明慧法会|自分の内に向けて探し、隔たりをなくす(一)
■ 印刷版
 

文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2013年8月11日】尊敬なる師父、こんにちは! 学習者のみなさん、こんにちは!

 私は自分の内を探し、隔たりを無くした体験を師父に報告し、学習者のみなさんと交流したいと思います。足りない所がありましたら、ご指摘をお願いします。

 一、自分の内を探し、隔たりを無くす

 私は当地の機械修理や法を正すことを協力する仕事をし、様々な学習者に接触します。口を修めるということに私は特別に注意し、機械の修理のため学習者の家に行くときや交流の時は、学習者の個人情報は聞かず、自分の個人情報も知らせたくはありません。これは法に対して責任をとることであり、学習者に対して責任を取ることでもあります。

 少し前、つまり大学入試期間に、私は大学入試を迎えるある学習者の子供に接触しました。この学習者は子供の入試の送り迎えをし、高校生たちに接触しました。この学習者は高校生たちにネットを破るソフトをあげ、学生たちは皆喜んで受け取りました。大学入試は3日間しかなく、1日目に手持ちのソフトをすべて配り終えました。夜にその学習者は私にソフトをもらいに来ましたが、私はそのソフトを持っていないため、ソフトを持っている学習者に連絡するよう身近の学習者に頼み、当日の夜にソフトを持っている学習者が彼女に送ることを約束しました。

 少し時間が経ち、ある日ソフトを必要としていた学習者は私に用があり、ある場所で会うことを約束しました。話し終えると、少し前に私にソフトをもらいに来たことを話し出しました。「ソフトを持っているその学習者を知っていますか?」と彼女に聞かれ、「何度かはあっているが、よくしりません。」と答えました。すると彼女は、「その学習者にあなたの働き先や、仕事内容、法の中でなにをやっているのか聞かれましたので、あなたたちがお互いよく知っていると思い、私はすべて話しました」と言いました。

 それを聞いた私は瞬時に心の中で怒りがこみ上げてきて、彼女に怒りをぶつけました、「なぜ教えたのですか! 勝手に他人に学習者の個人情報を漏らさないようにと前にも何度も教えたのに、あなたはちっとも聞いてくれません(以前も似たようなことがありました)。これからは何があっても私に連絡しないでください」と、私は怒りました。これを聞いた彼女もおかしいと思い、「これからは連絡しません」と言い、こうして私たちは別れました。

 帰宅途中、師父のある法が頭の中に現れました。「修煉の中でいかなる偶然な事もありません。私たちの中で正しくない状況と良くない人の行為が現れたとき、それは人心に目掛けてやってきたのです。私たちは旧勢力の按排を認めておらず、しっかり行なわなければ隙に乗じられてしまいます。この方面に対してこのように行なわなければならないから、良くない状態が現れたかもしれません」(『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』)

 表ではこの学習者の行為は間違っており、師父の法の中での要求に合っていませんが、根本的には私に人心があり、その学習者がここで演じているのです。自分の内を探ると、他人のせいにする心や、恨む心、自己中心的な心、顕示心、他人に勝りたい心、恐怖心などと、たくさんの執着心が出てきました。私は直ちに発正念をし、これらの心理を削除しました。学習者に対しこんな態度をとるなんてとんでもないことでした。学習者に怒りをぶつける私は修煉者の状態ではありません。これを認識した後、翌日その学習者に謝ろうと電話を掛けると、私もちょうどあなたに用があります。私たちは話し合いましょう、と言われ、待ち合わせ場所を決め、会った途端に、自分は最低だった、これからは口を修めることを注意しますと彼女が真っ先に言い出しました。私は、自分が悪く、人心があるからこのようなことが起こったことであり、自分にこれらの人心を気づかせてくれたあなたに感謝すべきであり、あなたに怒りをぶつけるべきではなかった、これからは協力し合い、お互いに足りない所を指摘し、我々がまっすぐ歩いていれば、誰も邪魔できず、ともに師父に要求された三つのことをやりましょう、と私は言いました。

 今年の神韻のDVDが出ると私たちは急いで制作にかかりました。神韻は師父が自ら大法弟子をつれて創り出された衆生を救う項目であり、法の内包を含んでいるため、我々は小さな過程でも見過ごしてはいけません。DVDの購入から包装まで、幾つもの工程は同じ学習者ではできないため、完成するために何人もの学習者が協力しあう必要があります。DVDの刻印はある学習者がやり、私ともう1人の学習者は表紙の印刷と包装をやりました。

 何日か前に、刻印する学習者は電話で私を家に呼び出し、彼女の家に入るなり、まだDVDを持ってこられないのですか、と厳しい顔で聞かれ、私は、幾つもの工程があるため、すぐにはできません、と答えると、ほかの人が待っているから、我々のところで時間を取ってはいけません、と言われ、「そうですが」と私は答えましたが、心の中ではそうは思っておらず、相手は刻印という一つの工程だけだが、こちらはいくつもの工程があるのに、と心の中で怒りながら帰りました。

 家に帰ると、考えれば考えるほど怒りがこみ上げ、内を探ると、自分には人には言われてはならないという心理がとても強く、面子を重んじる心理や言い訳、この学習者をよく思っていないことなど、様々な人心がありました。

 その学習者もDVDを配る学習者にもっと多くの人を救ってほしいのではないでしょうか、私は何を言い訳しようとするのでしょうか、肝心な時に自分が修煉者であることを思い出せないとは、情けないことでした。見つけ出すとすぐに発正念をし、これらの良くない人心を無くし、これからは学法を妨げないと同時に、自分がすべきことをしっかりして、学習者が衆生を救うことを妨げないようにします。自分に足りない所を受け入れ、衆生を救う中で自分の役割をしっかりと果たし、師父が失望されないようにします。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/11/264906.html)
 
関連文章