【明慧日本2013年2月6日】私達3人は、約20日の間に3つの国家を訪問しました。道中、たくさんの人や団体に出会いましたが、みな法輪大法に対してとても親切で、認めています。多くの人が差し迫って大法を調べたいと思っており、また私達が法輪大法を洪く伝えることを手伝いたいと思っています。毎日私達は異なる人に真相を伝えたり、あるいは街頭に立って資料を配りました。縁のある人はどこにでも見られます。私達は皆さんと、今回の旅行のいくつか経歴を分かち合いたいと思います。
ネパールで法輪功を紹介
ネパールで法輪功を紹介
ネパールは世界で最も貧しい国家の一つで、空港はぼろぼろで雑然としています。私達を迎えるはずの人が見えなかったので、ホテルへ行くために1台のマイクロバスを借りました。運転手は間違って別のホテルへ行きましたが、途中で1人の友達を紹介してくれて乗車してきました。隣の同修が彼に1部の大法の真相資料を渡すと、彼は喜んで、私達に法輪功をやったことがあると教えました。以前、ある同修がここで法輪功を教えた事があったのです。そして折りよく、茫々たる人の海の中で、飛行機から降りてすぐに、私達は現地のかつて法輪功を学んだことのある人に出会いました。彼は現地の情況に対して非常によく知っていて、毎日私達が異なる人と会い、真相を伝えられるように手配してくれました。ネパールは釈迦牟尼仏の誕生地で、人々は仏教を信仰しており、生まれつき善良で、説明すればすぐわかります、法輪大法に対して非常に認めています。私達がまもなくここから離れることを知った時、彼らはどうしてこんなに早くここから離れるのと聞いて、私達がきっとまた来るようにと望みました。
私達は現地のある非政府機構を訪問しました。彼らは私たちを招待して、法輪功を紹介してほしいとお願いしました。その時居合わせた全員は、私達と一緒に5式の功法を学び、最後に私達は彼らの代表と座談して、彼らに法輪功の問題に関してたくさんのことを話しました。翌日、彼らは私達を招待して一緒に夕食を食べました。彼らは私達の体に強大な精神力があると感じたそうです。
随行している同修はどこまで行っても、そこで資料を配りました。道を歩けばいつも、いつ私たちのところへ大法を紹介しに来てくれますかと私達に聞く人がいました。このあたりはお寺が林立して、僧侶は多く、座禅を組んで、瞑想や修行の考えが人々の頭の中に根強くて、きっと間もなく、この神仏に対して敬虔なる国家に、大法が広く伝わると信じています。
パキスタンに着く前、心の中は不安でした。誰しも知っているように、この不幸な国家では毎年多くの人々が非業の死を遂げています。空港は警備が厳重でしたが、空港の飛行機待合室で、同修は依然として搭乗を待つ人々に大法の資料を配りました。すぐにとても興味をもって学びたいという人がおり、また友達にも紹介して学びに来させたいと言い、どのようにすれば大法がパキスタンで広く伝わるかのアイディアを私たちに出して、また彼の家を訪問するようにと私達を招待しました。
パキスタン公園の中で法輪功を紹介
私達は友達の家に滞在し、そこは群山はぐるりと取り囲んでおり、景色が良くて、移動には車を使うことができ、非常に便利です。ここの社会の情勢は揺れ動いていて、貧困です、衆生が法を得るのは簡単ではありません。私達は現地のいくつかのメディアを訪問して、彼らに法輪功を紹介しました。反応はみなとても親切で、幾つかのメディアが私達を取材しました。最後の2日間、私達は現地の最も有名な観光スポットへ行って功法を実演しました、人々は足を止めて観覧して、私達を真中に囲んで記念写真を撮ったりして、長い間立ち去ろうとしませんでした。
インドで私達はたくさんのチベットからの亡命者に出会いました。彼らは命の危険を冒して中国からインドまで逃げてきて、その中の多くの人の生活環境は非常に苦しいのですが、しかしほとんどの人は中共邪党に対して明白に認識していて、三退と言ったらすぐ賛成します。どうしてこんなに苦い環境でもここまで来なければならないのですかと私達が彼らに聞いた時、彼らはここが自由だからと言いました、彼らの信条に対する堅い信念はとても忘れがたく、しかし多くの人は法輪功について知りません。私達はドアを閉めて20年修煉していた人に会いました。私達は彼に一冊の大法の本を送りました、彼は喜んで受け取りました、私達が法輪功は功能の成長が速い高徳の大法だと言った時、彼の目は輝きました。また、私達から5式の功法を学んで、多くの大法の真相の資料を持って行ったある若いチベット人は、私達のためにこれらの資料を配りたいと言いました。インドの南部では大型の洪法の活動がまたあり、大法はインドですでに根を下ろして、絶えず盛んに広まっています。
20日の旅は瞬く間に過ぎました。私達の最も深い感銘は、世の中の衆生がすべて大法の救い済度を待っているということです、世界のどの隅、どの民族に関わらず、みんな大法と縁があり、未来はすべて大法に救い済度されるのです。