医学界に真相を伝える過程で修煉を向上させる(二)
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 【明慧日本2013年9月23日】

 三、 対立の中で内に向かって探し、積極的に協力する

 全体的に真相を伝えるイベントの中で慣らし段階を経験しました。一人一人の同修は考えや着眼点はすべて同じではなく、何度も意見のバラつきの討論を経て、最後にすべて担当の同修の決定に従ってやるべきことが分かっていても、心の中に絶えずある声が自分にこうささやきます。「あなたが正しい。あなたが正しい。 相手の考えは周到ではありません」。甚だしきに至っては、「もういいです。あなたの考えのままで!」と消極的な心理状態が時に浮かんでくるのです。表面上では協力しているものの、心の中はやはりねじれています。師父は次のようにおっしゃっています。「正しいのは彼で、間違ったのは私です。何を争うのですか?」。(『洪吟三』)

 私は本当にこの法理を正しく悟らなければなりません。表面上の協力ではなく、自分は間違っていると心の中で思いました。私は心の中で師父にこう言いました。「師父、弟子は間違いました。弟子は必ず無条件に協力します」

  自分を是正することを選んだその一瞬、師父は私の思惟の制限を開いてくださいました。私は本当に相手の立場に立つことができ、同修の法のための偉大な体現を見ました。異なる生命間の越え難い思想範囲を越えて、師父のこの説法を体得することができました。「それは一種の洪大な寛容であり、生命に対する慈悲であり、全てに対して善意をもって理解するという状態なのです」(『二〇〇二年ボストン法会での説法』)

 真の寛容と他人の身になって相手を見てこそ、すべての生命がきらきらと光ることを体得することができるのです。その時、私は涙がほろほろと流れました。師父が慈悲と心遣いで按排してくださったことに感謝します。

 私は常に自分の不足と同修の良いところを見て、自分の最も良いものをすべて出して円融し充実するのです。次第に協調がとれていく過程の中で、無条件に自分を捨てて協力してこそ、師父が私達に与えてくださった神聖な使命をやり遂げることができると深く体得しました。

  いかなる人がいかなる手段を使って皆が集結したとしても、すべて無駄であることが分かりました。なぜなら、共に法の上で高め合い一つの全体を形成し、自己の観念を捨てて、基準に達してこそ、師父の按排の下で、有機的に分業し円融し、全体の神通力が現れて、衆生を救い済度することができるのです。

 四、国際シンポジウムを計画・実施し更に広く真相を伝える

  全体の協力と正念の作用の下で、連署の正義の力が加わり、衆生を救い済度する場が台湾医学界に向けて開かれました。私たちは移植医学会及び衛生署の役人達と接触し、真相を伝える経験を積んで、更に影響力があるイベントを計画しました。情勢の推進下で、順調に各国に影響力のある医学及び法律専門家を招待でき、台湾の政府関係者が支持する国際シンポジウムで真相を伝える一連のイベントを開催する案が決まりました。

  しかし、実際に実行するのは容易ではなく、さらに神韻のチケットを売る肝心な時期と重なり、人手が不足しました。担当のプロジェクトは倍増していますが、 一人一人準備に参加する同修たちをかきたて、常人の中で積んだ能力及び大法の中で修煉した正念を発揮して、絶えず自分の容量を拡充していったのです。

  しかし、後ろから押されて進み、一分も止まることができないプレッシャーの下で、体が堪えられなくなりました。非常に苦しく感じる時に、師父が私にうなずいて慈悲なる微笑みで私を励ましてくださる夢を見ました。夢の中でまた一つの巨大なメカニズムが見え、私はそのメカニズムの中心から少し離れた回転盤に対応したのです。私は歯車のように、小さい歯車が1回転すれば、大きい歯車はほんの少し回りました。絶えず全力を尽くして回す時、私が代表したこの脈は飛ぶように速く運行し、周囲の脈を動かし、さらに下の脈を動かし、一脈は百脈を動かし、百脈は同時に運行し始め、最後に中軸にある主脈を動かすことができて、場が開きました。

