙しく、人と摩擦があるのは避けがたいのです。師父がおっしゃった「内に向けて探し自分を修煉する」を私は肝に銘じ、すべての事態をきちんと処理し、「煉功する人は他人を優先に考える」をいたるところで体現し、利益に対して冷めた見方をしました。3か月働いて、職場全体の好評をもらい、同僚は安心して仕事を私に任せるようになりました。職場で最も優秀な人は「彼女は仕事の持ち場について2日目にはもう仕事を適切に処理していて、やるべきことは何でもこなし、これこそが責任感です」と、書記に対して話しました。もともと、彼は私とあまり接触したがっていなかったのですが、今、彼は私をとても信用しており、別の部署の指導者にもしきりに私をほめていました。

 私が仕事を成し遂げる目的はいっそう立派に真相を伝え人を救い、職場の同僚を救うためだということを、私は知っていましたから、私はどちらも断念することなく、心の中では職場の同僚を重視していましたので、職場の同僚も救い済度できることを私は願っています。私は今はまだ、すぐにその場で同僚とたくさん話せませんが、学法し着実に修煉すると共に、私が直接人を救う上で突破できることを、私は信じています。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/23/249116.html)
 
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