【明慧日本2013年9月10日】四川省南充市の高坪区食塩工場に勤めている劉思清さん(40代女性)は法輪功が迫害されている事実を人々に伝えたことが理由で、懲役4年の不当判決を下され、簡陽市養馬河鎮女子刑務所に収容された。先日、刑務所側が劉さんの家族に電話し、面会に来るようと伝えた。家族は刑務所に行き、劉さんと面会したが、劉さんが刑務所に迫害されて両目を失明したことを知った。
2010年3月2日、劉さんは嘉陵区飛龍鎮へ行き、人々に法輪功が迫害されている真相を伝えていたが、安平鎮派出所の警官に連行された。
安平鎮派出所で劉さんは手錠をかけられ、裸足で暗い部屋に入れられた。警官はベルトや握り拳で劉さんの体、目、耳をひどく殴打した。そのため、劉さんは目が充血し、目の周りがあざになり、耳もはっきり聞こえなくなった。劉さんは足も蹴られて負傷し、歩行困難な状態になった。
同日の午後、劉さんは嘉陵区留置場に移送され、1週間後に南充市華風鎮留置場に移された。しかし、留置場で警官は劉さんが負傷したことが家族に発覚されないようにするため、劉さんと家族の面会を許さなかった。
2010年6月24日、劉さんは裁判所に懲役4年の不当判決を言い渡され、負傷したまま、簡陽市養馬河鎮女子刑務所に送られた。
刑務所で劉さんは受刑者に監視され、毎日、長時間にわたって奴隷のような重労働を科されるなどの迫害を3年以上受けてきた。そのため、劉さんの体が衰弱し、両目が失明してしまった。
家族は面会した後、劉さんの解放を求めたが、拒否された。
劉さんは食塩工場の技術者で、1996年に法輪功の修煉を始めた。修煉によって劉さんの持病が全快し、医薬代を要らなくなった。劉さんはいつも、「真、善、忍」に従い、自分を律し、善をもって人と接しており、職場で仕事にまじめに取り組んだ。そして、いつも周りに良い人だと称賛されていた。
劉さんの夫が高坪区工商局の中間層幹部で、大学生の息子と、一家幸せに暮らしていたが、中共(中国共産党)当局が法輪功への弾圧を開始してから、劉さんは繰り返し迫害され、夫も連座され、子会社に行かされた。
1999年11月、劉さんと父親(法輪功修煉者)は警官に連行され、高坪区留置場に1カ月ほど拘禁された。
2000年、劉さんは北京に行き、法輪功への迫害停止を求めたが、連行されて拘禁された。その後、610弁公室の警官は劉さんの夫に「1カ月休んで、お前の妻が家から出ないよう、そして誰とも接触しないように監視しろ」と命じた。
その後、劉さんは復職したが、会社に行っても技術者としての仕事を剥奪され、掃除など雑用に使われた。そして、給料は150元しか支給されなかった。
2001年1月9日、劉さんは自宅で610弁公室、国安(国家安全局)の警官に連行され、区の留置場に拘禁された。留置場で劉さんは豚の毛を選ぶという労働を科され、汚くて臭くて、時間内に終わらないと、お尻を叩かれ、痛みで座ることもできなかった。留置場で劉さんは10数キロの手足かせをつけられたこともあった。
留置場で拘禁されて1カ月後、劉さんは1年6カ月の労働教養処分を下され、楠木寺女子労働教養所に移送された。
教養所に入れられた途端、劉さんはグランドで服を脱がされ、体や服など検査された後、壁に向かって直立不動に立たされ、体が少し動いただけでも殴打された。夜になって、「三書」を書くことを強いられたが、書かなかったため、睡眠を許されず、トイレに行くことも禁止された。
教養所で「転向」しない劉さんに対して、警官はスタンガンで電気ショックを加えたり、罵ったり、暴力を振ったりし、ご飯を与えない、トイレに行かせないなどの迫害を加えた。
教養所の迫害を耐えて満期になって帰宅できた劉さんは、5000元をゆすり取られ、祭日や祝日になると、工場内のホテルに軟禁された。
2005年7月29日、劉さんは洗脳班に送られ、毎日、強制洗脳を行われた。
2007年4月18日、劉さんは知り合いの法輪功修煉者の家に行く途中、警官に連行され、1年3カ月の労働教養処分を下された。
劉さんは若い技術者で、「真、善、忍」の教えに基づいて道徳を向上させ、健康な身体を得たが、中共に迫害されたため障害者となった。