 それが常人の空間に反映すれば、衛生署の支持のもとで、台湾医学界に相当影響力がある常人組織もシンポジウムに参加し協力を得ることに現れました。数人の専門家が来台後、初日から休まずに動いて、医院や医学院に行き巡回講演をしたり、インタビューを受けたり、或いは特定番組を録音制作する方式で正の作用を発揮したのです。その間、台北の弁護士会は座談会を開催し、中共の臓器狩り及び迫害行為に対する声明を発表し厳しく非難したのです。

  1週間の活動の中で、議題は次第にすすみ、立法院の円卓会議で、いくつかの立法会委員及び衛生署の役人達は公に関心を示し、最後に注目される国際シンポジウムで、主流社会からの積極的な参加は会場を満席にし、衛生署の代表を含む皆が正面から支持する態度を表明しました。一連のイベントを開催してきて、数十の常人メディアからの関連報道は各界を注目させ、うまく全世界の正の力を集め、台湾から外へ広がりました。

  活動が終わった後、台湾の環境が清らかになったように感じました。私が少し成果を得たと感じていた時に、師父は中共の臓器狩りに対して真相を伝える進捗の段取りを私にかすかに見せて下さいました。貝殻の表面にある螺線はぐるぐると中心から外周へ絶えず回って行き、師父の功はすべての外にあって、最高の旧勢力の按排を消滅しつづけていますが、私たちが台湾でした活動はただ最も中心の一点を開けただけです。もっと速いスピードで外へ螺旋式に場を開いて、師父の法を正す進捗に付いていかなければなりません。

  師父はいつも私達を見守ってくださっています。師父の慈悲と苦心に感謝します。私達には自己満足の空間がありません。基準に達して、さらに向上してこそ、 より多くの衆生を救い済度することができるのです。その1~2カ月後に、全世界の各地で中国共産党の臓器狩りに対して真相を伝える活動の変化が見えてきました。未来にむけて私達は怠ることなく、世界中の医学界、法律界、政府、国会とメディアなどに真相を伝え続けるしかありません。近い将来に師父の法を正す進展の天象に合わせて、中国大陸と世界各地に全面的に真相が広がり、多くの衆生を救うことができると信じています。

 五、自我を捨てて師父が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度する

  イベントの準備中、時には自分でどんな役を演じるべきか困惑しています。ある日夢の中で、オーケストラが練習しているところを見ました。私は男声部の独唱をしており、休憩をとっている間に、突然教官に「今日は指揮者が来ないから、代わりにあなたが指揮をとってくれませんか」と言われました。少し不思議に思って、指揮をとり始めました。独唱しなければならない楽章にきた時、指揮をやめて歌うべきだと思いましたが、教官は「駄目です。あなたは指揮をとりながら歌いなさい」と言いました。その時は納得がいかず、「そんなことできるのか」と何度も試みた結果、本当に指揮をとりながら歌うことができました。その時、目が覚めました。

 目が覚めて、夢がとてもはっきりしていると感じました。これは師父による慈悲の教戒で、私に歌いながら、指揮することができることを教えてくださったのです。しっかりと真相を伝えるだけでなく、必要な時に指揮台に立って全体を調和させなければならず、さらに全体と協調を取らなければなりません。もう一つ分かったのは、見た目 にできないことでも師父が早くから段取りされているので、私たちは正念さえ持っていれば、どんなに難しくても必ずやり遂げることができるのです。

