明慧法会|自分をしっかり修め、小弟子の面倒をよく見る(二)
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――真に法をよく学べば、できない事はない

文/北京の大法弟子

 【明慧日本2013年2月6日】

 三、発正念を重視し、自身と外部の悪の要因を清める

 去年、家に帰った時、発正念の時にはいつもぼんやりしていて、その状況がさらに重く、ほとんど毎回、掌が倒れる現象があるだけでなく、意識がはっきりしても、ちょっと少しでも油断し、思想上で違う事を想像すると、掌が倒れてしまいました。私は焦りましたが、乗り越えられませんでした。同修は私に、自身の空間場を清めることに気を付けるようにと教えてくれました。数多くの同修の長時間発正念の体験が明慧ネットに載っていて、ある同修はかつて不当に労働教養を受けてからすぐ、発正念を通じて邪な妨げを解体し、隙に乗じられないようにし、これによって、法を実証する道を平穏に歩いていました。

 師父はすでにとてもはっきりと説明なさっており、再び良く行えなくなってしまったのは自分の問題だったのです。私は発正念を重視し始め、4回の正時ごとに30分間発正念し、さらに、午後5時半から6時は、自身の空間場を清める時間にして、自分の思想の中の良くない考えをいつも清めていました。私の発正念の効果は次第に良くなり、迷いがなくなり、力がだんだん集中してきました。私は発正念のやり方もはっきりさせ、正時から10分間を全体の範囲に対して行う以外に、最後の20分間は違う領域に向けています。基本的には、私の周囲の環境や関連する環境も含めています。

 しばらくの間、このように発正念した後、最も目に見えて実感したのは、妨げが少なくなったということでした。私が帰ってきた後、交番の警官が私を探しに来たのと、職場の治安担当部門が3、4回、私を探しに来た(警察官と治安担当部門の人は皆、真相を聞きました)以外は、もう二度と私が影響を受けることはありませんでした。真相資料を配る時、妨げが少なくなったことは明白であるばかりでなく、なくなってしまったのです。

 私が資料を配布し始めたばかりの時は、恐れる心が重くて資料を多く持っていけず、とても心配し、妨げも大きく、人によく遭遇していましたが(ビルの廊下で資料を配布しています)、発正念を通じて恐れの物質を取り去った後は、資料を携帯して配布しに行くのも楽で、妨げがなくなりました。ある時、私はある程度の高級団地に行って神韻DVDを配りました。16階まで一気に登りましたが、当時、動悸が激しくなったので、私は立掌して発正念し、自分の恐れる心と法に即しておらず私が人を救うのを阻害する要素を取り除き、強大な正念を発すると、動悸がだんだん落ち着いてきたように感じ、本調子に戻り、前後2分も経たずに、私は気持ちがとても静かになりました。とても不思議でした!

 四、同修と息をぴったり合わせて真相を伝え、真相資料の仕事をする中で自分を修煉する

 真相を伝えるために私がとっている方法は、主に真相資料を配布することです。周りの世間の人は誰もが私たちと縁のある人なので、私と学法グループの同修は息を合わせて真相資料を配布し、さらに配布する区域を分割し、どの衆生に対しても漏れがないことを保証しています。私たちは真相資料にきれいなビニール袋をかぶせて門まで届けます。毎日、私は通勤時に資料を配布し、毎回1つか2つの集合住宅を回り、半年で周囲の団地は配布し終わりました。私はもう少し遠いところへ行き、遠いところで資料を配布し人を救っています。

 今年の3月、神韻芸術団の公演DVDができてきて、私は師父が大法弟子を引率なさって神韻を行っていることを理解しました。神韻は衆生を救う優れた道具ですので、神韻DVDを配布することを重点とし、その後、師父がお話になっていることを拝見しました。「今、主流社会をターゲットにすると言っていますが、主流社会で成功してはじめて、全社会で成功し、影響を大きくし、もっと多くの観客がやってきて、もっと多くの救われ済度される衆生が来場します」(『更なる精進を』) 私も多くの高級住宅地区を探して配布し始めました。高級住宅地区では仕事が進めづらく、警備員の目が厳しく、門を出入りするには電子鍵がなければなりません。私は発正念中に、「高級住宅地区の衆生が救われることを邪魔するすべての悪の要因を徹底的に一掃する」という一念を加えました。ある時、入って行くのがとても難しい高級住宅地区に入って行った時、「師父、お願いします、警備員に阻止させないでください」と、私は黙考しました。私は道中、自転車で順調に入って行き、警備員は私を見ても何も言いませんでした。

 資料を作るのもまた、心性を向上させる良い機会ですが、始めた時は「実行すればそれでいい」とだけ考えていました。その後、学法の中で「衆生のために責任を負い、真相資料の質を向上させ、作り上げた真相資料が人に愛され、大切にされるくらいに達しなければならない」ということに、だんだん気づいてきました。私は同修の貴重な経験を見習い始め、グループの同修と一緒に材料選び、素材の購入、プリントアウト、装丁、包装など、資料配布までのあらゆる段階を重視し、手分けして助け合い、出来上がった真相資料の品質はだんだん良くなってきました。私が制作に責任を負っている途中で、プリンターやレコーダーと情をもって付き合ったので、機械にも何回も故障が起き、そのせいで私はさんざんな目に遭いました。同修は私に内に向けて探させました。私は、明慧の文章を編集する技術担当の同修が交流するパンフレットを見て、自分の問題が「資料を作る間に自分を修煉するべきで、問題を解決するためにその問題を取り除いていくことに没頭するべきではないということを知らなかったために、1つの問題が解決を見ると、すぐにまた問題が現れ、向上していくのがとても困難で、這って進むみたいなようなものだった」ことを、発見しました。

 ここまで書いたら、「私は科学の実証主義的な考えに潜り込み、問題の本質を捉えられなかった」ことに、また気が付きました。まるで師父がおっしゃったように「この領域を切り開くには、常人の認識を根底から変えなければなりません。さもなければ、宇宙の真相は人類にとって永遠に神話のままであり、常人は己の愚かな所見に限定された枠の中で永遠に這いまわるしかありません」(『論語』)のようです。この状態を変え、自分が資料を作る際の出発点や心を正さなければなりません。というのも、資料を作ることは世界の人々を救うためであり、私がしているすべても皆、師父の法に従って人を救う中で、自分をよく修めるためであり、ただこれらの問題を除去することはみな意味がなく、歓喜心や自己を実証しようとする考えはみんな、あるまじきものなのです。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/23/249116.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2011/12/4/129853.html)
 
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