修煉の中で真の自分を見分ける(一)
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 【明慧日本2013年11月1日】尊敬する師父 こんにちは! 同修のみなさん こんにちは!

 私の今日の交流テーマは「修煉の中で真の自分を見分ける」です。

 私は大学を卒業して1年後、法輪大法の修煉を始めました。それまで、私は随分長い間、自分の知恵を強化する方法を探していました。当時、私はまだ若かったのですが、自分の人生に不思議なことが起きるだろうと予感していました。ただ、それが何であるかはまだはっきりわかりませんでした。

 大学1年の時、私は中国に行って、教師をしました。それは春のある日でした。授業が終わった後に、1人の生徒が私と喋っているとき、私に法輪大法を紹介してくれました。彼はお母さんに電話をして、英語版の『轉法輪』を探すように頼んでくれました。そしてすぐに、本が私に郵送で届きました。

 初めて『轉法輪』を読んだ時、これこそ私がずっと捜し求めていた歩むべき正しい道だと思いました。私はこれからの人生をかけて、絶えず自分の心性を高めて行こうと思いました。

 しかし、当時、私には一つの否定的な考えもありました。それは、もし私が心性を高めると、夢の中で追い求めていた常人世界の楽しみを味わえないのではないかという考えです。

 その当時、これらの楽しみは不健康なものだとまだ分かっていませんでした。師父は『轉法輪』第4講の中で次のように説かれました。「われわれが失うものは、実際に悪いものにほかなりません。それは何でしょうか? それはほかならぬ業力なのです。この業力は人間のさまざまな執着心と一体関係にあります」

 師父はまた『轉法輪』第1講の中で「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」とも説かれました。

 数年間の修煉を通して、私は心性を向上させ、いっそう自分の考えに注意を払うようになりました。私は法に照らして、歪んだ考えを随時取り除くようにし、師父も私の業力の消去を助けてくださいました。

 師父が私たちの修煉を絶えず指導してくださり、また私たちの業力を取り除いてくださるため、次第に本当の自分を見分けられるようになりました。

 私たちが多くの誤りを犯しているにもかかわらず、師父は依然として私達を見捨てられません。なぜなら、師父は私たちの本当の自分が誰なのかを最も分かっておられるからです。われわれが当初、師に従って、法を正すことを手伝うことを誠心誠意決意した神聖な気持ちを師父は見ておられました。師父は私達全体が主導的な力を発揮することを待っておられます。

 経文『更なる精進を』の中で、師父は「あることについて皆さんは非常にはっきりと分かっています。つまり、この世界の歴史が今日まで続いたのは、大法弟子が衆生を救い済度するために残されたのです。この歴史は大法弟子を成就させ、皆さんの誓約を実現させるために存在しています」と説かれました。

 私の仕事

 私が大紀元の販売担当になって14カ月になりました。それまでの7年間、私は高校の教師をしていました。私はその仕事がとても好きでした。私の教師としての職業も師父が与えてくださったものだと思いました。この仕事は自分を十分に養うことができるだけでなく、真相を伝える多くの時間がありました。私は夏休みを利用して、何回か大紀元の販売の仕事をしました。しかし、このような不安定な就業方法では販売がうまくいかないだろうと思いました。

 販売の話をする前に、私の高校での体得を皆さんと分かち合いたいと思います。当時の理解では、この仕事の環境で、私は心性を高めると同時に、大法を実証しなければならないと思いました。私は他の先生たちと仲良く付き合い、彼らに協力して、最大限に私の教育の責務を履行しました。これも法を実証する一つの方法でした。また、私はまず真相を伝える方法を把握しなければならないと思いました。真相を伝えるとき、私はもっとよい判断を下すべきでした。

 真相を伝えるとき、私は相手に受け入れてもらえる方法を探しました。

 これも師父の按排だと思いますが、ある日私は学生活動センターに入って、アムネスティ・インターナショナルをどう作ればよいか問い合わせました。ある学生は私の話を聞いて、すぐにこのクラブのメンバーになりたいと申し出てくれました。その後、彼はこのクラブの会長になり、ほかの学生を入部させる手助けや、イベントの進行をしました。私たちは投書や陳情をしたり、ほかのクラブと顔を合わせて、真相を伝えたりしました。彼の成績は学校で抜群に優れ、最後に、あの年その高校でプリンストン大学に入学できる唯一の学生になりました

 私は三つの高校で仕事をし、すべての高校でアムネスティ・インターナショナルを設立しました。このクラブに参加し、関連活動に参加する学生はほとんど優れた人ばかりでした。その会長は組織力に長けていて、会議の招集やイベントの手配などもすべて素晴らしく進めることができました。それは私にとても深い印象を残してくれました。かれらの活動を通して、私も多くの事を学びました。

 高校のこの環境の中で、もう一つの真相を伝える方法は、歴史を教える先生たちに共産党の歴史を話すことでした。私は何人かの歴史の教師と接して、彼らのクラスで『中国共産党についての九つの論評』の一部を放送しました。これは世界史の先生に最も適していました。なぜなら、彼らの教材に文化大革命と大躍進の内容があるからです。

 二つ目は、学校で、いかに生徒を管理するかということでした。最初の数年は私にとって挑戦でした。普通の人の言い方をすれば、一部の学生の私に対する態度は、私の彼らに対する態度とは随分違うものでした。修煉者の角度から見れば、これは内に向けて探し、自分の問題点を暴く機会でした。私は自分の問題に気づきました。私は自分に自信がなく、教室の前に立っても人を惹きつける魅力がなく、特に学生が常軌を逸する事をした時に、私は直ちに相手に注意するという判断を下さず、また相手が規律処分を受けなければならない時、私は最適な処置を取らないなどの問題がありました。

 この数年、特に教師になって4年目と6、7年目に、私は次第にこれらの問題にいかに対処すればよいかわかるようになりました。私は教室での規則を「真・善・忍」に基づいて作り、そしてこの原則を私の教育指導要綱にいれました。一方、私が学生を管理する基準は、「失」と「得」の原則に基づいて決めました。学生が努力をし、あるいは積極的な態度をとるとき、私は素早くそれを認め、不正や不適切な行為をした場合、私も素早く反応しました。これらの正しいことと間違った行為について、私は授業後、点数を使って表示し、最終的に累積した点数で彼らを評価しました。

 私は師父がこの仕事を通して、私に自分の欠点を克服させ、「真の人」になるように手助けてくださることを感じました。

 師父は『轉法輪』第4講の「業力の転化」の中で次のように説かれました。「街を歩いていても、あるいはその他の社会環境においても、面倒なことに遭遇する可能性もあります。常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」

 高校でやった三つ目のことは、自分がやりたいことに精神を集中して、原点を見失わないようにすることでした。

 私たちにとって、「原点」とは常に自分が修煉者であることを意識し、あらゆるチャンスを掴んで真相を伝えることだと思いました。師父は『轉法輪』第9講の「悟」の中で、「実は、われわれが先ほどお話しした悟は、まだ修煉過程における悟に過ぎず、それは常人の中の悟とちょうど反対になっています。われわれの本当に意味する悟は、煉功過程における師の説いた法、道家の師が説いた道、修煉過程において自分が出会った苦難などを理解できるかどうか、受け入れられるかどうか、自分が修煉者だと悟れるかどうか、修煉過程においてこの法に従って実行できるかどうか、ということです。どんなに話してあげても信じない人がいて、やはり常人の中にいる方が何かにつけて実質的だと言います」と説かれました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/25/281726.html)
 
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