智者たちの先見
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文/李寂然

 【明慧日本2013年8月24日】儲安平氏は『光明日報』の編集長を務めたことがあり、毛沢東時代の「三大右派」の一人でした。1957年6月2日、儲氏は『毛主席、周総理に意見を申し上げます』という文章を『人民日報』、『光明日報』で発表しました。文章は大変鋭く、中共(中国共産党)の一党独裁の本質を直撃したものでした。毛沢東は儲氏の文章を読んでから、連日ろくに睡眠を取れなかったそうです。文章で儲氏は、共産党の統治を「党天下」と概括し、中共独裁の正体を暴露しました。 

 1947年、国民党と共産党の内戦が始まったころ、儲氏は既に当時の共産党を深く認識し、共産党の「民主」は実質上「党主」で、異なる意見を全く受け入れず、共産党の統治になれば自由がなくなると断言しました。儲氏は「国民党の統治下では、自由は『多』と『少』の問題ですが、もし共産党が執政したら、自由は『有』と『無』の問題になります」と語りました。

 儲氏が死去してまもなく50年が経ちますが、今日私達が振り返ってみると、共産党についての彼の論断は本当に卓見でした。

 北京大学長、中央研究院長を務めた胡適氏は、国内外で有名な人物でした。若い頃、毛沢東は胡氏へ宛てた手紙の文末に謙称して「あなたの学生、毛沢東」と書いていたそうです。1948年12月、共産党の軍隊が北京を包囲していた期間、中共はラジオでわざわざ「胡適先生への放送」を行い、更に北京大学に潜伏していた共産党スパイを動員し、北京大学長と北京図書館長を引き続き任せるという承諾を行い、胡氏が北京に残るよう勧誘しましたが、胡氏に拒否されました。胡氏は躊躇わず北京を離れました。しかし、息子の胡思杜氏は「共産党の機嫌を損ねたことはないから、危険などないでしょう」と共産党の承諾を信じ込んで北京に残りました。

 胡氏は共産党を見透かしていたため、共産党の統治下で官職に就きたくなかったのです。それに対して、中国大陸を離れなかった息子の胡思杜氏は、まもなく中共に思想改造され、父が残してくれた財産を共産党にすべて譲渡しただけではなく、父の胡適氏と決裂する文章を公開発表することを余儀なくされました。このことに対して、胡適氏は「共産主義の国に言論の自由がないことはとっくに知っていましたが、現在、そこには沈黙の自由もないことを知りました」と論表しました。

 胡思杜氏は中共に騙され追随した挙句、1957年に「反右派」運動が始まったころ、「右派」として打倒され、重圧に耐え切れず、同年9月に首吊り自殺しました。

 前世紀の20年代、共産主義を最も見透かした中国人は蒋介石氏にほかならないでしょう。1923年8月、蒋介石氏は「孫逸仙博士代表団」を率いて旧ソ連へ視察に行きました。行く前に、蒋介石氏は共産主義に夢中で、ソ連に対して非常に憧れを持っていました。しかし三カ月の視察を経て、蒋介石氏はその考えを根本的に変えました。

 蒋介石氏は『ソ連が中国にある』という著書で次のようにソ連共産革命を分析しました。

 ソ連共産革命には二つの方法しかない。一つは階級闘争で、もう一つは民衆奪取と武装暴動である。共産革命は階級を巡り、階級闘争の手段で革命を行った。彼らは社会全体を多くの対立的な階級に区別し、階級間の闘争を通して社会は進歩して行くと認識している。そのため、もし階級的意識が強くなければ、強くさせる。もし階級間の衝突が激しくなければ、激しくさせる。無産階級が他のすべての階級を打倒してこそ始めて革命が成功するとの認識を持っている。これは彼らの革命の方法の一つである。そのほか、民衆の奪取と武装暴動が彼らのもう一つの方法である。彼らは革命の勢力を拡大するために、偉大なる民衆の擁護を得なければならず、そして、民衆の擁護を得るには、民衆を共産党に服従させなければならないと思っている。そのため、彼らは多くの民衆に対して、レイプ、略奪、殺人、放火などを行い、手段を選ばず社会を混乱させ、更に、いろいろな承諾をして、民衆を騙したのである。こうして民衆を降伏させ、奴隷にした。これはソ連共産革命で民衆を奪取する方法である。

 今日、私達が蒋氏の認識を振り返ってみると、まるで中国共産党に対する寸分違わぬ予言のようです。共産党の邪悪さを深く認識した蒋介石氏は、ソ連共産党に従属する中国共産党との生死をかけた戦いを一生涯行いました。

 ロシア社会主義の父であり、マルクスと共に『共産党宣言』の序言を書いたゲオルギー・ヴァレンチノヴィチ・プレハーノフ氏が遺言として残したソ連共産党についての予言は、更に人々を驚かせました。遺言は1918年5月に書かれ、パリ銀行の金庫にずっと保存され、1999年11月に取り出されました。遺言には次のように書かれていました。

 一、生産力が発展するにつれて、インテリの集団は無産階級より速く拡大し、生産力発展における首位的役割となり、電気時代になると、マルクス無産階級理論は時代遅れとなる。

 二、ボリシェヴィキ無産階級専制統治は急速に一党独裁になり、更には領袖独裁となる。欺きと暴力の下で築かれた社会は、自らの内に爆弾を抱え込み、一旦真相が明らかになると、すぐさま崩壊し解体する。

 三、ボリシェヴィキ党は段階的に以下の四大危機、即ち、飢餓危機、イデオロギー危機、社会経済危機と崩壊危機に遭うに違いなく、その結果、政権は崩壊する。この過程は数十年を経るかもしれないが、崩壊の運命は誰にも変えられない。

 四、国家の偉大さは領土や歴史ではなく、民主の伝統と公民の生活水準である。公民が貧乏な生活を送ったり、民主が無かったりする限り、国家は安定せず、崩壊に至る。

 学界の権威から一党の領袖まで、更には社会主義の創始者本人でさえ共産政権に対してこれほどの深い認識を持っていたことは、人々を驚かせるでしょう。前世紀、共産邪悪政権はしばらくの間、癌細胞の如く全世界で横行した後、急速に崩壊しました。今日の中共政権は、まさに倒れそうになり、いつ崩壊してもおかしくありません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/8/21/278450.html)
 
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