重慶市:「社区」の元主任 労働教養所で殴打される
■ 印刷版
 

 【明慧日本2013年7月15日】重慶市の法輪功修煉者・王アさん(48歳女性)は昨年5月4日、弟の家から出たところで、待ち伏せていた江北区公安分局の警官に不当に連行された。6月2日、労働教養処分を下され、市女子労働教養所に収容された。

 王さんは教養所で、自分は犯罪者ではないとして抗議するため、受刑服の着用を拒否した。そのため、警官・韓璐は、王さんの「包夾」(警官の指示を受けて法輪功修煉者を監視している受刑者)に指示を出し、王さんの服をはさみで切って脱がし、強引に受刑服を着せた。

 ある日、王さんはグランドで「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、「包夾」に部屋に連れて行かれ、両手を背中に回して粘着テープで縛られた。「包夾」は王さんの指先を血が流れるまで強く押し、さらに、王さんを殴ったり蹴ったりした。

 その日の夜、副隊長が部屋を見回りに来たとき、王さんは昼に受けた暴力のことを話した。すると、副隊長が「真実を調べる」と言いながら、「包夾」たちを呼んできて、「ご苦労だった」と言ったという。教養所で「包夾」らが暴力を振るうときは、監視カメラを避けてやっている。

 教養所で王さんは食事を少ししか与えられず、夜1時に寝て、朝5時半に起きなければならず、昼は長時間、立たされたり、しゃがむ姿勢をとらされたりしていた。

  また、教養所で王さんは「考えていることを書け」と強要されたが、書かなかった。そのため、警官は「王の部屋のドアと窓を閉めろ」と「包夾」に指示した。7月の重慶市は炎暑だったので、「包夾」は思わず警官に「もし、王が倒れたら、どうすればいいですか」と聞いたが、警官は「その時はその時だ」と答えた。そして、40日間、王さんは顔を洗うことも歯を磨くことも許されなかったという。

 1年来、王さんは重要な監視対象として扱われている。警官は、「包夾」と警官以外、誰も王さんに接近してはならず、王さんのほうを見てもいけないというルールを決めている。さらに、王さんの部屋の前を通る人がいれば、「包夾」らが急いでドアと窓を閉めることになっているという。

 王さんはかつて、重慶大学校長の秘書を担当していたが、在職期間中は学校でも有名な病弱者だった。王さんは遺伝的なリウマチ関節炎を患っていたため、重慶市は夏がとても暑いので有名だが、夏でも王さんは関節病のために厚い服を着なければならなかった。

 しかし、王さんは幸いにも1996年に法輪功と出会い、学び始めた。法輪功を修煉してから、王さんは「真、善、忍」の基準に従って自分に厳しく要求し、より良い人になることを目指した。法輪功を学ぶにつれ、王さんが悪夢のように苦しめられた病気が知らないうちに消え、体が健やかになった。以前は家族に世話をしてもらってばかりだったが、今の王さんは仕事もよくでき、家族の世話までできるようになったという。

 元気を取り戻した王さんはその後、800人も参加する選抜試験を受け、第3位の優秀な成績を取り、渝中区大溪溝「社区」(中国共産党の末端の自治組織)の主任に就任した。

  しかし、1999年7.20から中共(中国共産党)は法輪功への弾圧を開始した。王さんも迫害を免れず、幸せだった家庭も破壊した。

  王さんは法輪功が迫害された直後、北京へ行き、法輪功への迫害停止を求めたが、警官に連行され、労働教養処分を下されて市茅家山女子刑務所に収容された。2001年11月に釈放された王さんは、2ヶ月後の2002年1月2日、再び連行され、懲役3年の実刑判決を宣告されて市永川女子刑務所に送られた。

 2007年2月1日、王さんはほかの法輪功修煉者たちと一緒に重慶市労働人民文化宮に行った時に、突然、数十人の警官に囲まれ連行された。その後、労働教養処分1年7カ月を宣告されたという。

  王さんは現在もなお、教養所に拘禁されている。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/1/276077.html)
 
関連文章