【明慧日本2013年3月25日】黒竜江省牡丹江市の文化局図書館職員の於宗海さんは優秀な職員であった。2001年、中共(中国共産党)当局に強制連行され、虐待・拷問を受けた後、懲役15年の不当判決を言い渡された。その後、監禁され迫害を受け、2006年に牡丹江刑務所で過酷な労働を強制された。怪我を負ったが、治療を受けることもできなかった。2009年、当局から「転向」を強要された。真冬にもかかわらず体に冷たい水をかけられた。迫害されて骨折したが、治療も受けられなかった。また、胸を打たれ呼吸困難となり、スタンガンによる電気ショックで心臓に異常が見つかった。それでもなお、刑務所側は過酷な労働を強要している。
妻の王楣泓(メイコウ)さんは地質研究所の技術者だった。2003年10月に警察に連行され、懲役11年の不当判決を言い渡された。現在、ハルビン市女子刑務所に監禁され迫害を受けている。於さんの父も法輪功修煉者だったが、息子・娘が次々と連行され、迫害されていることに大きな衝撃を受けた後、亡くなった。
於さんの姉の於真潔さんらは海外で、アメリカ政府・イギリス政府に中国国内で迫害を受けている親族の助けを求めている。
一、於宗海さんが中共の刑務所で非人道的・残虐な迫害を受ける
1999年7.20、中共は法輪功に対する違法な弾圧を強行した。その二日前の7月18日に於さんと各市の法輪功の煉功場の責任者が次々と当局に連行された。2001年11月12日、於さんは法輪功が不当に迫害されている真相を伝えたため、牡丹江市公安局・共和公安支所に拘禁された。当日拘禁された11名の法輪功修煉者たちは残虐に拷問された。於さんは拷問により怪我を負った。さらに、警官は於さんの鼻にワサビの油を注ぎ、苦しめた。
於さんは懲役15年の不当判決を言い渡され、牡丹江刑務所に入れられて迫害された。2006年8月、工場で奴隷のように働かされ左目を負傷し、涙腺が断裂した。治療を受けられず生涯の怪我となった。
2008年北京オリンピックの期間中、当局は警備強化期間とした。於さんは警官に指示された一般の受刑者から暴力を受けて負傷した。
2009年、於さんは牡丹江刑務所「610弁公室」のリーダーらによって転向の重点対象とされ、長期にわたって様々な非人道的な残虐な迫害を強制された。家族との面会も一切許されなかった。
2009年11月、刑務所側は引き続き迫害を強化した。於さんは暴力により前歯を二つへし折られた。真冬に衣類を全部はぎ取られ、裸の体に冷たい水をかけられた。あばら骨と足の骨を打撃により骨折し、治療も受けられず不自由な体になった。それでも過酷な労働を強要されている。
真冬に裸にされ冷たい水をかけられている様子(実演) |
2012年、於さんは刑務所側から拷問され続けており、腿の骨を打たれて骨折した。それでも治療を受けることを許されず、働かされている。於さんは当局に無条件での釈放を求め続けている。
二、於宗海さんの妻が受けた非人道的な迫害
王楣泓(王メイコウ)さん(54歳)は2003年10月23日、牡丹江市新華公安支所の警官らによって強制連行された。それ以来9年間、王さんはさまざまな非人道的な迫害を受けている。
強制連行された際、所持していた50元を警察に没収された。男性警官に暴力を振るわれ、顔が腫れ、服がボロボロになるまで打たれた。
牡丹江市の東安区国保大隊の警官20数忍に交代で監視され、丸三日間も睡眠を許されなかった。金属の固くて冷たい細い椅子に座らされ、足が大きく腫れた。その後の健康診断で、王さんは背中に大きな怪我を負っていることが分かった。
2004年3月、王さんは牡丹江市愛民中級裁判所で懲役11年の不当判決を言い渡され、黒竜江省女子刑務所に移送された。暴力や過酷な労働を強制され、夏の30度以上の高温の時にも汚い工場で毎日12時間働かされた。王さんは長期にわたり煉功できなかったため体が極度に脆弱し、黒髪が全部一気に真っ白になった。
2006年、王さんは転向の重点対象となり、拘禁期間中、さまざまな非人道的な暴行・侮辱・拷問を受けた。
2008年、王さんは警官に殴られて数日間、歩くこともできない大怪我を足に負い、今でも右足の痛みが止まらないという。
2009年、王さんは警官に拷問され、髪の毛を真ん中から切られ、めちゃくちゃになるまで切られたという。
2010年、王さんは隔離され狭い牢屋に入れられた。人目につかない場所で長期にわたって様々な非人道的な迫害を受けた。