お母さん早く戻ってきて―法輪功修煉者の娘が母親に宛てた手紙 
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 【明慧日本2013年9月23日】黒竜江省の建三江前進農場の法輪功修煉者・蒋欣波さんは2009年9月10日、市場で中華伝統文化を復興する海外の「神韻芸術団」の公演DVDを通行人に配布したため、現地の警官に不当連行され、懲役4年の実刑判決を宣告されて拘禁された。4年来、蒋さんは刑務所で言葉では表現できないほど苦しめられ、所外の家族も同様に傷つけられている。

 今月9日は、蒋さんの刑期満期日で、蒋さんの娘は母親の帰りを待ち望んでいる。以下は、娘(高校生)が拘禁されている母親に書いた手紙である。 

 

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 親愛なるお母さんへ

 この手紙を受け取る時には、夏も過ぎて涼しい季節になります。お母さんは体に気を付けて、服を多く着て下さい。遠く離れている私は見舞うことができませんが、蒼天がお母さんを守ってくださり、無事であることをひたすら願っています! 

 世間の人々は皆言います。「時間は本当に速いですね」と。そうです。4年になりました。私とお母さんは1460日も離れています。しかし、この4年は私にとって長過ぎます! まるで何世紀も隔離されていたかのようです。お母さん、私は四六時中お母さんの帰りを待っています! 目をまばたきする間に、お母さんが天から降りて私の傍に帰ってくることを思い浮かべ、私は夢の中で家族3人がいつも一緒に楽しく過ごしている幸せな光景を見ます。しかし、残酷な現実は毎回、私の美しい夢を打ち砕きます。

 4年前に自分の目の前で発生したことを、私は一生忘れられません。お母さんは人々に法輪功の真相を伝えたため、真相が分からない人に告発されて陥れられ、懲役4年の不当判決を宣告され、今なお刑務所に拘禁されています。これらの事を思い出す度に、鋭い刀で心臓を刺されたように私は窒息しそうになります。警官は窓を壊して私たちの家に押し入り、狂ったように喚き立て、まるで映画の中の土匪(盗賊)が村に入るシーンと同じで、コンピュータ、携帯電話、腕時計などをすべて没収しました……私の心は激痛を感じました。 

 お母さんは、私を幼い頃から「誠実・善良・我慢強い子供になるように」と私を教育してくれ、お母さんも実際の行動で手本を示してくれました。学校の中で、お母さんは優秀な先生で、私ははっきり覚えています。当時、私と同じぐらいの年齢の学生がいて、彼女の家は学校からとても遠く、毎日通学するのにとても時間がかかります。お母さんはそれを知って、その学生を我が家に住まわせ、私と同様に彼女の世話をし、洗濯やご飯のほかに、勉強も指導していました。彼女は我が家に1カ月以上住んでいましたが、お母さんは一文も受け取りませんでした。また、ある学生は英語大辞典が好きですが、当時あの字典は60元で、この値段は田舎の子供にとって莫大な金額なので、大辞典を眺めることしかできません。お母さんはこの事を聞いて、自分の給料で買ってあげました。お母さんが大辞典を学生に渡した時、学生は目に涙を浮かべて言葉が出なくなりました。このような出来事がまだ沢山あります。

 お母さんはどうして周囲の人に親切にできるのでしょうか? それは法輪功を学んでいるおかげです。お母さんは毎日、法輪功の書籍を学び、煉功を通じて弱い体が健康になり、いらいらした性格も優しくなって、物事に対して我慢と寛容な気持ちで対処し、私の家族は更に暖かくなりました。 

 しかし、このような幸せな生活は1999年7.20日以降、ひき砕かれました。法輪功を学んでいるという理由で、お母さんは何度も不当に連行されて学校の仕事を失い、転々と他所でアルバイトをし、お父さんは私の世話をしてくれました。ようやくお母さんが異郷から帰ってきて、私達の家族はみんな集まりました。しかし、2009年9月10日、お母さんは市場で中華伝統文化を復興する「神韻芸術団」の公演DVDを配布したため、再び警官に連行されました。

