明慧法会|理由なく足を挫いたら(一)
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――自分をよく修めて、はじめて法を実証できる

文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2013年3月2日】私は1997年7月に、大法に出会い、とても嬉しく思っています。14年の修煉過程で、心身が昇華した喜びもあれば、困難や失意に直面した時の彷徨もあります。最も大きな体得は、師父の慈悲深いご加護の下で、法を実証する中で人心を取り除き、確固として修煉するという体得でした。10数年にもなり、言いたいことはとてもたくさんありますが、どこから話せばよいかわからず、ずっと考えていました。やはり、自分が修煉中に遭遇したいくつかの不思議な出来事を書いて師父にご報告し、同修と交流したいと思います。次元に限りがありますので、適当でないところは同修の慈悲深いご指摘をお願いします。

 一、大法に入り、たちどころに奇跡が起こる

 私は体が良くないために、一日中薬を飲み、時にはさらに鍼灸治療を受けましたが、数年過ぎても好転しませんでした。また、いろいろな人があれやこれやと病気治療の方法を私に紹介してくれ、私もかすかな望みを持って試しに行ったりしたものでしたが、結局は失望して帰ってきました。その後、法輪功は病気治療と健康保持に効き目があると聞いて、私はすぐ四方八方を探し回り、1997年7月にやっと故郷で法輪功を見つけました。

 1日目の朝、私が煉功へ来た時、煉功の音楽を聞いて全身が気持ち良くなり、ドキドキして泣きたかったのですが、私は泣きませんでした。私は動作をマスターしなければならなかったからです。4つの動功を煉ると、奇跡が起きました。体全体がまるで重量がなくなったかのようにふわりと浮き漂ったのです。私はこらえきれずに「この功はすばらしい、私はかつてないほど気分がいい」と、大声で言いました。夜、1人の功友の家に行って、師父の『大連での説法』の録画を見た時、突然、一筋の電撃のような銀色に光る光が私の大脳を貫いたかと思うと、たちまち数年間私を苦しめてきた頭の重さやめまい、乾燥性鼻炎の症状が全部消えました。1カ月に満たない間に、数種の病気(乳房過形成、付属器炎、頭の重さ、めまい、乾燥性鼻炎、アレルギー、頸椎病)がすべてすっかり良くなりました。あの時から今日までずっと、私の身体はとても良く、ひと粒の錠剤も飲んだことがなく、私を知っているすべての人が、私は変わった、元気になった、若くなったと言いました。法輪功を修煉して起きた自分の変化を私が他人に教えた当時、人々はみな、大法の超常さと不思議さに感嘆して、大法の修煉に入った人もいました。

 二、内に向けて探し、誰かに自分のことを悪く言わせたくない心を取り除く

 法輪功は決して一般的な気功ではなく、法輪功は佛家大法であり、法輪功は修煉であり、修煉であるからには、法輪功は厳粛なことだと、本を読み、同修と交流することを通じてわかりました。その時、私は修煉に対しては不案内で、どのようにして修煉するのかまるでわかりませんでした。大法が素晴らしく、やることは人のために、大法の要求に従って評価することを、私は知っていたので、ほんとうに修煉する必要があると思いましたが、しかし、往々にしてうまくできませんでした。

 1998年初めのある日だったと思いますが、「功を学んであまり経っていない修煉者がいて、子供が喧嘩したために、その修煉者の家族が精神病を患ったので、幾人かの同修を集めて、その同修の家に行き一緒に法を学びたい」と、同修の甲さん(私と同修の甲さんは指導員でした)が私に言いました。その時、私は同意しませんでした。精神病を患った家族もまた大法を修煉しておらず、病院へ行くべきだと考えたのです。しかし、同修の甲さんがやはり人を集めて行ったとは思いませんでした。次の日の朝、煉功場で、甲さんは30数人の同修の前で私に「あなたは指導員でしょう。それなのに、これくらいのこともやろうとしない!」と言いました。私は説明したかったのですが、甲さんは話を続けました。「他の同修に話すと、快く引き受けてくれたので、私たちは行きましたが、効果がとても良かったですよ」二言三言で私はばつが悪くなり、私は呆然とみんなの真ん中に立って、顔がひとしきり熱くなると、しばらくして涼しくなり、嫌な気持ちになったので、その場を離れたかったのですが、みんなの煉功が影響を受けることを恐れました。「煉功を優先しましょう」と、私がテープレコーダーをつけようと思っていたところ、ふと見ると、甲さんは力を入れてひどく戸を閉め、行ってしまいました。

 その場にいた人たちのまなざしが私に向けられたので、私は怒りで全身がわなわなとふるえ、まるで煉功できませんでした。私は地べたに座り怒りました。私たちがこんな風にごたついたので、他の人も煉功できませんでした。「あなたの心性を向上させているのだから、怒るのは間違いです!」と、ある同修が私に言いました。道理はわかりましたし、私の心性を向上させているのだということも承知していましたが、心は怒りと不平たらたらで、「人をバカにするにもほどがある。あなたが人をしかる時、しかる理由があるのか」と思いました。「私は指導員をやめる。甲さんと行き来したくない」という考えを決めると、内心はしのぎやすかったのです。

 その日の夜も学法(集団学法)に行きたくなかったので、家で一人で勉強し、私が『転法輪』を持ち、まだ開いていなかったその時、師父が説かれた「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」(『転法輪』)が頭をよぎりましたが、「法はわかりますが、やり通すことはどうしてこんなに難しいのか!」と、私は心の中で言いました。こうした感情は耐えられないので、心の中で繰り返し、「まだ修煉するのか? これしきの事が邪魔をするのか?」と、最後に私は自問しました。そして「修煉する! 必ず修煉する!」と、思いました。そして、私は自分で自分を追い込んで学法へ行きましたが、心の中はまだくすぶっていて、数日来、心の中はまだ不平たらたらでした。実は、私自身は自分を探したわけではなかったのです。そんなある日、出勤の途中で、わけもなく足をねんざし、問題は自分にあるということに、私はやっと気が付きました。

 それなら怠りなく自分を探すべきです。「うわさを恐れる心、体面を気にする心、嫉妬心、寛容でない、アクシデントが起きた時に他人のことを考えもしないこと、自分に執着すること、法を伝えることと法を実証することを考え付きもしないことなどを知った後、一筋の熱い流れが体に出てきて、気持ちがとてもリラックスしました。自分を悩ませた良くない物を、師父が取り去ってくださったとわかりましたので、その日、私は甲さんに長文の手紙を書き、過ちを認めました。夜、家で静功を煉っていた時、突然、自分の体が外に向かって広がっていくのを感じ、だんだんだんだん拡大し、大きくなり、本当に「天を頂き独り尊く」のように超然と感じました。この件を通じて、「修煉したいのなら、本当に自己を修煉しなければならず、何事があろうが、自分のこの心をしっかりつかみ、この心を修煉し、それで本当に修煉することができ、それでこそ心性の昇華を受けることができるのだ」ということを、私ははっきりと体験しました。

 (続く)

 (明慧ネット第八回中国大陸大法弟子の修煉交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/24/249166.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/17/130176.html)
 
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