遼寧省:盤錦市の定年退職職員 冤罪で8年迫害され刑務所に監禁
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 【明慧日本2013年3月8日】法輪功修煉者・焦艶さんは、遼河油田を定年退職した職員(61歳)である。法輪功を学び始める前、様々な病気を患っていた。神経脆弱・胃潰瘍・胃の病気などで非常に苦しんでいたが、法輪功を修煉してから間もなく病気が完治した。

 1. 陳情しただけで連行され、2年間拘禁される

 1999年12月末、焦艶さんは法輪功への迫害に対して陳情をするため、3回北京を訪れた。しかし、天安門広場で警察に連行され、監禁された。その後、遼河油田に送られ、拘禁所で24時間手錠と足かせをかけられ、鉄製の細い椅子に座らされた。飲食もさせてもらえず、一週間後、何の手続きもないまま労働教養2年を言い渡された。そして盤錦労働教養所に送られ監禁された。当時、この労働教養所には20数名の法輪功修煉者が不当に監禁されていた。

 2. 警察と町内会が結託して5年の冤罪

 2001年5月、釈放され自宅に戻ってからも焦艶さんは修煉を続けた。修煉を諦めないという理由で、20数名の警官が、6台の警察車両で焦艶さんの自宅を包囲した。焦艶さんは仕方なく家を離れ、路頭に迷うこととなった。

 2003年12月26日、町内会は、住宅の補助金の手続きが必要であるという嘘の通知を作り、家に戻るように仕向けた。帰宅した焦艶さんは待ち伏せしていた4人の男に地面に押さえつけられ、警察車両に無理やり押し込まれた。焦艶さんはそのまま遼河油田留置所に移送された。15日間拷問され、懲役5年の冤罪を言い渡された。その後、瀋陽市にある瀋陽女子刑務所に護送され引き続き残虐な迫害を受けた。

 3. 瀋陽女子刑務所で虐待、奴隷扱いをされる

 焦艶さんは瀋陽女子刑務所第10区に監禁されている間、様々な非人道的な虐待を受けた。朝6時に起こされ、7時から過酷な強制労働を強いられ、夜の8時まで13時間休まず働かされた。宿舎に戻っても作業をさせられ、終わらないと眠ることを許されなかった。酷い時は、翌朝の3時、4時まで働かされた。

 警察は時には、受刑者に指示して焦艶さんに暴力を振るわせた。顔・唇・耳を殴ったり、椅子で殴りつけるなど、数時間連続で殴り続けたこともある。耳を殴られた時、焦艶さんの耳の中には血が溜まっていた。食事は、お湯の中に白菜と大根を入れて煮ただけで、何の味もない粗末なものを与えた。

 焦艶さんは絶えず迫害され、家族も大きな圧力を受けた。焦艶さんの夫は2001年に離婚届けを提出し、家族が離れ離れになった。この8年間、焦艶さんは中国共産党による不当判決と非人道的な迫害のため、家族のもとを離れ、言葉では言い表せないほどの虐待と過酷な労働を強制されている。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/2/16/270098.html)
 
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