 お母さんが連行されて間もなく、裁判所から「お母さんに対して裁判を開廷する」との知らせがあり、お父さんは北京の弁護士に弁護を依頼しました。建三江裁判所と現地の公安局・政法委員会(610弁公室を直轄する組織)などの大敵が攻めて来て、お父さんを連行し、弁護士依頼を辞退するように強要しました。お父さんは厳しい高圧の下で、お母さんのために弁護してくれる弁護士を断らなければいけません。私は思わず漠然としました。お母さんのように善良な人が、なぜ、連行されて法廷で裁判にかけられるのですか? 裁判所と公安局などの司法部門は「正義を助ける」ことを明言しているのではないでしょうか? 5千年の中華文化を広めることは、なぜ「治安を乱して、国家の政権を転覆させる」と見なされたのでしょうか? 弁護士自身は裁判の時に弁護をする職業で、どうして裁判所は弁護士の弁護を辞退するよう強要したのでしょうか? 私は中学校の教科書で「中国は言論の自由な国家」だと学んだのですが、どうして現実との相違がこれほど大きいのですか? お母さんのために正義を取り戻すために、私達はなぜ、本当の話をすることが出来ないのでしょうか? 

 お母さん、4年間、生計のためにお父さんの忙しい後ろ姿を目にしました。お父さんは圧力と冷たい目線に耐えながら引き続き学校で働かなければならず、毎週学校に来てくれて、お金がなくてもやはり美味しいものを買って、私に栄養を保つために考えたり、私の服を洗ってくれたりします。しかし、お父さん自身は非常に節約して、私が家にいない時は、食事はいつも適当で、履いている靴下も破れて服も少し色褪せしていますが、私の服はお父さんのと比べてかなり新しいです。お父さんは4年前から背中が曲がり、痩せていて、白髪が増えました。毎回お父さんの疲れている顔を見て、私は心の痛みを抑えきれません。お母さんはいつ帰って来るのでしょうか! 

 お母さん、私が高校に入ったばかりの時、家から遠く離れていて、同級生のお父さんとお母さんが学校に来た時、私は思わずお母さんを思い出して、目をそらしました。寮生活になかなか慣れず、夜眠れないとき、いつもお母さんを懐かしく想い、以前の楽しい日々が浮かんできます。自分が今努力して学んでも何もできず、お母さんを保護することさえできない、私は初めて中途退学の考えが芽生えました。私はお父さんに打ち明けた後、お父さんと他の人達はこの考えを取り除いてくれました。同時に私はお母さんの話を思い出しました。「どこにいても良い人になるべきで、学生として努力して勉強することは当然であり、これは学生の天職です」。私はお母さんの教えをしっかり覚え、よく勉強して、良い成績でお母さんの導きに答え、私達が最も苦しい時期に助けてくれた善良な人々に答えます。 

 お母さん、4年間で私は背が高くなり、もう以前の我がままな子供ではありません。お母さんが連行された当時、多くの人が私を白い眼で見ました。お母さんは世間の人々のために真相を伝えて陥れられ、刑務所で罵られて殴られ・手錠・足かせ・凍えさせる・吊るし上げるなどの拷問を受けても、「真・善・忍」の教えを放棄しなかったことを思い出し、私も強くなりました。私は高校で高尚な人格で良い評判を得て、友達も増え、皆は「私のお母さんはきっと良い人だ」と言ってくれました。 

 その通りです。私には素晴らしいお母さんがいます。しかし、今は私の傍にいないだけです。お母さん、私が永遠に忘れられないのは、面会室でガラス越しに見た、お母さんの青白く痩せた顔とざらざらしている両手です。お母さんは刑務所で迫害されて、別人のように低くて小さくなりましたが、依然として笑顔が美しく、修煉者の慈悲に満ちていました。 

 お母さん、この4年間に、私達の事を知った多くの人たちが、援助の手を差し伸べてくれました。お母さんが連行されたことを聞いたお母さんの生徒は泣きながら「先生を探し出す」と言いました。お母さんの同僚も学校と農場の指導者の圧力に耐えながら、お母さんを救援するため連名で署名しました。あれから、正義ある人達はすべて迫害されましたが、この正義の力はずっと私を激励してくれました。 

 また、お母さんと同じ法輪功修煉者は、生活上で深く気を配ってくれ、精神上で支えてくれました。多くの人々の善意に対して、私は永遠に忘れることができません。私もお母さんを救出できるように引き続き努力します。 

 お母さんは1日も帰っていません。娘の正義を広める足どりも1日も止みません。同じく正義ある善良な人々に助けて頂き、お母さんを1日も早く家に帰らせます! 

 娘・鴻飛より 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/9/1/278943.html)
 
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