明慧法会|高校の時、母親が連行された後(二)
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――大学生の大法弟子の修煉体験

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年5月7日】

 心を静めて発正念し、専攻一級を通過する

 大学に入ると、様々な人がいて、状況も結構違うことに私は驚きました。しかし、自分をしっかりと把握し、最初の日に、私は母親と修煉者の親戚たちと共に、私が専攻する学部の学部長に真相を伝えました。当時は経済的に貧しく、学校に通えない状況でした。学部長は真相を理解すると、私を引き留めてくれて、奨学金の手続きをしてくれました。クラスの中で、寮の中で、私は「真、善、忍」の素晴らしさを学生たちに伝えました。寮には腰が良くない学生がいて、天気が変わったり、冬になったりすると、腰痛が激しく、ひどい時はまともに歩くこともできません。私は自ら彼女のために水を汲んだり、重いものを持ってあげたり(七階に住んでいます)して、文句など一つもありませんでした。その後、彼女に真相を伝えましたが、私の心性が至らないため、彼女は受け入れてくれませんでしたが、私の人格に感動して、ゆっくりと変わっています。ある年、親戚の修煉者が不法逮捕され、彼女がそれを知ると、私たちの行動を支持してくれて、邪悪の行いに怒りを感じているとメールを送ってくれました。

 高校生活の単純さと比べれば、大学は社会と同じようなものです。大学生活は比較的楽ですが、授業の時間もバラバラで把握するのが難しいです。よかったことに私は合同寮に住んでおり、ルームシェアをしている学生とは同じクラスではありません。授業の時間もそれぞれ違っています。こうして、私は授業が無いとき、部屋には誰もおらず、心を静めて学法することが出来ます。今思い返せば、すべてが偶然ではなく、師父があらかじめ手配してくださったのです。学法しても心に入らない時は声に出して読みます。その後、修煉者の紹介で私は同じ大学と、違う大学にいる大法弟子と知り合い、土日を利用して、時々会って学法したり、交流したりしています。

 私の専攻は英語で、大学4年生の時、英語専攻の一級(英語専攻の最高級)の試験を受けなければなりません。とても難しいため、ほとんどの学生は諦めました。その時、私は講師の試験の復習に費やしていて、それに加えて新年で、今回の試験を特に気にすることもありませんでした。買っておいた模擬試験問題集は一問も解いていない状態で、もうすぐ試験になるため、少なからず不安がありました。しかし、師父はこのようにおっしゃいました、「多くの子供は法をよく勉強しただけではなく、学校での成績も一、ニ位です。このような子供は非常に多いのです。しかし、彼らは成績そのものに執着せず、大 法の修煉を通じてどうすればいいかが分かり、勉強と大法の関係をうまく扱うことができます。学生であればよく勉強しなければならないからです。」(『ニュージーランドでの説法』)私は大法弟子であり、直接真相を伝えているわけではありませんが、私の周りには、私が大法弟子であることを知っている学生もたくさんいて、試験を受けることも大法弟子であることを示していることであり、大法の素晴らしさを証明しているのです。他空間にいる生命と旧勢力が見ているので、私は師父と大法に恥をかかせるわけにはいきません。

 テスト当日、会場の外の人気のない所で、私は発正念をしていました。会場内の全員が私のクラスメイトで、少なからず話したりしてしまい、発正念の妨げになるので、私は会場に早く入りませんでした。問題用紙が配られる直前まで私は発正念をしていました、「すべての執着と欲望を消し、私が法を実証することを妨害する他空間にいるすべての悪者や共産党の悪霊および悪党、他空間にいるすべての邪悪な生命と要素を解体する。師父、ご加護をお願いいたします」今回の発正念はとても純粋でした。以前にもこのようなことをしたことがありますが、それでも問題に答えられないときがあり、それは強い執着を持って発正念をしていて、私利私欲のためだったので、正の威力がなかったと学法を通して分かりました。

 試験の時、私は取り乱すことなく、順調に回答を書いていきました。試験会場から出ると、勝利を勝ち取ったような今までにない感覚で、とても落ち着いていました。「きっと合格できます」と誰かが言っているかのようでした。成績が発表され、40人のクラスの中でパスしたのは2人だけで、その中に私がいました。「すごいね、ほかの人は毎日復習しても合格できなかったのに、何もしなかった君が、かえって合格したのだから」と言われました。

 たくさん学法をし、大法の本の中にすべてがあります。大法が我々に知恵を与え、我々に良い人になるようにと教え、絶えず我々の心を浄化し、真に帰る道を歩ませてくれます。私が道に迷った時、森羅万象の世界でどうすればいいのかわからないとき、危うく流されそうになったとき、いつも大法と師父と修煉者が私をよびさまし、目をはっきりさせ、これからの道を歩かせてくれました。慈悲で偉大な師父に感謝いたします! 修煉者のみなさんに感謝いたします! 自分にはまだたくさんよくできていない所があるとわかっています。最後の時間の中で、私は必ずしっかりと学法し、できる限り師を助け、法を正し、最後の道を穏便に歩んでゆきたいと思います。

 最後に、師父の法を引用して皆様と共に精進したいと思います、「皆さんが真に修煉して向上してこられるように、私はある方法をとりました。つまり、私は皆さんに与えることのできるもの、皆さんに私のできることを全部法に織り込みました。後は皆さんがそれを得るかどうかだけです。」(『オーストラリア法会での説法』)「皆さんが修煉して向上できるもの、修煉の中で得ることのできるものを全て法に詰め込んだと私はいつもこのように言っています。皆さんは異なった境地にいますが、誰もこの話の重みを本当に理解することができません。」(『スイス法会での説法』)

 師父に感謝いたします! 修煉者のみなさんに感謝いたします!

 妥当でない所がありましたら、指摘をお願いします。

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/28/249105.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/13/130679.html)
 
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