湖南省:父子が迫害され 息子が再び不当判決に直面
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 【明慧日本2013年7月16日】湖南省チン州市の法輪功修煉者・廖(りょう)松林さん(70代)と廖志軍さん(40代)父子は2008年、地元の人々に新唐人テレビの受信機器を設置しため、中共(中国共産党)当局に連行されて、それぞれ不当に4年と3年6カ月の実刑判決を言い渡された。

 新唐人テレビ局の本部はニューヨークにあり、中国に関する真実の情報を発信している。廖さん父子の行為は、完全に合法的だが、父子は常徳津市刑務所に拘禁された。2011年11月、志軍さんは冤罪刑期が満期になり、釈放されたが、勤め先の鉄道関連会社に解雇された。

 その6カ月後、志軍さん再び当局に連行された。先々月18日、蘇仙区公安分局は志軍さんの案件を区の検察院に提出した。

 父子が繰り返して迫害される

 廖さん一家はチン州市山川塘北湖区にある軍人宿泊施設の職員住宅に住んでおり、松林さんは軍人宿泊施設から定年退職した職員で、志軍さんは衡陽市鉄道関連会社の職員だった。

 1999年7.20から、中共は法輪功への弾圧を開始した。廖さん一家は法輪功を学んでいるとして、当局に繰り返し迫害された。

 志軍さんは1999年~2000年、2回にわたって連行・拘禁され、6000元をゆすり取られた。その後、1年間、職場で軟禁され、2001年3月5日に2年の労働教養処分を宣告されて長沙市の新開鋪労働教養所に収容された。2004年に志軍さんは2回目の労働教養処分を下された。2008年、志軍さんは連行され、懲役3年6カ月の判決を言い渡された。

 松林さんは2001年、洗脳班に入れられた。2002年8月、連行され、市留置場に拘禁され、翌年の9月6日、北湖区裁判所に懲役3年の実刑判決を下され、常徳津市刑務所に収容された。2008年、松林さん再び4年の実刑判決を言い渡され、再度、常徳津市刑務所に送られた。

 志軍さんは善良で素直な性格、人の世話をすることが好きな好青年だと評判になっていた。

 父親の松林さんは法輪功の修煉で、患っていた肺結核、鼻炎、前立腺炎および三十年余りの胃病、業務中の負傷で引き起こした脳しんとうの後遺症もすべて治り、毎年何千元もの薬代が不要になった。元気になった松林さんは、職場の機械から、近隣たちの家電まで、無料で修理していた。住む区の管理者として松林さんは、給料ももらわずに好意でやっていたという。

 2007年に一家4人が連行された

 2007年10月15日午前、市「610弁公室」の主任・張和平、副主任・呉代明は市公安局、北湖区と蘇仙区国保(国家安全保衛)の警官に指示を出し、廖さん一家を連行した。警官10数人が廖さんの家に押し入り、松林さんと妻の孟慶蓮さんを強制連行した。連行されるとき、松林さんは反抗したため、蹴られて倒された。そして、警官は廖さんの自宅の鍵を没収し、松林さんを車に押し込んだ。 その後、警官は家宅捜索を行った。息子の志軍さんは仕事中に連行された。志軍さんの妻はその1週間前、4歳の娘を連れて実家に帰っていたが、実家の前で連行された。4歳の娘は警官が靴も履いていない母親を引きずって車に押し込む場面を見て、あまりの恐怖に大声で泣き出してしまった。

 家宅捜索で廖さんの家のテレビ2台、オートバイ1台、テレビの受信機器10セット、MP4機器1台、MP3機器3台、郵政預金通帳8冊、現金4000元、法輪功関連書籍数冊、法輪功が迫害されているチラシ、廖さんが若いとき、友人から贈られた記念品の日記ノート、嫁の家計簿、孫娘の成長日記、帰省する旅費、鍵4セットなどの私財を没収された。近隣の話によると、警官はその後、誰もいない廖さんの家に3回ぐらい来て、家宅捜索を行ったという。

 市の留置場に拘禁された志軍さんの妻は、自分がこんなに酷い迫害を受けると思わなかったため、精神が崩壊寸前になった。その1カ月後、廖さん一家は釈放された。

 2008年に孫娘まで連行された

 2008年5月10日、廖さん一家は再び2007年と同じ迫害に遭った。警官17人が廖さんの家に侵入し、テレビの受信機器9セット、預金通帳の1冊、3万元の定期の預金証書、孫娘のズボンに入っていた幼稚園の学費800元、廖さん夫婦が帰省するために用意した6000元と乗車券2枚、他の人のケーブルテレビ費用の400元などを没収した。警官は廖さんの家に1元の生活費も残さず、全部没収した。

 孫娘は祖母と一緒に公安局に連行された。2人は尋問されて夜中に釈放されたが、孫娘は警官の車に乗らず、警官を見ると、緊張してお婆ちゃんに「悪い人が来た」と言った。

 その後、北湖区検察院が廖さん父子に濡れ衣を着させて提訴し、9月22日午後3時50分、区裁判所は廖さん父子に対して不法開廷した。法廷で裁判の結果を宣告しなかったが、その後、裁判所刑事の判決書に、廖さん父子にそれぞれ懲役4年、3年6カ月の刑期を課すと記されていた。廖さん父子は常徳津市刑務所の7監区と1監区に収容された。

 志軍さんは再び拘禁され、不当開廷に直面

 刑期を終え、志軍さんは解放された。今年の年始、志軍さんは新たに就職でき、妻も同じ会社に入った。夫婦ともにまじめに仕事をやっているので、リーダーから職員まで良い評判を得た。 同僚は「あなたたち夫婦は、責任をもって、よく働いていますね。今は、あなたたちのような人は本当に少ないですよ」と言った。

 しかし、4月18日午後、夫婦が会社で残業していたとき、突然、志軍さんは近づいてきた数人に倒された。同時に妻も近づいて来た2人に肩を押されて、後ろに向かって引っ張られた。妻は必死に抵抗したが、もっと多くの警官が来て、妻を抑えた。

 妻は「私たち夫婦はこのへんに知り合いが多くいるが、私たちが警官に捕まえられるところを見られたら、私たちが悪いことをしたと思われるかもしれない。実際、私たちは法輪功を学んでいるだけで、誤解をされないように」と考え、思わず「法輪大法は素晴らしい」と叫び出した。

 それで、警官は妻の頬部と頭部を押し、声が出さないように阻止した。そのため、妻は顔、首に傷を負った。警官らは妻を持ち上げて、パトカーに連れ込んだ。その日、尋問を受けた後、妻は帰宅させられた。

 志軍さんはその日、持っている携帯電話とお金を没収され、連行されて拘禁された。

 志軍さん夫婦は連行されると同時に私服警官は、志軍さんの家に行き、鍵屋に命令して呼び寄せ、2時間あまりでドアをこじ開けた。そして、警官らは志軍さんの自宅に乱入し、志軍さんが鉄道会社で仕事のとき、着ていた制服などを没収した。

 先日、検察院は志軍さんの案件を蘇仙区裁判所に送ったため、現在、志軍さんは不正裁判に直面しているという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/2/276111.html)
 
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