明慧法会|高校の時、母親が連行された後(一)
■ 印刷版
 

――大学生の大法弟子の修煉体験

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年5月6日】尊敬する師父、こんにちは。修煉者の皆さん、こんにちは。

 私は1995年に修煉を始めた大法弟子です。十何年間修煉してきて、私は大法の中で成長してきました。皆さんと私の修煉心得を分かち合いたいと思います。

 正しい道を歩み、気楽に大学入試に対処する

 高校二年で、間もなく高校三年に進級しようとするとき、母親は不法逮捕され。留置所に入れられてしまいました。父親はすでに亡くなったため、突然家には自分だけが残され、邪悪に家を差し押さえられることに対して、私はまるで天が落ちてくるような恐怖を感じ、家は最も安全な場所ではないように感じました。その後、親戚の修煉者が私に付き添い、世話をしてくれて、ともに学法していました。絶えず学法することで、私はこれからの道をどのように歩んでゆけばいいのかを知りました。母親が不法に逮捕されたとき、私はもうすぐ高校三年に上がるころでしたので、成績を上げるため、学校は早めに高校三年の生徒に授業をします。母親を助けるため、親戚は担任の教師に電話し、一日の休みをもらってくれました。私は親戚と警察署、公安局、国保隊、610弁公室を駆け回り、一日の時間ではとても足りず、動き始めると、10日間学校に行けませんでした。なぜこれほど長く学校に来なかったのかと大勢の生徒が聞いてきて、私はここ何日間の悪夢のような経験を紙に書き留め、手紙の形式で友達全員に見せました。彼女たちは私の境遇に同情し、私も時々彼女たちに真相冊子を見せました。その後、テストで分からない問題がある時、「法輪大法は素晴らしい」と唱えていると、ある生徒から言われました。学校にいる時も大法の法理で自分を要求し、生徒の間ではかなりの好評を得ています。

 高校三年生にとって、時間はとても大切なものです。最初、担任の教師は私が授業に出ていないことを理解できませんでした。また、私はクラスの中でも、学年の中でも一位、二位の優等生ですので、教師からは「特別な関心」があるわけで、母親が大法を修煉することで私の進路の妨げにならないようにと言われたこともありました。その後、親戚の修煉者が先生に真相を伝え、真相を理解した担任の教師は正しい道を選びました。そして、母親のために休みをもらっても、先生は何も言わず、それどころか、自ら私のことを心配してくれて、できる限り私を邪悪から守ってくれました。

 高校三年のこの一年間で、私は母親を助けなければならず、勉強もしなければなりませんでした。私は常に学校で宿題を終わらせ、家ですることは滅多にありませんでした。家に帰ると時間があれば修煉者たちと共に学法と発正念をし、夜十時に寝ました。私にとって、高校三年の勉強生活は他の学生のように圧力だけで、心身共々疲れているのではなく、法の中に溶け込むことで、かえって充実していました。何日か経つと修煉者が学校の休みを取ってくれて、都会の各部門に行って母親を返しにもらいに行きました。通常は修煉者が真相を伝え、私は隣で発正念し、それに加えて全体の協力で、最初、人々は冷酷でしたが、その後同情してくれて、真相を知った人は私の学費を援助してくれようとしました。この期間、修煉者の優しさはとても心地よく、私が最も困難なときに、修煉者の叔父さんやおばさんが私を心配してくれたり、学法してくれたりしました。そのことで私は孤独ではないのだと感じ、修煉者のあの無私の目と、家にある素朴な置物を見て、私は感動しました。「ここは浄土であり」(『米国西部法会での説法』)と、師父がおっしゃいました。真にその通りなのです。

 全体の協力のもと、8カ月以上も監禁された母親は家に帰ることが出来ました。師父はこのようにおっしゃいました、「ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです」(『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』)今回の迫害を我々は認めませんが、8カ月間の経験は、私を法の上で精進させ、パソコンゲームをする執着心や、常人に頼る執着心、結果を求める心を無くすことができ、学法と発正念は私をさらに充実させ、正念の威力と全体の協力の重要性を体験できました。

 その時、私はもうすぐ大学入試でした。入試前、まだ十四冊ほどの教科書に、まだ一度も目を通していませんでした。しかし、私は少しも恐れや緊張を感じず、大法と師父を信じ、会場に入りました。試験用紙が配られる直前まで、私はずっと発正念して、自分の空間を浄化し、周りの学生に真相を伝えていました。師父に知恵をくださるようお願いしていました。そして、奇跡は起こりました。結果が発表され、私は結構良い大学に受かり、最低合格点より60点も高かったのです。母親を救うため、授業数が足りなかったのですが、影響されることはありませんでした。かえって、私の成績はトップの大学に行くこともできるほどでした。しかし、私は執着せず、学校の先生たちにも迷惑をかけたくはありませんでしたので、家から近い大学を選びました。私が正しい道を歩き、名誉や損得に執着などせず、大学に受かるかどうかも考えずに、心の底から法に基づいて衆生を救い、修煉者を救ったから、師父は私に知恵を与えてくださったのです。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/28/249105.html)
 
関連文章