  またある時、心の中によくない考えがふき出してきました。自分のすることはもう自分の耐える範囲を超えており、他の同修がもっと引き受けるべきだといつも思ってしまいました。この一念が生じた当日に、ちょうどテニスの授業があり、「自分が打った数だけボールを拾えばいい、これが自分の責任だ」と思っていました。しかし、隣の人はこのような考えがなく、ただひたすらボールを拾い続けました。突然に師父が慈悲に悟らせくださいました。何をすべきか、誰がどれくらいなすべきか、すべて師父の按排で、私達に与えられた使命であり、私達は選ぶことができないので、いかなる考えもあってはならず、師父の按排に従ってこそ、真に師父が法を正すことを手伝っていることなのだと分かりました。満場のボールを見て、「衆生は皆私たちの済度を待っているので、私達もベストを尽く して拾うべきだ」と思いました。私たちはまだ巨大な人数を救っていません。私達は誰がなすべきかを区別して、「これはあなたがすべきなのか、私がすべきなのか」というような考え方があっていいのでしょうか?

 またシンポジウムが終わった後、講師を送る途中にいくつかミスをして、同修の指摘に直面したとき、心の中では過ちを認めたくないのです。師父が『マンハッタン説法』の中でおっしゃっていますが、私は いつも邪に悟っていました。「あなたたちには分かりませんが、当時はこういう状況だったので・・・」と、目はずっと他人の過ちを見ており、心から不平不満が生じたのです。私は本心からではないが過ちを認めたにもかかわらず、ミスが生じた後に指摘をされ続けて、心はさらに辛くなりましたが、そのときに師父の説法を思い出しました。「いくら不当な仕打ちを受けても、平然として対処し、心が動じることなく、自分のために言い訳をせず、多くの場合、弁解する必要もありません。なぜなら、修煉の道のりにはいかなる偶然なこともなく、話をしている中であなたを刺激したもの、トラブルの原因である利害関係は師父が作ったものかもしれません」(『マンハッタン説法』)

  ここまで思い出し、私は真に心から問題点を隠さず、言い訳を探さず、他人の問題も見ないで、ひたすら自分の不足を探すことを選び、心の中で師父と同修に対して過ちを認めました。すると突然、気持ちがとても楽になったと感じて、自分はやっと一つの難関を乗り越えたことが分かりました。

  しかし、これで終わりではありませんでした。その後、熱が出はじめて、最初は師父が私の体を浄化するのを手伝ってくださっていると思っていたので、それほど深く考えていませんでした。それから2日間連続して熱が出て、3日目に全身が焼けるように痛くて耐え切れなくなり、意識も朦朧とし始めました。主意識を強化しなければならないことを知っていても、意識はやはりますますぼんやりして、とても辛く感じました。この時に師父の説法を思い出しました。「正しい信念というこの一念だけですが、この正念を守りきることができる人は、最後まで歩むことができ、大法によって造られた偉大な神になるのです」(『米国西部国際法会での説法』)。意識が朦朧とする中で心の中に唯一残ったのは「師父が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度する」という一念でしたが、不動は万動を制することできるので、このように思うと、突然に内に向かって探すメカニズムがはたらき私に自分の一つの執着心が見えてきました。それは「言わないと誰も知らない」という常人の心でした。この問題を見つけた後、不思議と一瞬で熱が下がりました。

 六、同修、大法全体及び衆生を救い済度する機縁を大切に

  この数カ月、真相を伝える中で、私は常に内に向かって探してこそ、師父が法を正す進展についていけることを深く体得しました。法の中で一人ひとりの同修に対する要求が異なるため、私達は他人を見るのではなく、自分の不足を見てこそ、大法弟子全体が内に向かって探す環境を形成し、協調がとれ、師父が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度する使命を果たすことができるのです。

  師父は経文『祝辞』の中で次のように説かれました。「大法弟子よ、あなた達は乱世の金光で、世間の人の希望で、師父の法徒で、未来の法王です。精進せよ、世の中の覚者よ、今のすべては未来の輝きなのです!」。これをもって同修と互いに励まし合い、お互いに助けあい、円融の不破の全体を形成して、共に最後の道を歩みましょう。

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (完)

 (二〇一三年ニューヨーク法会での発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/27/274418.html)