迫害され死亡した北京の法輪功修煉者を偲ぶ
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 【明慧日本2013年9月15日】北京市の法輪功修煉者・李津鵬さん(47)は、中共(中国共産党)当局の刑務所に11年間拘禁されて迫害され、出所して半年後の先月15日に死亡した。李さんのことを思い返す知人たちは、他人のことを優先に考える李さんの優しさを思い出し、切なく感じている。

李津鹏遗照
生前の李津鵬さん 

 李さんは自分で会社を興した。従業員の誰かが困ったときには、李さんは全力で助けた。また、19歳の新しい従業員に援助して勉強させ、大学に合格させた。李さんは同級生の間では長兄と呼ばれ、人柄と姿形は穏やかで正直で決断力があり、同級生の中では良き師であり良き友である。

 1996年に李さんは法輪大法を学び始めた。1999年4月24、25日、李さんは陳情に行って天津市の修煉者を解放するよう呼びかけた。7.20以降、李さんは絶えず外で煉功したり、中南海へ陳情に行ったりして、迫害制止と合法的な環境を求めたため、何度も不当に連行されて拘禁された。迫害に加担したのは、海淀、西城刑務所、恩済派出所、万寿寺派出所、潘家園派出所などである。 

 2000年10月、法輪功の資料を印刷したため、李さんは海淀と豊台の警官50数人に包囲されて不当に連行され、懲役6年を宣告された。現地の警官は他の法輪功修煉者にこう言った。「李津鵬を刑務所に監禁して私達も安心した」。刑務所の中で、李さんはあらゆる方法で苦しめられ、何度も緊急措置を施された。しかも、網膜はく離や肝硬変になるほど迫害された。 

 2006年10月に李さんは出所した。若くてかっこ良かった李さんは、6年前と比べて黒く痩せこけ、やつれて年寄りになった。 

 2007年12月16日、海淀車道溝の朝市に10メートル長さの「天は中共を滅し、脱党は命を守る」と書かれた横断幕が現れ、現地の人々と中共の警官を驚かせた。その夜、48人の警官が李さんの家に不法に押し入り、ジャンバーで李さんの目を覆って両手を縛り、無理やり拇印を押させ、再度李さんを連行した。 

 海淀刑務所に拘禁されていた1年余りの間に、李さんは迫害を受けながらも人々に真相を伝えた結果、相前後して100数人が中共の党組織から脱退した。脱退した人は李さんに感謝し、李さんの情報を外に提供して脱退を声明させた。 

 裁判官は単独で李さんを呼び出し、量刑の条件として李さんに罪を認めさせようとしたが、李さんは真相を伝え司法官の要求には応じなかった。そして、刑務所は2年6カ月の労働教養を取り消し、李さんに対して懲役5年を宣告した。刑務所に拘禁されていた間、李さんは何度も危篤に陥ったため、刑務所は責任を負うことを恐れて、家族に知らせて一時出所を許可したが、現地の派出所は理由をつけて一時出所を阻止した。李さんは刑務所内で絶えず刑務所の各種の違法な行為を告訴し、出所した後にも告訴を続けた。 

 相前後して2度拘禁され、11年間刑務所に拘禁されて迫害された李さんは、体に深刻な損傷を負った。出所した後、李さんは体が衰弱し、皺だらけになり、肝硬変と網膜はく離を患った。このような李さんを目の当たりにした家族と友達は皆驚いた。 

 そして、李さんは死亡した。私達は品格の高尚な人をまた1人失った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/9/1/278922.html)
 
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